美しい文章


綺麗な文章に憧れがある。
どうしても自分のライティングは思いつくままに書いてしまうので論理的な意味でも、修辞的な意味でも、伏線的な意味でも、まったく美しくない。ただ美しさについて語ることは許してほしい。
美しい文章とはどういうものか?いろいろな種類はあると思う。
UIの部分でいれば、見出しやインデントやリストや改行を適切に使っているという美しさがある。
論理的なところで言えば、誰かを例示するまでもなく、ゆるぎなく美しいなピラミッド構成を作り出す魔術師たちがいる。
修辞的なところで言えば、個人的には塩野七生さんや開高健さん、芥川氏などが好きだ(反論はかなりあるだろうけれども主観で言えば)。
小説としての構成で言うならばやはり伊坂 幸太郎氏やポールオースターなんかは美しいと思う(これも極度の主観による偏見あり)。
文章のリズムなら村上龍や町田康なんかは素晴しい。
ともあれ。
ブログでも名前は敢えて挙げないけれど「なんて美しい文章を書くんだ」といつもうっとりする人がいる(有名な人ではなく友人で)。
さりとて、無理に今、美しさを分類してみたが、本来、このような美しさは分類不可能なものである。アンカウンタブルであり、ゲシュタルト形態のようなものである。
陳腐な比喩を使うならば、バラの美しさを客観的に記すことができないのと同じことだ。その色をRGBで説明して、鮮度や明度を記して、あるいは別の何かの引用して記したところで、そのバラの美しさは、写真1枚にかなうことはない。決して。
だからこそ、美しい文章が尊いものであり、そしてはかないことの理由なのだ。
よくできた文章や技巧が凝らされた文章は、ある程度の努力で身に付けることができる。それこそ「模倣」を続けていれば、いつしか近いものが生まれることになる。
しかし、美しい文章というのは上記のように文章化できないものであるゆえに、そう簡単に習得することはできない。
そして、同時に定理化が不可能ゆえに永続することもできない。いつしか美しい文章を書いていた人が、何かのピントがずれて、美しい文章をかけなくなったとしても、やはり、彼/彼女は美しかったころを取り戻すことはできない。なにがずれたのかわからないからだ。
よく使われるアイロニーを利用するならば、「何かが変わったのは明白だ。ただしよく変わったのか悪く変わったのかはわからない。」ようなことになる。
そして、厳密な意味での「美しい文章」も存在しえない。なぜなら、美しさというのはそれ自体が独立して存在しえるものではないからだ。
美しいという形容詞は、第三者による主観によって初めて付与されるラベルなのだ。そのため、「美しさ」というのは、必ず、常に誰かに寄りかかった形容詞である定め。
バラは名前がバラでなくとも美しいが、バラを見る者がいなければ美しくはないのだ。
そう考えると、誰しもが評価しえる美しさというものは原理的に存在しえないことになる(あるいは、反証可能性のレイヤーにおいては、近似値の完全な美しさを出すことは可能だが、それは仮説でしかない)。
しかしさりとてポイントは別のところにある。それは、美しさが存在しなくとも、美しさを目指すプロセスは存在しうるということだ。
よく言われる言葉に「完璧を目指すな。そんなものないから」という批難がある。しかし、それはある意味正しく、ある意味間違っている。
完璧は存在しえないのは事実かも知れない(それの判断は留保)。しかし、完璧にいたる道筋(正確にはいたるではなく、目指す)は存在しえる。
そのプロセスことが重要なのだ。それを証明するのが故人たちの遺業であり、その結果生まれたのが科学の進歩なのだ。
13次元の宇宙なんて存在しえないかもしれない。しかし、それを明らかにしようとする試みは決してナンセンスではない。あるいは話を少しずらした比喩を使うならば、神が存在するかどうかは問題ではなく、信じるか信じないかが問題なのだ。
そう考えると、美しさというものは手に届かないゆえに、逆にそのプロセスを深遠化し、広大化させてくれている。
「高嶺の花」は、恋人にするのではなく外から眺めている方が幸せなように、美しい文章とはそういう相対的な存在として、この世に欠かせない恋人なのだ。

美しい文章」への2件のフィードバック

  1. rat by y.k*

    どうもお久しぶりです。
    覚えてらっしゃいますでしょうか?
    バラの話、そうですね。
    バラについて書かず、周囲のコンテクストでバラを記述するという方が時に、よりリアルに美しくかける場合がある気がします。
    とても技巧的で、良い目を持っている事が必要でしょうが、名作家とはそういうものなのでしょうかもしれません、
    サハラ砂漠の上のバー、良いですね。

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  2. 原田

    度も!ご無沙汰しております。
    どもども。
    おお、コンテクストで書くという方法はそうですね。小説での王道ながらも非常に難しい手法ですよね。
    あと「良い目」で思い出しましたが、「小説家」を目指しているという人に、ある小説家が聞いた質問として「今日、家でてから見た木を1本答えて下さい」というものがあったそうです。観察力がそれだけ大切ということでしょうね!
    コメントありがとうございます。

    返信

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