運転免許証の更新


運転免許証の更新通知が来て。
あまり喜ばしくないものだから、さっさと片付けるにこしたことはない。
都営三田線の大手町を降りて運転免許更新センター へ向かう。
7月だというのに肌寒い天候で、嫌が上にも、まだ梅雨だということを思い知らされる。
月曜の午前からボルテージが高い哺乳類はいない。まだ閑散とした更新センターで、たんたんと手続きは進む。必要書類の提出。はがきの提出。そして免許証の提出。
パンチで穴があけられた免許証は、その穴ひとつが、ひと世代前の重機を思い返した。どんな機械でも錆びがつき古くなる。そして、それをアンティークと呼ぶものがあらわれる。
視力検査では、いささか心配があった。近視矯正手術をしてからもう5年。だいぶ、視力が落ちた気がする。
それでも不屈の意志は山をも動かす。寸分のない「右」「左」の掛け声で、難なく視力の関門を突破する。そして、機械的にすすむ写真撮影。襟を正すことを命じられ、なにかしらアウシュビッツを思い出した。もっとも、そんなに歴史深い瞬間でもないけれど。
椅子に深く座り、背筋を伸ばす。髪の毛を整え、あごを引く。まったくもって、アンドロイド。
しかも、最近、免許証にICチップが埋め込まれるらしく、暗証番号を入力させられた。しかも2つ。
何にしようか、と思いながら、5年後の更新でも覚えている番号でなければいけない。しかも2つ。
やむなく5年後に思いを馳せることになる。5年後は自分は何をしているだろうか。あるいは5年後の免許証に映る顔はいかなるものなのか。
なんてことを2秒くらいで考えたあげく、適当な番号を記載する。
そして待ち受けるのが講習。1時間程度とはいえ、あまり愉快な時間とは言えない。
ビデオでは福留さんが話をすすめる。しょっぱい仕事、ともおもわないけれど、岡留さんならもっと良かった。噂の真相は復刊されないのだろうか。
藤原伊織の新刊を読みながらすすめられる事故の映像。
「彼はひとを引いたときから、心の底から笑ったことはありません」という一文が頭にひっかかる。
たしかに。交通事故はもはや他人事ではない。都内だけでも年間200人以上(24時間以内に他界した場合)の死亡事故が起こっている。
そう考えると、いつ自分が加害者、被害者になってもおかしくない。これが交通事故が持つ重みとして、さまざまな演説に語られる。
飛行機で事故するよりも交通事故で死ぬ可能性のほうが高い、あるいは肺がんで死ぬよりも云々。
死を確率に置き換えて、死の可能性を比較する。そのようなことは机上では可能だが、心情的には受け入れられるものなのだろうか?
バンジージャンプの紐が切れて死ぬ可能性よりも、イラクでカラシニコフに撃たれる可能性が低いからといって、彼はバンジージャンプよりもイラクを選ぶのだろうか。
ビデオは続く。
携帯電話をしていたことによる不注意で左折時に自転車を巻き込む。悲しむべきことにどこにでもよくある事故だ。
そこで、1つ想像は膨らむ。
もしそのようなことが起こったとして、電話をしていた相手はどのような心境になるのだろうか。電話口で「キキー」という音が聞こえ、それから声は何も聞こえなくなる。
あるいは逆ならどうだろうか。
自転車にのりながら携帯電話を利用していて、注意がそれ、車にはねられる。
その電話先の相手は、一体誰だろうか。もしかすると営業先かもしれないし、恋人かもしれない。友人かもしれないし、家族かもしれない。
恐らく、その人の悲鳴とともに投げ出される電話。電話先の相手は「もしもし?」を連発することだろう。しかし、その声は誰にも届かない。
ちょうどあのドラマ「24」で、そんなシーンがあったな、と思い出す。
主人公が電話している相手がトイレで絞殺される。突然、相手がいなくなった電話。無常に響く声。
どこにもいけず、声だけでは何も物事を動かすことはできない。聞く相手がいなければ。
電話はときに、そのような人間の無情を増幅させる装置となりうる。だから携帯電話は嫌いなのだ。
そうこうしているうちに講習は終わり、免許証が交付される。
今回の免許証には本籍や国籍は記載されていない。ICチップに埋め込まれているのだそうだ。そして、中型車の記述が増えていた。知らない間に法律は変わっている。
また、携帯をしながら運転することによる刑罰、民間による自動車取締り、飲酒運転の取り締まり強化など色々世の中は変わっている。
ちなみに飲酒運転は大体男性60キロの人で、ビール瓶2本を飲むとひっかかるくらいの程度になっているのだとか。
坂本龍一のseldon drunkというエッセイを思い出す。アメリカの法律では飲酒運転の基準が「ちょっとしたとっぱらい」ならばセーフになっているとかいないとか。
いずれにせよ酒の弱い私にとっては関係のない話だ。
また免許の筆記試験も変わったらしい。今は90点を取らなければならないそうだ。もっとも自分の時だってそうだったかもしれない。もう忘れてしまった。
知らない間に世の中は変わっている。
帰り道、2人の女性が前で歩いていた。タイトなパンツを履いた背の高い1人の女性は、お尻のポケットに携帯電話を入れていた。
そこからストラップがもれる。そのストラップは赤いお守りだった。何のお守りかはわからない。しかしストラップ
にお守りをつけているのは、よく見る風景ではない。主観として。
そして、10秒ほどその人の人生に思いを貸せていると信号が青になった。
そんなこんなで月曜日の午前が過ぎ行かんとしている。

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