音楽って凄いなぁ、と。


いやね、昔は、音楽の価値を、いまほどは判っていなかったように思う。つまり音楽とは「良い音楽を聴いてるんるん」というような位置づけだった。しかし、やはり当然、音楽はこれほどまでも世界に愛されていることからもわかるように、価値というのはそれだけではない。太古の原始のリズムである太鼓が戦場を鼓舞したように音楽とは時に、カンフル剤となり、鎮静剤となり、あるいは癒しとなり、潤しとなる。つまり、薬や食事のように人のバイオリズムに非常に影響を与えるもので。その点では一種の点滴やアロマ、カラーなどと似た力を持つような気もするわけです。最近、アロマの力の話を聞いたけど、こういうのもやはり強い力を持っているんだろうね、蛇足だけど。そして、もちろん音楽の効用というものはそれだけに止まらず。たとえば、共通言語という価値や文化の表象というカルチュラルスタディーズ的側面、あるいはイデオロギーの発露としてのプロパガンダ的存在。そのような何かしらを象徴するもの(スプートニクの恋人を思い出す単語だけれども)になりうる。つまり言語であり、イコンであり、メタファーとなる。または、時に音楽は道具となる。芝公園をランニング中のスタミナを搾り取るようなロックであり、夜景とワインと男女の沙汰に彩りを添えるジャズであり、ベルリンの壁の崩れを人の心に刻み込むクラシックであり。そう考えると、時に人は食事のお店を吟味するけれども、それと同様に音楽も吟味して良いのではないか、とふと思って。もちろん専門職の人や造形が深い人はそうしているのはわかるのだけれども(DJ含め、クリエイターの方々とか)、それをうまく共有する場がないのが問題なのかな。たとえば自分が効いている音楽をうまく共有する手法とか。もちろんツールでいえば、Last.fmやiTunesなど色々あるわけだけど、たとえば、それで人と会っている時に共有する手段ってなかなか難しいよね。Zuneだかなんだかがそういうことに挑戦しようとしていた記憶もあるけど嘘かもしれない。ただ、ドライブ中や自宅なんかでは、そのような場はあるけど、もう少しあってもしかるべきなのではないかと。といいながら考えたけど、うそかも。iPhoneもっていってBARでお酒を飲んでいる時に自分のチョイス音楽をこっそり流してたらウツケ者もいいところだ。一周回ってきてアリなのかもしれないけど、あまりにもリスクとりすぎぞえ、と思うわけだ。いやね、雨だからかもしれないけど、ふとした瞬間に気がゆるみそうな時は、iTunesから爆音をかけると意識が覚醒するなぁ、とふと思ったんだけどね。そういえば過去の職場で夜中2時だか3時だかにも欠かせなかったのは音楽だったなぁ。もちろん睡魔に打ち勝つ意味で、ということだけど。そういや、「人の好きな音楽」ってあんまり知らないね。いや、そりゃこだわり強い人は「この人は○○好きなんだ」とかわかるけど(ハードロックとかヘビメタとかパンチ聞いているジャンルに造形に深い人に多いように思うが)、他だと、たとえば「ボサノバっぽい」「ハウスっぽい」みたいな謎の抽象的な好み「っぽい」くらいの認識しかないような世界ではなかろうか、とも思うけど気のせいかもしれないし、なんだっていいや。よきにはからってください。

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