週末のいくつかの対話(曰く日記的な何か)


「AB型って冷めてますよね」とその人は言う。会社の人と訪れた金曜深夜の食事亭での会話。血液型で話をすすめるのは、色々な意味でリスキーなのだけど、まぁ、話のネタとしては悪くない。もっとも血液型の傾向を信用していなければ、という前提だけれども。「冷めていますかね」と答える。「冷めていますね。経験上」とその人は言う。こういった血液型の傾向は占いと同じで、「誰しもが少しばかりはそう感じていること」を少し添えていうだけで「当たっているor私のことわかってくれている」という心境になる不思議な呪文だ。人は誰だって冷めているし、あるいはホットだ。そして日常は常に「ルーティン」であり、同時に「ユニーク」だ。再現性がない、という点において。
土曜日に目が覚めると、8時だった。3時過ぎに寝た気がするのでそこそこの睡眠。土曜日にしては幾分眠たい。いつもの通り、目をこすりながらパソコンのディスプレイをオンにする。メールとRSS Feedのチェックをしながらパンを焼く。食パンにバターを塗って、冷蔵庫からコーヒーを取り出す。30分ほどふらふらブログをチェックしながら頭が目覚めてくる。今週末は作らなきゃな資料が5つだか6つだかあって、それに取りかかる。まぁ毎週末と変わらないのだけど、雨ということもあり缶詰になろうかとぼんやり予定をたてる。
昼にシャワーを浴びに自宅に戻る。合間にブログを書いて、合間にメールの返信をして資料作成を続ける。友人がメッセンジャーで話しかけてくる。その人は何人かの異性と仲が良くって。私は問う。「その恋愛リソースってのは、3人の恋愛相手がいる場合、3等分されて分配されるのかしら?」と。相手は答える。「違う、会っている時は常に1人の相手に100%の力を注いでいる。ただ、その100%の力を注ぐ対象が複数いるだけ」と言う。禅問答のようにも聞こえるし、あるいは詭弁にもexcuseにも聞こえるけれど、まぁその言葉で世の中がちゃんと回っているならば、誰にも害はないから良いのだろう。ただ、リソースを時間の観点から考えるとその回答はなりたたないよな、と思う。でも気持ちというのは時間とは関係のない力学が働くので、それもまた正なのだろう、と思う。
先輩からメールが届く。クイズのメールというなかなか珍しいメールだった。「ここはどこでしょう?」という素っ気ない一文。そして添付された何枚かの写真。何かしらの食べ物と何かしらの場所が写った滑稽だが哀愁のある写真だった。でもどこだか全然わからない。こういう時は写真ではなく文脈から推測するのが一番だろう。まず日にちから日本で起こっている出来事をチェックする。横浜の中華街でまつりが行われているらしく、その線から推測するが食べ物との関係性を見いだせないために却下する。ちょうどこの日に読んだ本に書かれていた一文を思い出す。「相手が何かの質問をしている時は、回答を探すのではなく、その質問の意図を考えよ」と。その意図を考え、きっと「写真クイズが世の中の最先端トレンドということだな」とつぶやく。
24時頃、仕事が一息ついて。お酒が飲めないくせに珍しく少しアルコールを摂取したくなって。時間も時間ということもあり近所に住んでいる別の先輩に電話をしてみるとちょうど近所で飲んでいるという。それは幸い、とオフィスから歩いて3分ほどの店に足を運ぶ。久しぶりに会う先輩は髪はあげていたものの変わらず元気そうで何よりで。「私は村上春樹自身は好きじゃないということに気づいた」とその人は言う。「世界の終わりは好きだけど、カフカやアフターダークは好きじゃなかった。」という。そういうこともあるのかもしれない。でも、「世界の終わり」が好きな女性が多いのはどうしてだろうか。男性と比べて圧倒的に女性からの評価が高い気がするけれど、どうなんだろう。これはあのハードボイルドな感じが良いのかもしれない。そんな折、お店の主に「最近、ここにきましたか?」と聞かれたので「数ヶ月前にお邪魔しましたよ」と答える。「カレーを食べました」と言うと、「あれ、カレーなんてあったっけな」とのお答え。確かに私はそこでグリーンカレーを食べて。でも、主は知らないという。1q84を読んでいたからか「ずれた世界」を思い浮かんだけど、世の中はそこまでイージーに出来ていない。誰かが勘違いしているか、何かが勘違いされているのだろう。世の中の真実が常に1つだとは限らない。
店のBGMがStevie Wonderの太陽に関する曲に変わって。ああ、懐かしい、と思う。家の外で聞く音楽はなぜか印象深いのはなぜだろうか、と思う。外ではちょうど雨が降り出してきていて。雨の季節が終わる頃には夏が本格到来する、というのは何かしらバルガス・リョサの小説を思い出すな、と勝手に関連づける。何も関係ないのに。久しぶりにお酒を飲んで、頭痛が始まる。何かの漫画で頭痛を「テンションの高いお坊さんがエイトビートでお寺の鐘をついている感じ」と表現したが、そのような振動が頭をつつみ、ささっと店を退散する。日曜日に目が覚めると土曜日と変わらず静かな朝だった。土日の朝がなぜか静かな気はする。これは実際にオフィスが稼働していないからもあるのだろうけど、8割型は気のせいだとは思う。ただ、そのように考えていた方が、土日らしさが出てわるくない。
「そうだクリップを買わなくちゃ」と思い出し、麻布十番の商店街に自転車を走らせた。普段は文具は殆ど楽天で買ってしまうのだけれど、梅雨の合間の太陽を浴びに町に出るのも悪くない。お目当ての物を購入して店を出ると、「あら!」と声をかけられた。学生時代の友人で、彼女の結婚式の二次会にはちょうど先月行ったばかり。「髪きったんだ」「そう、心機一転」と、何が心機一転なのか判らないけれど、そのさわやかな若夫婦は十番のパティオの日陰がとても似合っていた。しかし、麻布十番はそれなりに人がいて、それなりに人と擦れ違う。くわばらくわばらと思いながら自転車を走らせる。
私も髪を切らなきゃ、と思い散髪屋に向かう。先週まではドタバタでいく機会を逃していた。シャンプーをする人は新人だった。いつも散髪で苦手なのはしゃべりかけられることだ。この会話が苦手でしょうがなく、本を読みながらカットしてもらうことが多い。その新人もシャンプーをしながら、「業務的」な質問をかけてくれる。その心境はありがたいし、それも仕事だというのはわかるけれど、こちらも日曜日くらいはあまり気を遣った回答をするのは避けたい。「どんなお仕事をされているんですか?」と聞かれ、とりあえず「木こりです」と回答をしておいた。まじめな答えよりはよっぽど社会に潤いを与えると思ったからだ。それに「人のニーズのある物を作る」という点では自分のしていることも木こりも似たようなものだ(もっともそう行ってしまえば全てのビジネスはそうなるのだろうけれど)。少しうたた寝するともう暗くなっていた。思うに1日のパフォーマンスを最大化したいならば昼寝は欠かせないように思う。とはいえサラリーマン時代に会社の椅子で寝ているといささかひんしゅくを買っていたので、これは自由度の高い職場ならではの特権かもしれない。
なんだか世界で60通りの時間軸が平行して進んでいることに、なんだか違和感を憶えながら、もう週末が終わるな、と思いながら今に至る。
#なんか色々微修正してすいません。

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