Posted: 11月 6th, 2011 | Author: 原田 | Filed under: 雑記 | No Comments »

秋である。

秋といえば、読書の秋である。

しかし、通勤をしなくなって、めっきり読書をする時間が減ってしまった。せいぜい飛行機を取る時くらいのものである。

あるいは、スマートフォンの普及で、空き時間でもさくっと本を読めるようになった。

エレベーターをまっている時間や乗っている時間。またはランチをまっている時間。はたまたパソコンが立ち上がる時間。

今まで分散していた細切れ時間に、ポケットからふっとスマフォを出すだけで読書が可能になった。

これは読書のイノベーションである。

今まではハードカバーはおろか携帯性を持たず、文庫本とはいえ、常に持ち運ぶには課題があった。

しかし、スマフォに電子書籍さえあれば、いつでも読むことができる。

また、急に電車やタクシーに乗る時も、本いらずである。あまりカバンを持ちたくない1人としては、ポケットに入りにくい文庫本の携帯方法は課題だったのだが、これで解決することとなった。

どうでも良いが、最近、iPhoneで読んだ本としてはパラレルがある。非常に名作である。※自炊した

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しかし、同時に、長い物語よりも短い物語を好むようになる。

なぜなら、1冊の本を読むのに、仮に90分かかるとすれば、エレベーターの時間だけで読み進めていると、エレベーターが片道1分で帰りと合わせて2分としても、90分を割ると、45日もかかってしまうからである。

さすがのこの遅遅としてすすみでは、最後のエピソードにたどり着く頃には、最初の伏線を忘れてしまっている。

よって短編や、ないしはショートストートリーが重視される。

ということで、昨今は短編を読むことが多い。

一説によると、短編は「のめり込むまでに時間がかかり、のめり込みそうになったら話が終わっている」と言われることもある。

しかし、同時に短編だからこそ完結する世界もある。つまり、それは短編を長編の一部と見るか、ないし短編はいくらのばし重奏にしても、長編にはたどり着かないという考え方である。

基本は後者の考えが主流だろう、と想われる(手法も含まれ)。しかし、同時に村上春樹の蛍のように、短編から長編を紡ぐ物語だってある。

CMソングもサビだけを造って、そこからフルコーラスが生まれることもある。

この短編のあり方が個人的には好きだ。というのも、人生は、そういうもので。

街中で人を見かける。誰かを待っている人もいれば、花束を買おうとしている人がいる。ほろ酔いの人もいれば自転車でジムに急ぐ人もいる。

彼らを見かけている限りは、そこからどこにもたどり着かないけれど、一つ想像力を使えば、そこには彼ら/彼女らの人生がある。

たとえば、職場で隣の席の誰かが「秋ですね」という。そして「紅葉だね」なのか「学園祭」なのか解らないけど、何かしらの話が加えられる。

それは短編で言うならば「秋」の物語はそこで終わる。しかし長編的に見るならば、隣人がいった「秋」は、いろいろ彼/彼女の人生を背景に持った秋で。

たとえば、その前日に恋人と「スポーツの秋に関して、フットサルの話」をしたのかも知れないし、出社前にニュース番組で「秋祭り」のニュースを見たのかも知れないし、あるいは、その日の夜に「食欲の秋」と称して鍋でも囲むのかも知れない。

ないし、背景なんて何もないけど、とりあえず隣人と会話をしたかったのかもしれないし、あるいは、たまたま秋という言葉が出てきたのかも知れない。

なんてことを考えていると、今日も1日が終わる。


富士山に登ろうと思ってから登り切るまでの12時間

Posted: 7月 24th, 2011 | Author: 原田 | Filed under: 日々 | No Comments »

先日、富士山に登ろう、と思い立って。5時間後には、五合目の麓についていた。

話を戻すと、ある土曜日の昼下がり、ふと「ああ、富士山に登らなきゃ」と思い立った。

そして、インターネッツという代物で、調べたところ、19時30分に新宿からバスが出ていることを知って。

ああ、ネットって便利。

往復でチケットを購入し、準備に向かう。ああ、カードって便利。

とりあえずドンキホーテ@六本木で、
*雨具(カッパのすごいの)
*トレッキングシューズ
*ライト(頭に付けるの)
を購入(締めて1万円ちょい)

そして、寒いという情報を仕入れたので、冬用のダウン(昔、真冬のカナダに行く時用に買ったダウンでマイナス10度だかに対応したやつ、ちなみに西欧で野宿した時にも大活躍した一品)を詰め込む。

そして、新宿のコンビニで水1リットルとお菓子を購入。

バスの中では爆睡。2時間ほどでバスは五合目に到着。

登り口はいくつかあり、到着したところの情報によると「富士スバルライン五合目(河口湖口/吉田口)」ということが判明。

降りると何もない。さっぱり何もない。街頭もないので暗い!

5人組の男性集団(学生っぽい)が、ストレッチをしているのを眺め、イイナとか思いながら。

腐っていてもしょうがないので、そのまま登山口に向かう(そもそもその登山口の場所さえもよくわからないので警備員に聞く)

そこから6合目は1時間半ほどで到着。疲れは無いものの、朝からジムで走り込みをしてしまった分の疲労がアドオンされ、すでに戦々恐々の状態。少し足が重い。

そこから7合目は勢いで向かうものの、既に乳酸が溜まっているのと、空腹で、カップラーメンを食す(500円。シーフード味)。

しかし、女性が多い。メディア情報によると山ガールが増えているとか聞くけれど、「リアル登山ガール」の数は、男性の2から3倍ほど(当社比)。

富士山でチームで昇る人はどんな会話をしているのだろう、と聞き耳を立てるけれど、「どの野菜が好きか」とかの非常に深遠なる形而上学的トークしか聞こえず、エキサイティング性に欠ける。

あと外国人多し。英語が飛び交ってます。なぜか日の丸のハチマキも多し。

そういえば、ステッキは現地で購入(1200円だったかな)。これは岩場では必須。

ステッキを使って昇るのではなく、ステッキと両足の3点を使って、自分の立ち位置を安定させるのに大活躍。

各山小屋では、この木のステッキに「○合目」といった焼き印をする事業が展開されている。ジェットコースターの写真なみにボロイ商売やなぁ(イニシャルコストがカメラより安い分だけ、もっとイージーかも知れない)と眺め筒。

7合目から8合目が一番キツイ。途中、山小屋がいくつかあるが、「8合目か!」と思ったら、7.5合目などのトラップが多し。

心が折れそうなので、何度か山の途中で眠る。

寒いのも噂通り。特に汗をかいて、その濡れたTシャツと冷えた空気のダブルは相当体力を奪う。

喉もかわくけれどどこのトイレも混んでいるので水をがぶがぶ飲む気にさせない。それも気分を萎えさせる。

8合目辺りで、宿の空き状況を聞くけれど、当然空きなどない分けで。仕方なく、山肌で一眠り。

心が折れそうな時は、iPodの音楽が心の支え。爆音を流しながら、一気に山肌を駆け上る。

なぜか祭りの後I will surviveがよくかかる。

そして、8号目を超えると、一気に気分は楽。

道は混雑するけれど、その分、ゆっくり登りながら、登頂を目指す。岩肌が多くなり、角度も急になる。人もどんどん増えてきて、渋滞。

しかしながら9号を超えると、あとは気分も楽。

そして、登頂に到着したのが、朝の3時半。大体6時間の登頂時間。

多くの人は、そこでご来光を待っていたけれど、そんなマゾなことは出来ないので、おとなしくそのまま直行でUターン。

なお、マチュピチュの隣の山「ワイナピチュ」と比較すると、ヘビー度は300%、美しさはイーブンといったトコロ。

帰り道、4時半頃に、ご来光を眺めることができる。

↑みなで日の出を眺める

一応、昇った証拠に写真でもとってもらうか、ととってもらったところ、全て逆光。当たり前ですが。

その後は、ひたすらダッシュで山を駆け下りる。大体、昇った時の1/3の時間(=2時間)で下山完了。

途中、激しく道に迷って、わけのわからない公道に出たのもご愛敬。

しかし、問題は五合目。

五合目に戻ったのは5時30分なのだけれど、麓に降りる方法がない。

事前にかったバスは10時。タクシーを見つけて最寄り駅までの運賃を聞くも1万円以上。

しかたなく、五合目のレストランでパンを食べながら路線バスの発車をまつこと2時間30分(8時)。

バスに飛び乗り、河口湖の駅まで1時間揺られ、そこから、さらにトコトコと電車に揺られ無事に帰宅。

人生ですべき1000のことのうちの1つが終わって何よりでしたとさ。まる


六本木にて

Posted: 7月 3rd, 2011 | Author: 原田 | Filed under: 雑記 | No Comments »

仕事帰りに六本木を通る。

六本木は、ファンキーな人が多い町である。よって、ファンキーな光景を多々見かけることもある。

たとえば。

たとえば、先日見かけたのは、ある休日の24時くらいの出来事。あるイタリアンの店が閉まっていた。そして、シャッターが閉まっていた。

しかしシャッターには除き穴がついていた。それを覗く人がいる。

カップルだった。男の人が、そのシャッターの中(=イタリアンの店内)をのぞき込み、そして、彼女(らしき人)が、「やめなよ、早くいくよ」と腕を引っ張っていた。

何度か彼女が彼の腕を引っ張る。彼は見続けている。そして、諦めて彼はシャッターの穴から目を離し、道に出ようとする。

すかさず彼女がシャッターの穴をのぞき込む。彼も慌てて、それに追いつき、一緒に穴をのぞき込む。

あの穴の中に何があったのかは知らない。情事なのかもしれないし、新しいピザのお披露目会なのかもしれないし、もしかすると何もなかったのかも知れない。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ

とのたまったニーチェ先生の言葉の如く、彼らは僕に覗かれていて、でも、覗いている僕は、その彼らが覗いている先のものは解らなくて。

今でも、たまにそのイタリアンの店の前を通ると、シャッターの穴が気になるけれど、マルコビッチになるのが怖いので覗かない。

またある金曜日の夜の話。

またも仕事帰りの25時か26時の頃。ぐでんぐでんに酔っぱらったカップル。西麻布方面だと、実際に寝ている人もいるけれど、そのカップルはまだそこまでは酔っぱらっていない。

男は40から50歳、女性は25から30歳前後。場所と服装を鑑みるに、夜の仕事中の女性とお客の仕事帰りの男性なのだろう。

彼女の手を引っ張り、六本木の地図の看板に彼女を押しつけ、戯言をしゃべる男。まさに「タワゴト」という表現がこれほどしっくりくる場所もない。

そこで彼はいう。「俺の名前は何だ。言ってみろ」と。そして口づけをしている。

なんとも、風情のある言葉である。

千と千尋のラストシーンを髣髴させるような、そして、そこからアニメ繋がりで「美女と野獣」まで思い出し「おお、彼の名前をきちんと言えれば、彼は美男子に戻るのか」という想像までたどり着くこと請け合いである。

あるいはRihanaのWhat’s My NameをBGMにしながら、

hey boy I really wanna see if you can go downtown with a girl like me

といったフレーズがダブって見える夜で。そんなこんな。

恐らく昔の六本木の華やかさとは違うのだろうけど、それでも、なんだか色っぽい町だなぁ、と思う昨今でした。


腑抜けども、悲しみの価値を見せろ

Posted: 6月 26th, 2011 | Author: 原田 | Filed under: 雑記 | No Comments »

高校生の時、本屋が好きだった。毎日通っていた。本屋によって、置かれている本が違うので、複数の本屋をルーティンで回っていた。

Amazonがない牧歌的な時代だ。

そんな時にポジティブシンキングの本が平積みされているのを見かけた。手に取って読んだ。いわゆる「啓発」のたぐいの本だ。

当時、青春が持つ鬱屈の森に生きる学生君としては、その本が示唆する「ポジティブに考えることの効用」は、示唆に富むものだった。

それから、「ネガティブシンキングは悪であり、ポジティブシンキングは善である」と考えるようになる。これは、当方自身、ほっとおくと物事をネガティブに考えがちだからこそ、その思考の矯正手段として、意識的に、その修正をかけていた。

いわば「悲観は気分に属し、楽観は意思に属する」というアラン先生の御言葉通りなわけです。

とはいえ、やはり人は考えることもある。

そんな中、先日、以下の記事を読んだ。

» 憂鬱と「深い思考」の関係:研究結果 ≪ WIRED.jp Archives

いわば「鬱的もの」の効用に関する研究の話。

一例を抜粋すると、

実験では、健常者から鬱病患者までを含む多数の被験者に、コンピューターを用いた意思決定タスクを行なわせた。仮想の求人活動において、最も優良な人材を雇用するというタスクだ。求人の各応募者には金銭的価値が設定されており(金額は応募者によってかなり開きがあった)、それらの応募者がランダムな順番で被験者に示された。

中略

実験の結果、鬱病の被験者は、鬱病でない被験者に比べて、最適戦略にはるかに近い戦略をとった。健康な被験者が示した最大の問題は、怠惰な傾向があり、十分な数の選択肢を検討しようとしないことだった。これに対し、鬱病の被験者は、選択肢を検討し続けようとする傾向がはるかに強く、タスクの成績がはるかに良かった。

という。

この実験の真偽はともかく、考え方は非常に示唆に富むもので。

「万事には、良い面、悪い面の両面ある」とはいうもので、確かに、そう考えると「ネガティブシンキング(too much thinking=depression等)」にも効力があるのかもしれない。

ないし、人のあらゆる生理機能や精神構造には、須く必要性があるもので、そう考えると、鬱にも、何かしら人間にとって必要な意味があるのであると考えても不思議ではない。

確かに、そういえば「泣くことは身体にいい」という話もある。失恋した人が悲しい映画などを見て、泣いてスッキリする、というドラマ的なシーンはよく話を聞く。

あるいは、何かで読んだけれど、「悲しい時にそれを救う効用があるのは、アップテンポの曲よりも、バラードやむしろ悲しい曲である」という説もある。つまりは、失恋した友人を励ます場合は「パーッといこうぜ」よりも「一緒に悲しむ」方が効用は高い、といったようだ。

たしか、その分析では「一度、人間は深く悲しみに沈み込むことが必要。そうすることで、浮上することができるようになる」といった話だった。

なるほど、と。

恋愛のメタファーを使いながら話を戻すと、恋愛では「優柔不断な男性は好きじゃない」といった言説を見かける。たとえば、そういう「優柔不断さ」というのも、つまりは「深淵なる検討」であり、「食事と真摯に向かいあう峰への神々しい道筋(謎」であるかも知れない。もっとも、ポイントは「考えるべきところは考え」て「考える必要のないところは考える必要はない」というバランスというか、リソースアロケーションではあるのだけれど、それでも、人によっては「考えがち」と「考えないがち」の2パターンの人はいるもので。

あとそういえば、「KY性の再生産」の話も余剰で思い出した。

世の中には空気を読めない人がいる。対して、気を遣う人がいる。これらの傾向は自然的には、矯正されずに、再生産されていく(つまり空気を読めない人は、どんどん読めない人になっていき、逆に気を遣う人は、どんどん気を遣う人になっていく)。

これはなぜか。

それはシナプス的な神経学の話に理由がある。

空気を読む人は、その神経経路が強化され、さらに空気を読む人になる。逆に空気を読まない人は、その神経回路が不要と脳が判断し、神経が死んでいく。

これの再生産により、傾向は加速して促進される。

これを考えるに、「過剰に考える人」は鬱になりやすいのもむべなるかな、とも思ったり。ただ、逆にそう考えることが、最適解を出すには欠かせない思考プロセスだったりもして、なかなか難しいわね、とも思う。

いずれにせよWiredのごとく、最後はベタに引用で。

緑の交通信号ばかりを見る人は楽観。赤ばかり見る人は悲観。本当に賢いのは色盲

シュバイッツァーさんの御言葉也。

ちなみに題名の「腑抜けども、悲しみの価値を見せろ」の元ネタは以下。

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議論のセクシーさ

Posted: 3月 27th, 2011 | Author: 原田 | Filed under: 雑記 | No Comments »

数年前のメモを見ていたら「正しさを主張すると色気がなくなる」ということを書いてあった。

誰か周りの人の言葉だったりしたらごめんなさい。出典の記載漏れです。

いずれにせよ、なかなか興味深い観点やね、と思った。

というのも、時に、議論というのは「正しい」「正しくない」という判断基準では収まらないことが多々あるからだ。自明の断りとして。

たとえば、「上が黒といったら白でも黒」だかなんだかという言葉があるように、時に「上が言っているかどうか」が議論の焦点である場合もあり、あるいは「賛同できるか」がポイントになることもある(cf アメリカの陪審員制度を扱ったハリウッド映画)。選挙の場合は「どれだけ多くの人がYESといっているか、でもある。

そんな折「その立ち位置がセクシーであるかどうか」という軸もあるような気がしている。

そういえば関係ないけど、マーケの大家ゴーディン氏も「トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦〈2〉セクシープロジェクトで差をつけろ! (トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦 (2))」で、セクシーという言葉を使っている。

「セクシーなプロポーザル」というのは、いわば、「ぐっとくる」軸を攻めた立ち位置であり、それは「正しさ」を度外したところに価値がある。

それが冒頭の表現で言うと「正しさを主張すると色気がなくなる」とも繋がる。

いわば「正論を貫いても物事は動かない」ということにも似ているかもしれない。世の中には「正論」原理主義の方もいらっしゃり、「べき論」を多様される。

で、それに対しては「正論では物事が動かない」という意見も、「それを踏まえつつも、正論は貫き通すべきだ」という意見もあるだろう。

いずれにせよ間違いないのは「正論」にはセクシーさがないのだ。いわば、ヒンドゥー教とイスラム教、ファンダメンタルとテクニカル、グリーンピースと捕鯨業者、ドラクエ派とFF派、男性と女性、これらのポジショニングトークの響きのような。

もし正論を貫くならば、「正論を落とし込む」ところに色気を振りまくべきであって、「正論の正論性」に力を注ぐのは、「数字の2は1より大きく3より小さい」と声を上げているように聞こえる、気がする。「So what」となるような。

誰かの話で、「寿司好き?」「温泉好き?」と女性に聞くのは愚問である、という話を聞いたことがある。いきとしいける女性はおしなべて「温泉」と「寿司」が好きだからである。

ゆえに「寿司好き?」の質問は「So what」ではなく「Shall we」であるべきであり、そういう意味において「べき論」よりも「たられば論」の方がセクシーである。もしもあなたが「寿司が好きならば」みたいな。

ちなみに2011年は「「セクシー素数」の年」だそうだ。さらに、蛇足すると森博嗣の「すべてがFになる」によると、孤独な数字は 7である。よって、孤独さ(7)とセクシーさ(6)は、隣り合わせ。

なんて。


遠藤ちひろ大先生の多摩市議選立候補

Posted: 3月 27th, 2011 | Author: 原田 | Filed under: 日々 | No Comments »

以前から何度かこのブログでご紹介いたしておりますが、遠藤さんが、多摩市議選立候補されるとのお知らせです。

ホームページより下記抜粋。

投開票の多摩市議会議員選挙に向けて、みんなの党多摩第一支部長として再起動いたしました。

決戦は2011年4月24日とのこと。

また下記ホームページでは今回の震災後の情報なども記載されておりますです。

» ホームページ

寄付なども上記からどうぞ!

過去の参考URL

» 【関係者注目】遠藤ちひろ御大がいよいよ! (いけいけどんどん)


アドガール

Posted: 3月 27th, 2011 | Author: 原田 | Filed under: | No Comments »
アドガール 大手広告代理店新人日記
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はあちゅうの新刊です!!おめでとうございますっ。

代理店での日々が描かれています。気まぐれコンセプトよりエロは少なめ。

就職活動生やこの業界に興味がある人は参考になるのでは。パワフルな日々が軽快なタッチで描かれています。

当方はこの本でズブの意味を初めて知りました。あとページ下部の市井の方々の名言面白い

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献本ありがとうございました!


夕焼けと朝焼けは同じものかしらん

Posted: 1月 4th, 2011 | Author: 原田 | Filed under: 雑記 | No Comments »

夕焼けと朝焼けは違うものだと思っていたのだけれど、実際は同じものなんじゃないかとふと思ってみたりした。

むしろ朝日と夕日も流れが上下逆なだけで線対称なんじゃないかと思うのだけど、違いはあるのだろうか。

まぁ、地軸の都合上、同じ日のシンメトリー性はないにせよ、結局、同じなのかもとかとか。

なんてことを考えていたら、「ああ、気温が違う」ということに気づいた。

冬の朝日は寒い夜の帳に差し込む光だし、夕日はこれから闇に向かう日だまりの暖かさとなる。

ただ、光としては同じなんじゃないかなぁ、とも初日の出を見て思ったりしていた。

つまり朝日の光は眩しくて夕日はなんだか哀愁が漂うような気がしているけれど、実際のところは同じ光なんじゃないかしら?とかとか。

ただ別段、これは答えを知りたいわけではなく、こういうことを考えていて、ふと「違うように見えて同じもの」って色々あるのかもしれないね、と思った。

たとえば、中央コンゴとザイールやYellow tailとブリ、鼻水とビジュウみたいな。

そして、先日は逆のパターンにも遭遇した。

ある話をしていた。そこで話されている文脈は、理解できた。しかし、逆にいえば、理解できる話がなぜ俎上にあがっているか解らなかった。

それを考えたら、「ああ、つまりは自分の理解している文脈ではないのだ」と理解できた。

つまり、自分のいわゆるところの文脈(コンテクスト)は誤読だった。

これに似た話を聞いたことがある。中学校くらいの国語の教科書だ。

「今年の春は、まさに春だった」といった誰かの文章を例示しており、この2箇所の春にアンダーラインがひかれていた(そして他にも例文があった)。

そして問いは、この下線部の単語は同じ意味かどうか答えなさい、といったようなものだ。

上記の例文しか覚えていないのだけれど、正解は「違う意味」だった。いわずもがな。

解説は確か「春は春なのは当たり前なのに、”まさに春”と春を強調しているということは、その春は違う意味を持った春なのである」といったようなものである。

この前後の文章もあったかもしれない。

つまりは、たとえばこれは2年浪人をした受験生がいった言葉だったら、少し理解しうる。去年の春は「サクラサク」の春ではなかったのだ。しかし、今年の4月には恐らく大学に受かったのであろう。よって「あらゆるものの始まりである春」がやっときた、といった文意になる。

なるほど、と思った記憶がある。

なるほど、と思ったのは、この解説ではなく「同じものが二度続いた時は、その前後の関係から、同じものは違うものではないか」と疑らなくてはいけない、というものだった。

つまりこの場合、「今年の春」と出た場合は「昨年の春」との差分を見ないといけない、ということだ。

そんなことを考えていると、携帯メールが届いた。

英語の一文で、理解はできるけれども、「はて、なぜこの文章がここに?」という一文だった。

うーん、その一文の変わりに例示をすれば、いきなり「となりの客はよく柿くう客だ」という携帯メールが届いたようなもんだとイメージしてもらいたい。

「ふむ」と考える。

つまりこの一文は上記の流れでいえば「何かしらのコンテクストから墜ちてきた一文」であり、こちらはその文脈を把握する必要がある。

さらに言えば、相手は何の前置きもなく、そのSMSを送ってきているということは「そのSMSの謎を解け」と謎かけもされているという文脈もそこに存在する。

そして、しばらく考え返信したところ、その答えは正解だった。ただ、興味ぶかかったのは、私はその一文を英語の歌から解読したのに対し、正解は海外ドラマのタイトルから回答すべきものだった。

しかし、結果は同じだった。

「違う方法でも1つの答えにつく」という事例だった。

そう考え、最初の朝日の話に戻る。

その朝日に見る人々の願いや鼓舞性が同じであれば、結局のところ、朝日と夕日が違っても、ないし同じでも、前提は関係ないのかもしれない。

なんてことを思った。ないし思っていない。either will do.


2010年面白かった小説10冊

Posted: 12月 26th, 2010 | Author: 原田 | Filed under: | No Comments »

さて、年末なので今年読んだ本のおさらい。

バックナンバーは以下。

母数として、今年読んだ小説は100物語、前後。移動が多かったので(海外/大阪等)、その時に5~10冊をまとめ読み、みたいな感じでした。

以下、記憶に残っている「面白かった」ものを並べてみました(記憶から墜ちているのも多そうだけど・・・)。傾向としてはやはり「青春系」「文章上手系(構成よりも)」に惹かれる模様。

10位:石田 衣良:愛がいない部屋

愛がいない部屋 (集英社文庫)
石田 衣良
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私の中で「恋愛小説を読みたい時に手に取ってしまう作家」の位置づけである石田さん(辻仁成氏からリプレイス。女性版は山田詠美氏)。

これはマンションをベースにした短編集。

他にも今年は、40、オトナの片思い(アンソロジー)など相変わらず手に取ってしまう石田さんの本。

なお、上記は「マンション」を軸にしているけれど、吉田さんの「初恋温泉 (集英社文庫)」は温泉軸。

温泉がテーマの小説は珍しく、楽しく読めた。

9位:グロテスク:桐野 夏生

グロテスク〈上〉 (文春文庫)
桐野 夏生
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桐野さんの本は、いつも「読むの重い・・・」と思いながらも手を取らずに得られないという不思議な魅力を持っている。

内容も暗くてヘビーなのに、ぐいぐい読んでしまう。これはお嬢様校出身の女のコの堕落論的な物語。

正確に言えば、過去に話題になった東電OK事件を元にしている一冊。これが面白かったら会わせて「東電OL殺人事件 (新潮文庫)」を読まれることもオススメします。

なお、他にミステリーとしては「冷たい校舎の時は止まる (上) (講談社ノベルズ)」は楽しく読んだ。似たミステリーとしては「イニシエーション・ラブ (文春文庫)」もそれなりに面白かった。

8位:ザ・ドロップアウト:高崎 ケン

ザ・ドロップアウト (アルファポリス文庫)
高崎 ケン
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小説というか自伝。概要を引用すると

一流大学を卒業し、一流企業に就職。絵に描いたように順風満帆な人生…のはずだったのに、現実はどうだろう。金のために、夢や自由を捨てて、意に沿わない仕事に従事する日々。本当のオレはこんなじゃない!がつんと上司に退職願いを叩きつけ、新たな一歩を踏み出したものの、待っていたのは厳しい下流生活だった!ホスト、AV男優、テレビAD、バーテン、そして派遣社員としての地獄のような毎日…勢いに任せ退社した男が歩んだ屈辱と再生の道。―これは、もう一人のあなたの青春物語。

な感じ。高橋歩氏を少し髣髴させる(ベクトルが違うのであくまでも少しだけだけど)。

7位:虐殺器官:伊藤 計劃

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
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けんすうに教えてもらって読んだ一冊。

今は文庫化?され平積みになってますね。

SF小説で、ガンダム/エヴァ+ミッションインポッシブル/メタルギアソリッド的な。マッチョな一冊。

ただ、散髪屋のお姉さんに「おすすめ本は?」と聞かれて紹介したところ、それなりに楽しんで読んだそうなので、女性も好きな人はいるかも知れない(大きいくくりでは西尾維新に近い?)

ただ、夭折されてしまったそうで悲しい限り。

6位:アッコちゃんの時代:林 真理子

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田口さんの記事きっかけで読む。

バブル期の女性が主人公(実在の話をベースに)。古き良き時代の六本木等の話も多く、なんだか切なく読んだ。

関連(六本木繋がり?)としては甘粕さんの「みちたりた痛み 」や家田さんの「縄張り―死の六本木抗争 (祥伝社文庫)」なんかも面白かった。

5位:月曜の朝、ぼくたちは:井伏 洋介

月曜の朝、ぼくたちは (幻冬舎文庫)
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青春モノ。学生時代の友人たちが30前後?になった時の物語。

転職あり、結婚あり、起業ありなどなど。自分との年齢の親和性からか面白く読んだ。

この作者の本は初めて。他何か有名なのあるのかな?

4位:夜は短し歩けよ乙女:森見 登美彦

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)
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森見 登美彦氏は、2007年に「水曜の朝、午前三時」をピックアップして以来。

森見ワールド的な世界観と癖のある文章(パクチー的な)は、ハマルと楽しい。
※個人的には「四畳半神話大系」 はピンと来ず。

また、蛇足だけど、「歩く関連」としては、恩田さんの夜のピクニック (新潮文庫)、奥田さんの「真夜中のマーチ (集英社文庫)」はピンとこなかった。

なお、似た作風として揚げられることが多い万城目氏ですが、鴨川ホルモー (角川文庫)は個人な趣味ではなかったのだけど、話のネタにはちらちら出た一冊。映画化の関係かな?あとインパクトのあるタイトル。

なお、森見さんと舞台も文体もなんか似てると思ったらホゲホゲという話を聞く。

3位:ストーリーセラー

Story Seller (新潮文庫)
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アンソロジーを選ぶことは滅多にないのですが、この一冊は印象に残っているため。

というか具体的には有川さんの「ストーリーセラー」が傑出。あと米澤穂信氏「玉野五十鈴の誉れ」 、ストーリーセラー2の「伊坂幸太郎の合コンの話」の3編が白眉。

2位:不毛地帯

不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))
山崎 豊子
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テレビ化された影響で読む(ドラマは見てないから解らない)。高度経済成長期の商社の話。

この影響で山崎氏の「沈まぬ太陽」「白い巨塔」「華麗なる一族」も読んだが、全てレベル高くて驚愕。

さすが元記者。ドキュメンタリーとして読める。今まで喰わず嫌いだったのを猛省。

1位:水滸伝:北方謙三

水滸伝 1 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44)
北方 謙三
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ぶっちぎりの面白さで貪り読んだ。全19巻。

中国の「水滸伝」を下敷きにしてふくらませた一冊。ストーリーの面白さに加え、北方節が全快でぐいぐい読ませる。

氏の三国志も面白いが、水滸伝は三国志よりも自由に書いており、また三国志の経験を踏まえた文章が力強く、こちらがマッチベター。

梁山泊というと日本だと社名を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、これとそれは全く関係なし。慣用句でたまにでる「水滸伝」の元ですね。

ストーリーはWikipediaによると

時代は北宋末期、汚職官吏や不正がはびこる世の中。様々な事情で世間からはじき出された好漢(英雄)たちが、大小の戦いを経て梁山泊と呼ばれる自然の要塞に集結する。彼らはやがて、「悪徳官吏を打倒し、国を救う」事を目指すようになる。

108人が結集していく様子は、ギリシア神話からドラゴンボールなどにも流れている英雄奇譚的な骨子。

なお続編の楊令伝も最近、完了したとか。その後はさらに第三部もあるという長編。


トマトはドM

Posted: 12月 13th, 2010 | Author: 原田 | Filed under: 雑記 | No Comments »

トマトはドMだそうである。

どういうことかというと、トマトは厳しい環境下で育てた方が、よりしっかり育つそうだ。

そんな話を聞いて、厳しい調教を受けているトマトを想像する。

村上春樹の小説で「明治屋の野菜は、夜中、調教を受けている」というようなフレーズがあった。実際、明治屋の野菜価格プレミアムは、そのような特殊な技能による価値なのかもしれない。

そもそもトマトの赤みが猥雑ささえも持っているように誤認してしまう。そしてあのキッチュな赤色とあの卑猥な曲線との組み合わせは、アールヌーボーとポップアートの邂逅かとまで勘ぐってしまう。嘘だけれど。

いずれにせよトマトはもっと評価されてしかるべき食べ物である。

たとえばカプレーゼ。あのトマトのシンプルかつパンチの効いた効用は、トマトでしか果たせない大役である。そして何よりモッツァレラとの絶妙なる色の配合は最早、自然の神秘とでも言えよう、とか云々。

そういえば、最近、トマトに関する本を読んだ。

確か、ブラッディマリーに関する物語だ。

ブラッディマリーは、ご存じカクテルの一種。ウォッカとトマトジュースの配合で、タバスコをプラスアルファ。

そのカクテル名「ブラッディマリー」に関する物語。

そうそう。Story Seller〈2〉 (新潮文庫)だ。この中の沢木さんの物語。

蛇足だけど、このSutory sellerの1を友人から進めてもらって読んだのだが、めっぽう面白かった。

有名作家の中編集だが、どれもパンチが効いている。その中でも、有川浩の「ストーリー・セラー」 がオススメと伺ったのだが、これがまた何とも秀逸。是非、ご一読下さい。

話を戻すと、そのブラッディマリーの名前には、ブラッディ(血)のメタファーがトマトに使われている。いわば、トマトは血を表すのである。

だからこそトマトは何かしら妖艶さを持っているのかもしれない。

よく考えると料理にトマトってよく散在しているような気がする。

オムライス(ケチャップ)、カレー(生トマト)、パスタ(トマトベース)、ピザ(ソース)etcetc。

ああ、イタリアンや洋モノには活躍するってことか。そういえば、世界三大祭りといえば、リオのカーニバル、岸和田のだんじり祭り(嘘)、スペインのトマト祭りですが、そう考えると、まだトマト祭りだけ参加できておらず、一生のToDoに入っています まる

あとフルーツトマト。あれは最早、トマトの領域を凌駕して、次世代トマト領域に入ったのではないだろうかと日々考えている。

野菜なのにフルーツという二律背反を違和感なく両立させてしまうハレンチさは、トマトだけが許される横暴なんではないだろうか。

とかなんとか阿呆なこといってないで寝よう。よきトマトライフを。