いつかの話。
初詣の話になった。そこから派生して、神社に行くと願いごとをするかどうか、という話になった。
その方は「願いごとなんてしたことがない」という。
びっくりして「どうして?」と聞いた。
「もしも願いが叶ってしまったら、その神様にお礼に上がらなければならない。そんなの面倒くさい」
ということ。
その哲学に、私は腰を抜かすほど驚いて。その律儀さに。あるいはその本末転倒な哲学に。
しかし、それはそれとて立派な自分なりの哲学。すなわち誰にも借りは作らない、ってなものだ。
でも、私が言い返した。
「僕は、いつも世界が平和になりますように、と願ってるのはアカン?」
と。
これはマジメな話で、僕は何か願いごとをしなければいけない状況になった時、あるいは、オプションで願いごとを願っても良い状況になると、決まってこのお願いごとをしていた。多分、ものごことつく前からだから、小学校前とかから。謎に仏壇の前でも、こんな呟きさえしていることがある。くわばら。
多分、なぜこんなナンセンスな願いをしているかというと、多分自己の願いは自分で成就させるものだと思っていて、相手がいくら神様であろうと他人任せにするのは癪だったからだと思う。小さいころの自分は。
もうひとつは、惰性で続いてしまっているのだろうね。
ともあれ、そういうと、相手の人はこう言った。
「ああ、その願いごとなら願っても大丈夫だよ」
と。
「なぜ?」と聞き返すと、相手の方はこう言った。
「その願いが叶うことはないから」