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終わりなき日常を生きろ

終わりなき日常を生きろ、という本が出版されたのは1995年らしい。当時は、それなりに話題になった本だった。時の人、宮台真司さんの一冊だった。読んだ覚えがあるけれど、中学生だった僕にとっては、あまりよくわからない一冊だった。でも、最近になってこの本のタイトルをふっと思い出す。

イーロンマスクが日本は今後なくなると看破したのは最近だけれど、少子化問題は20年前からあって、本来は20年前から十分に予測できる話だった。ムーアの法則よりも明白な事実だった。テクノロジーにおけるインフラの進化と同じで線形に読める未来だった。このまま出生率が下がれば、すぐに大問題になると。でもなぜか20年のタイムラグがあって、今、騒がれている。

いずれにせよ日本は少子化を迎える。また、世界においても社会としては不景気に突入していく。そしてロシアに端を発する社会情勢はますます不確実性を増していく。経済的に、あるいは、日本的に明るいニュースは、これまでと相対的に少なくなる。方や芸能人の自殺などがニュースに目立つ。なんだか鬱屈とした日々。でも、我々はそれでも日常を生きないといけない。

友人を昔、なくした。たまに、彼のことを思い出す。何か大変なことがあっても、でも彼はもうそれさえも経験できてなくて。自分はその大変さも踏まえて、生きていることに感謝しなきゃな、という風な。でも、同時に、生きるというのはそんなに簡単でもない。サバイバルという表現の方が近いのかもしれない。

ノルウェイの森で、親友の自殺について主人公がいう。

お前とちがって俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ。お前だってきっと辛かっただろうけど、俺だって辛いんだ。本当だよ。これというのもお前が直子を残して死んじゃったせいなんだぜ。でも俺は彼女を絶対に見捨てないよ。何故なら俺は彼女が好きだし、彼女よりは俺の方が強いからだ。そして俺は今よりもっと強くなる。そして成熟する。大人になるんだよ。そうしなくてはならないからだ。俺はこれまでできることなら十七や十八のままでいたいと思っていた。でも今はそうは思わない。俺はもう十代の少年じゃないんだよ。俺は責任というものを感じるんだ。なあキズキ、俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。

これは人の話だけど、日本にも当てはまる。日本は今後少子化で経済的にも厳しいけれど、それでも生きていかなくちゃいけない。まぁまぁタフな未来だとしても。

あるいは、tik tokで、たまたまaviciiの歌を歌ってる人がいた。the nightだった

He said, “One day you’ll leave this world behind
So live a life you will remember.”

「いつかおまえもこの世を去る時がくる。だから、思い返してよかったと思える人生にしなさい」

 

そう歌ったaviciiも2018年に命を終えた。なんなんだよ、と思った。

とはいえ丸裸で生きなければいけない、わけではない。人によって、自分を支える何かを持つ。それは、食べ物であったり、ゲームであったり、漫画だったり、歌だったり、小説だったり、好きな人だったり、家族だったり。

リバーフェニックスは、「人を救えるのは、周りの人のちょっとした言葉だと思うんだ」といっていた。そうかもしれない。そんなリバーフェニックスさえ今はいないけれど。

あるいは、タモリさんの言葉を思い出す。タモリさんが、小学校の同窓会に参加した。50年か60年ぶり。最後に、校歌を歌った。泣いた。最後に残るのは歌だ、とタモリさんがいった。という話。

歌は人を救うのかもしれない。そんな時に思い出すのは、This is meだったり。

 

あるいはMattのダンスだったり。

 

人の言葉なら、ジョブズの言葉を思い出す。レンガで頭を殴られたような衝撃を受けても、ジョブズはそれを薬だったという。そんなジョブズも今はいないけれど。なんだよ、いない人ばっかりじゃないか。

 

あるいは我武者羅応援団の話とか。

あるいは経済だけが幸せの指標でもない。

最近、アドレナリンとオキシトシンの幸せの話をきいた。若いうちは、刺激的な微々で幸せを感じる(アドレナリン)。ただ、年をとっていくと人のつながりに幸せを感じる(オキシトシン)。

それが正ならば、必ずしも経済性が幸せの尺度と限らない。日本ならではの、貧乏になる国ならではの幸せがあるのかもしれない。それは、まさに日本の東京とローカルの関係性にあるような。

私は大学時代に、今後、経済的に弱くなる日本がグローバルで戦っていくにはどうすべきかという研究をしていた。それがブランド国家だった。その結論としては、日本が持っている価値観で、グローバルで一定の層の支持をえて、その人たちの税金や支援金で生きるという結果だった。経済的に外貨を獲得できない国は、価値観からの支援を受けるしかない。

ただ、あるいは年老いていく国ゆえの妙味もあるのかもしれない。カズオイシグロの日の名残り。以下の言葉を私はメモしている。

夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ」 「たしかにおっしゃるとおりかもしれません」と私は言いました