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無(最高の状態)を読んだ★★★

無(最高の状態)

めちゃ面白かった

>心配事の 97%は起こらない

この一言で、いろいろ気が楽になるファクト。
世の中を幸せにするで賞

>ネガティブの強さは、状況によってポジティブの3~ 20 倍の範囲で推移します。「出かける日に雨が降った」や「転んでケガをした」ぐらいの日常的な不幸なら、ネガティブの強度はポジティブのおよそ3倍。友人や恋人とのケンカのように対人関係がからむ問題なら、ネガティブの強度は5~6倍。虐待や事故といったトラウマ的な出来事の場合、ネガティブの強度は 20 倍以上まで跳ね上がります

データで見せられると面白い

>「情熱的な愛、精神的な昂り、新しい所有の喜び、成功の爽快感。すべての望ましい経験は、いずれもそのとき限りのものである。この点はいくら強調しても足りない」(4)  この現象を、心理学では「快楽の踏み車」と呼びます。ホイールの中を走るハムスターが決して前に進めないのと同じように、人間の喜びも同じ位置にとどまり続ける事実を表した言葉です。 「快楽の踏み車」の存在は何度も実証されており、特に有名なのは、1978年の研究でしょう(5)。これは宝くじの当選者を調べた古典的な研究で、彼らの心理を調べたところ、大半の被験者は当選の直後にしか幸福度が上がらず、半年後にはほぼ全員が元の精神状態に戻っていました。数千万から数億円の賞金を手にしても、私たちの幸福は高止まりしないよう
>アパートに引っ越したうれしさは平均3カ月で色褪せ、給料が上がった喜びも半年で消失、好きな相手と恋仲になった幸せも6カ月で薄らぎ、およそ3年でベースラインに戻ります(6)。大金を手にしても、住む場所を変えても、愛する人と結ばれても、その喜びは常にうたかた

幸せは、高止まりしない。流れていく

>結論から言えば、すべての状況は「あなたのニーズが満たされない状態」としてまとめることができます。  他人に言うことを聞いて欲しい、友人の反応を知りたい、同僚を信頼し続けたい、物知りだと思われたい、がんばりを報われたい……。  表に現れた感情はそれぞれ違えど、何の不満もない状態でただネガティブな感情を味わい続ける人はいないでしょう。根っこにはどれも「大事なものが失われた」や「必要なものが足りない」といった感覚があるはずです。すなわち、私たちの「苦しみ」は、あなたに〝不足〟を知らせるメッセンジャーとして機能してい

不満はモチベーター

>過去の失敗や未来の不安を何度も頭のなかで繰り返す心理のことです。  反芻思考のダメージは計り知れず、複数のメタ分析で鬱病や不安障害との強い相関が出ているほか、反芻思考が多い人ほど心臓病や脳卒中にかかるリスクが高く、早期の死亡率が高まる傾向も報告されています(4)。いつも頭の中で否定的な思考やイメージが渦巻いていたら、ほどなく心を病んでしまうのは当然

反復は危険。

>前頭葉が起動するまでの時間は平均で4~6秒で、そこから 10 ~ 15 分も経てばアドレナリンやノルアドレナリンの影響力はほとんど消えてあなたの怒りは鎮まります。つまり、暴言を受けてから6秒だけやりすごせれば、〝一の矢〟の痛みは過ぎ去るわけ

いらっとしたら6秒我慢は化学的に正しい

>思考とイメージを増大させ、最後に苦しみをこじらせる生き物なのです。  事実、多くの先行研究では、自己にこだわる人ほどメンタルを壊しやすい傾向が何度も報告されてきました。専門的には「自己注目」と呼ばれる状態で、「私はダメな人間だ」や「私は失敗ばかりだ」などの否定的な思考が良くないのは当然として、「私はどんな人間なのだろう?」や「本当の自分らしく生きることができているだろうか?」といったように、理想の自己を思う時間が長い人も不安や抑鬱の症状を起こしやすいことがわかっています(

 >北イリノイ大学の認知科学者ジョン・スコウロンスキは、人類に自己が備わったのは 25 万年前から5万年前頃だと推定しています(7)。  人類の祖先であるホモ・エレクトスが、それまでの 30 ~ 50 人単位の暮らしをやめて150~200人の集団で暮らすようになったのはおよそ 40 万年前のことです。

めちゃ面白い。自己は最近、発明されたものであると。

>ゲームにのめり込んで時間が瞬く間に過ぎたり、小説の世界に没入してただ文字を追ったり、気の合う仲間との会話が盛り上がったりといった体験を思い返せばわかりやすいでしょう。そこには自己の感覚などなく、あたかも目の前の出来事と一体化したような感覚だけがあったはずです。  同じように、リラックス状態でも自己はほとんど発生しません。温かいお風呂に入ったときや、美しいビーチでのんびりしたとき、就寝前にゆったりした音楽を聴いたときなど、どの体験にもやはり「わたし」はなく、あなたはただ環境のなかに存在しているような心持ちを味わうでしょう。意識が完全に現在へ向かった状況では、ただ目の前の世界で起きる情報を処理すれば良く、過去や未来に思いをはせる必要がありません。そのおかげで、わざわざ自己を起動させずに済むのです

自己のない状態。

>以上の知見をもとに、現代の神経科学者や心理学者は、私たちが知覚する〝現実〟の大半は、脳が生んだ物語で構成された〝世界のシミュレーション〟だとみなしています

面白いなー。シュミレーション仮説とは違うものの。

>ここで本当に興味深いのは、視床から視覚皮質に向かう情報の経路より、高次機能から視床に向かう経路のほうが 10 倍も多いという事実です。言い換えれば、私たちの脳の構造は、網膜からインプットされる生の情報よりも、高次機能が作った〝物語〟を格段に重視する設計になっています

面白すぎる。人は物語をそこにみる。

> まずアメリカ人を襲う幻聴は、日本と同じくネガティブな言葉がほとんどです。「死ね」「殺す」「最悪の人間だ」のように、暴力と憎しみに溢れたフレーズが大半を占めていました。  一方、ガーナやインドの農村部に住む者が聞く幻聴は、「正しく生きよ」や「良い日が来る」といったポジティブな内容が混ざり、声の調子もおだやかなものがほとんどだったそうです。おかげで患者たちは統合失調症でもQOLを損ないにくく、症状の寛解スピードも早い傾向がありまし

病気さえも文化によって変わる

>ささいなスキルのように思えるかもしれませんが、ここ数年の研究で、「感情の粒度」がメンタルの安定に大きく関わることがわかってきました。「感情の粒度」が高い人たちを調べたジョージ・メイソン大学などのチームは、感情の言語化がうまい人たちは総じてセルフコントロールがうまく、アルコールやドラッグに依存しにくいうえに病気にもかかりにくいと報告しています(7)。  その理由は、感情の粒度が高いほど脳が混乱しづらくなるから

 また、新しい単語を学ぶだけでなく、「穴の中に落ち込むような孤独」や「豚のように肥えていく孤独」といった比喩表現に触れるのも効果的です。目新しい表現に出会う度に、「この言い回しは過去の私の感情に当てはまらないだろうか?」と考えてみると良いでしょ

不安定にならないためには、言語化が重要

>もうひとつ、未知の外国語に触れるのも有効で、たとえばイヌイット語では「誰かを待つ期待感」のことを「イクツアルポーク(Iktsuarpok)」と呼び、ヒンディー語では「愛する人との別れにともなう心の痛み」を「ヴィラアグ(Viraag)」と表現します。

かっこいいな。

>結果、不快を受け入れた参加者は「苦しみ」の認知が大きく変わり、運動の辛さに抵抗したグループと比べて主観的な辛さが 55%も低下し、疲れて動けなくなるまでの時間が 15%増加しました。この結果をもとに、チームは「不快を受け入れること」の効果を強調してい

受け入れることで、ストレスは減る。

> 過去の失敗もまた積極的に降伏すべき対象のひとつです。失敗の反省は良いことのようですが、ノースイースタン大学などの調査では、過去の過ちを何度も省みる人ほど自己破壊的な行動が増え、アルコール依存や過食に走りやすい事実があきらかにされています(7)。おそらく失敗の記憶が脳に慢性的なストレスをあたえ、現実逃避のモチベーションを高めるのでしょう。この問題を解決するには、過去の失敗が変えられないことをアクティブに認めるしかありませ

科学的にも、過去の失敗は、もう忘れるのが一番。

>その証拠に、ピダハン族は実際に見聞きしたことしか話さない傾向があります。  魚を捕った。カヌーを漕いだ。子どもと一緒に笑った。友がマラリアで死んだ。  彼らの会話はどれも現実にあった即物的なテーマにもとづき、架空の話はほとんど見られません。「もっとお金を持っていたら」や「あのとき別の行動をしていれば」といった話題を持ち出さないのです。  言い換えれば、ピダハン族の会話には過去と未来が存在しません。おかげで明日のことをくよくよと悩まず、過去の失敗にとらわれもせず、ただ目の前の現在だけを楽しめるわけです。  そのため、彼らは特定の宗教を持たず、精霊や祖先

理想的や。

>では、座禅や瞑想に関する過去の研究から3515人分のデータをまとめ、「自分の思考や感情を観察するトレーニングを8週間続けると、不安と抑鬱症状には0・3、痛みには0・33 の効果量を持つ」と報告しました(7)。効果量は観察のメリットを数値に換算したもので、0・3ポイントという数字は一般的な薬物治療に相当するレベルです。薬剤を使わずに同等の効果を得られるなら、試す価値は十分にある
> 取り組み時間の目安は一日3分から始めましょう。ある研究では、 51 人の学生に日常の家事にできるだけ意識を向けるよう指示したところ、3~5分程度でも日中の緊張感や不安が減ったと報告されています( 17)。一回3~5分の作務が続くようになったら、また別の手法に取り組んでみて

観察の価値

>・モチベーションの低下  ワシントン大学の実験では、 15 分間の瞑想を行った被験者は、普通に休憩を取ったグループよりも、作業へのモチベーションが約 10%低下しました(9)。これは瞑想によって自己の感覚が薄れたせいで、未来への目標に向かう気持ちが下がったものと考えられ

瞑想のネガティブ効果

>あるトレーニングのなかでも心を落ち着かせる効果が高いとされ、たとえばアイオワ州立大学のテストでは、496人の学生に「大学の構内を歩きつつ、すれ違った人たちの幸せを願ってみてください」と指示したところ、 12 分の実践で不安とストレスの大幅な減少が認められました( 24)。普段は何とも思わない通行人の幸福を願うことで、縁起性の感覚が高まった

人の幸せを願うとストレスが減る

>無我に至った人間は何者になるのか? いかなる心持ちを抱き、どのように行動するのか?  この疑問については、過去に多くの賢人が体験談を残してきまし
〜 西洋にも同じような証言は多く、イギリスの思想家アラン・ワッツは、LSDという幻覚剤を摂取した後に自己の消失と大いなる幸福感を味わい、「すべての差異がなくなったようだ」と報告しました。ハーバード医学校の脳科学者ジル・ボルト・テイラーは、 37 歳のころに脳卒中で自己認識に関わる脳機能を失った直後から「あたり一面が平穏な幸福感に包まれているような感じ」を体感。この状態を、「脳のおしゃべりが止まった」と表現しています(4)。  似た証言はほかにも無数に存在し、たいていは自己が消えたあとで独特の一体感や安心感が生まれ、人生の悩みが消えて強い幸福感を得たと報告するのが定番のパターンです。本書のタームで言えば、自己を定義してきた物語がはがれ落ち、そのおかげで精神機能が広がった状態と言える

無我の境地ってどんなでしょ

> 観察の訓練が不安の改善に役立つのは前章で見た通りですが、ダービー大学などの試験では幸福度の上昇も確認されています(7)。これは、日本、タイ、ネパールなどから平均で 25 年間をかけて毎日のように瞑想を続けてきた僧侶を招いた調査で、当然ながら、実験前の段階ですでに全員が高い幸福度と智慧のレベルを維持していたそうです。  研究チームは、すべての参加者に「縁起性」(前述の こちら)にまつわる瞑想を行うように指示し、実験前に測ったベースラインとの比較を行いました。すると、もとから高かった参加者の幸福度がさらに上昇し、ポジティブな感情と他者への慈悲心がそれぞれ 10%と 16%ずつ上昇、逆にネガティブな感情は 24%低下し、物事への執着心も 10%減ったのです。  筆頭著者のウィリアム・ヴァン・ゴードンは、こう指摘します。 「主観的な幸福の向上
>アムステルダム自由大学による実験によれば、参加者がたった5分の観察トレーニングを行っただけでも、共感力と他者の感情を見抜く能力が 10 ~ 20%の範囲で高まったとのこと( 12)。ノースイースタン大学の実験でも、一日 20 分の観察トレーニングを8週間続けた男女は、何もしなかったグループに比べて他人のトラブルを助けたり、私生活に悩む人たちの話を聞いたりという利他的な行動の量が500%も増加しました(

瞑想による価値

>・客観的な判断がうまい=数十件を越す研究により、自己にとらわれない者ほど客観的な判断を下すのがうまい傾向が確認されました(9)。無我で判断力が上がるメカニズムはまだ不明ですが、多くの研究者は、観察スキルで自己が薄れたおかげで「うぬぼれ」や「傲慢さ」が消え、主観に飲み込まれない判断が可能になるのだと考えてい
>・情報処理の質が高い=無我にいたった者は感情と思考に流されにくく、固定観念に頼らずに本当に必要な情報を識別しやすいようです。と同時に、外部からのプレッシャーにも影響を受けないため、その分だけ不安や焦りなどを感じずに情報を取り扱うこともでき

自己にとらわれないと意思決定の質も良い

>取り組みましょう。  逆説的なことを言い出したように思われそうですが、近年の研究では、幸福を追い求めるほど実際には幸福度が下がってしまう現象が何度も確認されています。たとえば、デンバー大学などの2011年の研究では、参加者に「普段どれぐらい幸福を大事に考えているか?」をたずねたうえで、過去 18 カ月に体験したストレスと比べました。すると、幸福を重視する者ほど人生の満足度が低く、逆にストレスも高い傾向が見られたのです( 16)。また別の研究でも、320人の男女に数週間にわたって日記をつけさせた結果、やはり幸福感を重視する者ほど孤独感に襲われやすく、鬱病になる確率も高い傾向が見られました(
>このような現象が起きるのは、 19 世紀の哲学者J・S・ミルが指摘した「幸福を直接の目的にしない場合に、かえってその目的が達成される」ようなメカニズムが、人間の中に存在するからです。それもそのはずで、いつも幸せのことばかりを気にしていたら、「私は理想よりも幸せだろうか?」や「私は昔より不幸になったのではないか?」などの気持ちが浮かび、常に意識が自己に向かってしまうでしょう。幸福を求める気持ちが、あなたを「自己注目」( こちら)の罠に誘い込むわけ

幸福を負いすぎてもNG

限りある時間の使い方を読んだ★★

限りある時間の使い方, オリバー・バークマン、高橋璃子

> 社会史研究者のルース・シュウォーツ・コーワンは、著書『お母さんは忙しくなるばかり 4』のなかで、洗濯機や掃除機といった「省力化」のための家電が、実際にはまったく家事を楽にしなかったと指摘する。なぜかというと、家事のレベルに対する社会の期待値がぐんと上がり、家電による省力化のメリットを相殺してしまったからだ

めちゃめちゃ面白い
家電は人を楽にはしなかった

>「仕事の量は、完成のために利用可能な時間をすべて満たすまで膨張する」という有名な法則がある。1955年にシリル・ノースコート・パーキンソンが提唱した「パーキンソンの法則 5」だ。これはただのジョークではないし、仕事に限った話でもない。  どんなタスクも、時間があればあるだけ勝手にふくらんでいくものなのだ。正確には「やるべきこと」の定義がどんどん広がっていくといってもいい。  こういう皮肉な傾向の典型例が、 20 世紀に発明された恐るべき道具、電子メールだ。  電子メールを使うと、地球上のあらゆる人が、いつでも好きなときに、ほとんどコストをかけずに、仕事中はもちろん週末までも、あなたの顔の前やポケットの中にあるデジタル機器に呼びかけることができる。この仕組みのインプット側、つまり受信できる電子メールの数は、ほとんど無限大だ。しかしアウトプット側、つまり実際に読んだり、返信したり、あるいは熟慮のうえ削除したりできるメールの数は、とても限られている

>必要なのは効率を上げることではなく、その逆だった。  すべてを効率的にこなそうとするのではなく、すべてをこなそうという誘惑に打ち勝つことが必要だったの

とてもわかる。

>今ここで感じていることに意識を集中させた。そうすると、冷たさを感じても、苦痛にのみ込まれずにすむのだった

日本」の滝行での話。

>2015年にカーネギーメロン大学の研究者がおこなったおもしろい研究がある 13。研究者らは結婚しているカップルを集め、2カ月のあいだ通常の2倍の頻度でセックスをしてもらった。そうして2カ月後にカップルの幸福度を調べた

まったく幸せにならなかったそうだ。頑張りすぎても意味がない

>つまり同時に休暇をとる人の数に比例することがわかった。みんなが同じタイミングで休暇をとったほうが、みんな幸せになる

バラバラでとっても駄目

脳科学は人格を変えられるか?を読んだ★★

脳科学は人格を変えられるか? (文春文庫), エレーヌ・フォックス、森内薫を読んだ

>楽観的な人の心は、ポジティブなものに強く引かれると同時に、ネガティブなものを巧みに遠ざけている。悲観や不安を抱きがちな人と楽観的な人とでは、認識のスタイルが根本的に異なっているのだ

幸せは注意の向き先によって変わるという話と同じ。

>楽観と悲観はどちらも、「人がどんな遺伝子をもっているか」「どんな出来事を経験するか」「世界をどのように見、解釈するか」の複雑なからみあいから生じる
>オーストラリアのメルボルン大学のブルース・ヘディとアレクサンダー・ウェアリングは一九八九年に発表した研究の中で、「人がどんな経験をするかは気質に影響される」ということを示唆した

悲劇は、精確によるもの。

>楽観主義(オプティミズム)という言葉本来の意味は、この善きものを信じる思いにずっと近い(6)。わたしたちが今日「楽観主義」といって思い浮かべる「バラ色のメガネをかける」とか「明るい面ばかりを見る」などのイメージは、もとの意味からはかなり遠ざかっているのだ。  ラテン語で「可能なかぎりの最善」を意味する「オプティマム」に由来する「オプティミズム」は、ドイツ人の哲学者にして数学者のゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(一六四六~一七一六)が考えた概念だ。ライプニッツによれば、神は可能なかぎり最善の世界を創造した、だから、それをさらに改善することはできない。つまり、オプティミズム本来の意味においては、「ものごとの明るい面」だの「グラスに水が半分 も ある」だのの概念は無縁なのだ。  本来のオプティミズムとはだからむしろ、世界を善悪こみであるがまま受け入れ、なおかつ、そこに潜むネガティブなものに屈しないことだ。

「世界を善悪こみであるがまま受け入れ、なおかつ、そこに潜むネガティブなものに屈しないことだ。」という幸せのスタンスはマッチョ。

>デーヴィッドソンと同僚のジュリー・ブレフツィンスキ=ルイスの研究によれば、注意集中法で瞑想を実践している人は、集中したり、気が散るのを防いだりする脳の回路がたしかに強くなっていた( 14)。二人は、平均一万九〇〇〇時間の瞑想を実践したエキスパートらに実験に参加してもらい、瞑想の初心者と比較した。予想通り、邪念を遠ざけるのを助ける前頭前野の回路は、瞑想のエキスパートのほうがずっと強く、彼らは瞬時に集中モードにスイッチを入れることができた。興味深いことに、瞑想の実践をもっとはるかに多く、平均で四万四〇〇〇時間も積んだ超エキスパートの場合、回路がそれほど活性化されなくても邪念をはねかえす力や集中する力は他の修行僧よりはるかに強いことが判明した。

瞑想でポジティブに

>これが、〈マインドフルネス認知行動療法〉として知られるようになる手法だ。シュウォーツが人々に訓練したのは、ストーブを消したかどうかチェックしたいという衝動と闘うことではない。そうした症状を、〈憂慮すべき何か〉として認識するのをやめ、脳内回路の失調のあらわれとしてとらえ直すことを彼は患者に教えたのだ。  シュウォーツはこの分野の先駆け的な研究の中で、被験者に一〇週間のマインドフルネス認知行動療法を施し、療法の開始前と終了後の二回、脳スキャンを行った( 16)。その結果、療法を受けた後では眼窩前頭皮質の活動があきらかに低下していたことがわかった。療法によって、強迫行為への衝動が弱まったのに加え、脳のエラー探知システムが活動過多でなくなったおかげで、被験者はなんとかふつうに生活を送っていけるようになった。これはすばらしい進歩だった。標準的な認知行動療法は強迫性障害にはほとんど効果をもたないものだが、マインドフルネス瞑想法を組み合わせたことで、大きな成果が得られたのだ。

認知療法行動が、強迫観念に意味がある

>標準的な八週間のプログラム終了後に測定を行うと、マインドフルネス法の瞑想を実践した被験者には、脳の活動にも免疫機能にもプラスの変化が認められた。脳の活動の左右の偏りについては、頭につけられたすべての電極にではないが、すくなくともいくつかの電極に、右から左への活動の移行が見てとれた。ハッピーで楽観的な人に典型的に見られる脳活動のパターンは、瞑想によってたしかに強められていた。また、マインドフルネス法の瞑想を実践した人の体内では、実践しなかった人に比べてインフルエンザの抗体が非常に多くつくられていたこともわかった

インフルエンザの抗体まで!

>いいかえれば、脳の緊急領域が警報ベルを鳴らしっぱなしになっていたわけだ。こうして神経科学的に確認されたのは、その昔ブッダが説いたのとまったく同じことだった。自分の感情にラベルを貼り、単に注意の向かう〈対象〉として扱えば、ネガティブな経験をもある種超然とした立場から眺められるようになるのだ

ラベリングが重要とは聞く。

>だから、状況を自分でコントロールできること──あるいはコントロールできると感じること──は、幸福度を左右する重要な要素なのだ。困難な状況におちいっても、状況をわずかでも自分で制御できると信じれば、対処しようという気持ちはおこりやすい。猛スピードで走る自転車の後ろの荷台や、横滑りしている車の助手席に座っているときの恐怖を思い浮かべてほしい。もし自分が運転をしていれば、恐怖心はいくらかなりとも緩和されるはずだ。それは自分が状況を制御しているという感覚が、自信を与えてくれるからだ。ラットを使った実験からも、自分で制御がきかない状況は、胃潰瘍などストレスになりやすい

コントロールできると感じること。
会社の理不尽なストレスで、体調崩すのは逆にコントロールできないから?

>もうひとつ重要な発見が、科学的な研究からもたらされている( 31)。それは、人がほんとうの意味で幸福になれるのは次に述べる三つの要素があわさったときだけだということだ。ひとつ目は、ポジティブな感情や笑いを数多く経験すること。ふたつ目は、生きるのに積極的にとりくむこと。そして三つ目は、今日明日ではなくもっと長期的な視野で人生に意義を見出すこと

ふーむ


・カップルでポジティブ比は1:5。ポジティブ5でネガティブ1。そのエピソードの割合が重要。

マインドセット:「やればできる!」の研究を読んだ★

マインドセット:「やればできる!」の研究, キャロル・S・ドゥエック、今西 康子

>死ぬ前に『自分は可能性の限りを尽くした』と言って死んでいきたい──母を亡くしたとき、そういう張りつめた思いに駆られた

>伝説的なバスケットボールコーチ、ジョン・ウドゥンは、 失敗を何かのせいにしないかぎり、その人は失敗者ではない と語る。つまり、 自分が間違いを犯したことを認めることができれば、そこから教訓を得てまだまだ成長していける ということなのだ。

>アメリカの女子プロテニス選手、ビリー・ジーン・キング(キング夫人) は、「人生を振り返ったときに何と言いたいか、それですべてが決まる」と

上記、全部、いい話や。

>著名な教育心理学者、ベンジャミン・ブルームは、ピアニスト、彫刻家、オリンピック水泳選手、世界的テニスプレーヤー、数学者、神経学者など、ずば抜けた実績を持つ120名についての調査を行なった。それによると、その大多数が幼少時には凡庸な子で、本格的な訓練を受けるようになるまで、きわだった才能は見られなかったという。思春期初期の段階でもまだ、将来の成功を予見するのは難しかった。さまざまな人びとに支えられながら、たゆみない努力と精進を重ねてはじめて、頂点にまで上りつめることができたのである。  ブルームはこう結んでいる。「米国および他の国々の学校教育について、 40 年間にわたる綿密な調査を行なった結果、まず第1にわかったのは、 学習できる環境があるかぎり、世界中のほとんどだれでも能力を伸ばすことが可能だ ということで

人間の成功は才能ではなく後天的な努力

エフォートレス思考を読んだ★

エフォートレス思考 努力を最小化して成果を最大化する, グレッグ・マキューン、高橋璃子

いい本。

>問題は、どんなにやる気があっても、リソースが限られていることだ。本当に大事なことで成果を出したいと思うなら、働き方と生き方を根本的に変える必要がある

やる気は無限ではない。時間やお金と同じで限られている。

>まず、ベッドに入る1時間前には電子機器をすべて切っておく。寝る前に熱いシャワーを浴びる。そしてベッドに入る時間は、疲れているかどうかにかかわらず毎晩一定にする。  そのうえで、心拍数、ベッドの中にいる時間、眠った時間、眠りの質、レム睡眠の割合を測定した。

そうしてノンレム時間を改善した。

>編集者のピーター・カウフマンは「世界のしくみをすべて理解したい」と考えていた 4。普通なら、そんな目標は無謀すぎると思うだろう。ほとんどの人は、やる前からあきらめるはずだ。  だが、彼は近道を見つけた。科学雑誌『ディスカヴァー』の巻末インタビューを144冊分すべて読みあさったのだ。インタビューは一般の読者向けに、科学のトピックをわかりやすく簡潔にまとめたものだった。具体例や魅力的なストーリーに満ちていて、科学の知識がなくても楽しく読むことができた。  まもなく彼は、学んでいる内容が3つのバケツに分けられることに気づいた。  第1のバケツは、無機物の宇宙。宇宙の始まりから130億年以上にわたる、もっとも古くて大きなデータセットだ。第2のバケツは生物学、つまり地球上のすべての生き物だ。これは期間でいえば約 30 億年分。そして第3のバケツは人類の歴史、つまりヒトが存在してきた比較的短い期間である。  彼はそれから、3つのバケツの共通点を探した。すべてのバケツを説明できるような、一貫した原理はないかと考えたのだ。  第1のバケツで、彼はニュートンの「運動の第三法則」を見つけた。「すべての作用には、反対方向に同じだけの力ではたらく反作用がある」というものだ。つまり、何かに力を加えれば、同じだけの力がこちらにも返ってくる。  第2のバケツには、マーク・トウェインの「猫の尻尾をつかむ者は、必ず引っ掻かれる」という法則が入っていた。  第3のバケツにも、「あなたが人に接するように、人はあなたに接する」という似たような例が入っていた

面白い。世の中の真理は、反作用の法則。

>その共通点を、彼は「鏡像作用」と名づけた。つまり「人は自分が与えたものを得る」ということだ。この原理は日々のさまざまなことに応用できる。お礼状を送れば、それが返ってくる。誰かに心からの笑顔を向ければ、相手も笑顔を返してくれる。会話の中で有益な情報を提供すれば、相手もあなたに情報を返してくれる。  ある実験では、鏡像作用について調べるために、600人近くの見知らぬ人に手書きのクリスマスカードを送った 5。それぞれのカードには、短いメッセージと家族の写真を添えておいた。すると、すぐに見知らぬ人たちから返事が届いた。その数は全部で200通近くにもなったそう

いい話。こんなブログかyoutubeしたい

>テスラ社とスペースXの創業者イーロン・マスクは、機械工学や宇宙工学を専門的に学んできたと思われがちだ。だが実をいうと、これらのベンチャー企業を立ち上げたとき、彼はどちらの分野についてもあまり詳しくなかった。  どうやって複雑な新しい分野をすばやく脳にインプットしたのだろうか。ある人がマスクにたずねた 6。 「あなたがたくさんの本を読み、たくさんの賢い人を雇い、彼らの知識を吸収していることは知っています。ですが、あなたは世界中の誰よりも多くの知識を頭に詰め込む方法を知っているように見えます。その秘訣は何ですか?」  すると、マスクはこう答えた。 「知識を一種のセマンティック・ツリー(意味の木)として捉えることが重要です。そして枝葉・詳細を見る前に、まず幹や大きな枝、つまり土台となる原理を理解しておくんです。そうしないと枝葉をつなぎとめるものがありません

イーロンマスクの勉強法

>■ リンディ効果を利用する 15  本の寿命は、その本の年齢に比例する。本が古ければ古いほど、その本が将来にわたって生き残る可能性が高いということだ(これをリンディ効果という)。だから本を選ぶときは、長く読まれている本を優先するといい。

ノルウェイの森の長沢さんもいってた

>ウォーレン・バフェットは、従業員やビジネスパートナーを選ぶ際に、信頼を測る3つの基準を用いている 3。  その3つとは「誠実さ(Integrity)」「知性(Intelligence)」「自発性(Initiative)」だ。頭文字をとって「3つのIの法則」と呼ぼう。3つとも大事だが、何よりもまず誠実さがなければ、ほかの2つが裏目に出ることもある

最強の集中力 本当にやりたいことに没頭する技術,を読んだ★★★

最強の集中力 本当にやりたいことに没頭する技術, ニール・イヤール、ジュリー・リー、野中 香方子

これも面白かったー。示唆多し

>● あらゆる動機は、不快なことから逃れたいという欲求である。ある行動が安心をもたらすことを知ると、往々にして、それを苦痛から逃れるツールとして使い続けてしまいがち

面白い。

>そうなった背景には単純な理由がある。レビュー・オブ・ジェネラル・サイコロジー誌に掲載された研究が述べるように、「もし満足と幸福感が永久に続けば、さらなる利益や進歩を求めようとする意欲はほとんど湧かなかっただろう(注3)」。言い換えれば、満足することは、人類にとって良いことではなかった。私たちの祖先が懸命に働き、努力し続けたのは、進化によって常に不安を感じるようになっていたからであり、そのおかげで私たちは今も生きている。

人の幸せは継続しないのは、それだといきていけなかったから。

>一つ目の要因から始めよう。それは「退屈」だ。人は、退屈を避けるために、場合によっては文字通りショッキングなことまでやってのける。2014年にサイエンス誌に掲載された研究では、被験者に部屋の中で座って 15 分間考えることを求めた(注4)。部屋は空っぽだったが、唯一、自分で自分を感電させる装置が置かれていた。軽い感電だが、痛みが伴う。「いったい誰がそんな物を使うのだろうか?」とあなたは思うはずだ。  実験前にそれを使うかどうか尋ねると、被験者は皆、金を払ってでも使わない、と答えた。しかし、その装置しかない部屋に一人残され、ほかに何もすることがないと、男性の 67 パーセント、女性の 25 パーセントが自ら感電し、しかも多くの人は何回もそれを繰り返した。論文の著者たちはこう結論づけた。「人は思索より行動を好む。たとえその行動がきわめて不快で、通常なら金を払ってでも避けることであっても。人は一般に孤独な状況を好まない」。そういうわけなので、アクセス数の多いウェブサイトの大半が、ショッピングや有名人のゴシップといった、退屈な仕事から逃げるための刺激を売り物にしているのは驚くに当たらない。

退屈がそんなにおそろしいものだとは。

>ロシアの文豪ドストエフスキーは1863年に、「シロクマのことを考えないという難題を自分に課せば、シロクマが絶えず頭に浮かんでくるだろう(注2)」と書いた。その124年後、社会心理学者ダニエル・ウェグナーは、ドストエフスキーの主張が正しいかどうか実験した。  被験者は、5分間シロクマのことを考えないように、と指示された。すると彼らは平均で1分間に1回、シロクマのことを考えた。まさにドストエフスキーが予言した通りだ。しかし、ウェグナーの実験はそれだけでは終わらなかった。同じグループの被験者と最初の実験には参加していない別のグループに、今度はシロクマのことを思い浮かべるよう指示すると、後者より前者のほうが、シロクマのことを思い浮かべる回数がずっと多かった。「この結果は、最初の5分間に考えないようにしたせいで、心の中でリバウンドが起きて、より頻繁に考えるようになったことを示している」と、ウェグナーはモニター・オン・サイコロジー誌に掲載された論文に書き(注3)、のちにこの傾向を「

考えないと考えたことがよけいに考えることになる。
悪いことの悪循環。

>実は、渇望に影響したのは、最後に喫煙してからの時間ではなく、次に喫煙できるまでの時間だった(注5)。もし、この研究が示す通り、ニコチンのように中毒性があるものへの渇望をコントロールできるのなら、他の不健康な欲求も、脳をだますことでコントロールできるのではないだろうか。ありがたいことに、その通りなのだ。

禁煙で苦しいのは、心理的な理由が大きい。

>  この注意散漫の罠を避けるには、「 10 分間ルール」が効果的だ(注3)。私はほかにすべきことを思いつかなくて、気を紛らわせるためにスマホのメールをチェックしたくなると、「それは悪いことではないが、今はその時ではない」と自分に言い聞かせる。そして何もしないで、 10 分過ぎるのを待つ。この方法は、執筆の手を止めて検索するとか、退屈な時にジャンクフードを食べるとか、「疲れすぎて眠れない」時にネットフリックスの番組の続きを見るといった、あらゆる注意散漫を防ぐ助けに

集中が途切れてスマホみたい時は10分後もみたいかを考えて、集中する

>仕事のつらさを何かでごまかそうとしてはいけない。仕事を楽しめないのは、仕事に向き合う真剣さが足りないからだ。仕事を余裕綽々 でこなしているうちは、真の楽しさは得られない」。つまり答えは、「仕事そのものに集中せよ」ということだ。

仕事に集中しなきゃとプレッシャーをかけるのではなく、仕事自体を好きになるべし。その方法例が以下

>メディアに夢中になるのと同じ神経回路を活用すれば、 楽しくない仕事にも、集中して取り組むことができる。
>楽しさとは、何かの中に、他の人は気づいていない「可変性」を探すことであり、 退屈と単調さを打ち破って、隠れた美を発見することである。

>パフォーマンスを向上させたのは、レモネードの中の砂糖ではなく、私たちの頭の中の思考だった。スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドウェックは、米国科学アカデミー紀要に掲載された共同研究において、自我消耗の兆候が認められたのは、意志力には限りがあると信じている被験者だけだった、と結論づけている(注7)。被験者の力を回復させたのは、レモネードの中の砂糖ではなく、砂糖の効果を信じる気持ちだったのだ。 意志力には限界があると考えない人々には、 自我消耗の兆候は見られなかった。  今でも多くの人が自我消耗という考えを支持しているのは、それを否定する証拠があることを知らないからだろう。だが、ドウェックの結論が正しければ、自我消耗説がまかり通っているのは由々しきことだ。というのも、人は実際にはまだ余力があるのに、自我消耗を言い訳にして何かを諦めてしまうかもしれないから

自分は集中力がある、意思があるという信念こそが、実際に集中を続けることができる。
意思は摩耗しない。

>自分を思いやり、失敗とストレスの悪循環を断ち切れば、 回復力 を高めることができる

自分への思いやりも重要。自己憐憫とは別

>自分には意志力と自制心が足りないと信じ込んでいると、その通りになる。自分には誘惑に抵抗する力がない、生まれつき欠陥があると自分に言っていると、実際にそうなってしまう。  ありがたいことに、自分が考えるすべてのことを信じる必要はない。人が無力になるのは、自分は無力だと思った時だけだ。

自分は意思が強い人間だと信じるのが重要。

>自分でコントロールできる唯一のものは、 そのタスクに注ぎこむ時間だけだ。

集中できるか、寝れるかなどは自分でコントロールできないので、時間をコントロールする。

>家族と友人は、私たちが人間関係、忠誠、責任についての価値観に沿って生きるのを手助けしてくれる。彼らはあなたを必要とし、あなたは彼らを必要とするので、彼らは単なる「残余受益者」よりはるかに重要だ。この「残余受益者」という言葉を私が初めて聞いたのは、大学の経済学入門の授業だった。ビジネスの世界における「残余受益者」とは、会社が負債などを整理して解散した時に、残ったものを分配される人々で、大抵の場合、多くは得られない。人生において、私たちが愛する人々はもっと多くを受け取るべきだが、私たちが時間配分を注意深く計画しなければ、彼らはまさに残余受益者になってしまう

めちゃめちゃ面白い
人生の時間の優先度を家族を先にしないと、残余受益者になる。
株の優先株とかの概念にも近い

>。ウォールディンガーは、「大切なのは、友人の数ではなく、……人間関係の質です」と警告

幸せは人間関係の質が重要

>私と友人たちは、多忙なスケジュールや育児疲れをものともせず、定期的に集まることにしている。私たちはそれを「キブツ」と呼んでいる。ヘブライ語で「集会」という意味で、私たち夫婦を含む4組のカップルが2週間に一度、戸外でランチを食べながら一つのテーマについて話し合う。ピクニックしながらの双方向型TEDトークのようなものだ。テーマは「親に教えてもらって、感謝していることは何か?」といった深い問いから、「ピアノなど、子どもがしたがらない習い事を、無理にでも習わせるべきか?」という現実的な問題までさまざまだ。  テーマを決めることには二つの利点がある。一つは、スポーツや天気などについての世間話ではなく、本当に重要なことについて話せることだ。もう一つは、カップルの集まりでは起こりがちな、男性はあちら、女性はこちらという性差による分裂を防げることだ。その日のテーマを決めておけば、全員が会話に参加できる

面白いな。やってみたい

>行動(B=behavior) を起こすには、動機(M=motivation)、能力(A=ability)、誘因(T=trigger) が必要、というのがフォグの行動モデルだ。簡単に表現すれば、B=MATで

>しかし、話はそれほど簡単ではない。ザ・ジャーナル・オブ・エクスペリメンタル・サイコロジー:ヒューマン・パーセプション・アンド・パフォーマンス誌に掲載された研究により、スマホの通知に気づきながら無視しようとすると、それらに反応するのと同じくらい注意散漫になることが判明した(
>スマホへの関心を抑制するのに駆り出され、目の前のタスクに集中できなくなるからだ」と記されている。スマホが視野にあるだけで、脳はそれを無視するために懸命に働かなくてはならない。しかし、スマホに容易に近づけないか、見えるところにそれがなければ、脳はタスクに集中できない。

スマホは通知を知るだけでもストレスになる。

>テキストメッセージによる介入が喫煙行動を減らすことを支持する十分な証拠」が見つかった(注

逆にテキストメッセージで禁煙支援などもできる

>このようなオープンオフィスは、アイデアの共有や協業を促進するとして推奨されてきた。だが、残念ながら、2016年に300件を超す論文を比較・分析したメタ研究によると、オープンオフィスの流行は、より多くの注意散漫を招いた(注 10)。当然ながら、そのせいで社員の満足度は下がった(注

オープンオフィスは集中力を下げる

>「オデュッセウスの契約」は、「将来の自分を拘束するために、設計、意図された自由意思による決定」と定義され(注6)、現在でも私たちはその種のプリコミットメントを利用する。病気や老化のせいで健全な判断ができなくなった場合に備える

これいいな。覚悟。もし実行できなければ、1万円を燃やすとか。

以下とかがツール

>現在、デジタル機器との努力契約を支援する製品やサービスが、続々と誕生している。例えば私は、パソコンで執筆する時はいつも SelfControl(セルフコントロール) アプリをクリックする。すると、たちまちフェイスブックやレディットといった、注意散漫をもたらすウェブサイトへのアクセスが遮断され、電子メールのアカウントも閉じられる(注2)。遮断する時間は、必要に合わせて設定できる。私の場合、大抵は 45 分から1時間だ。また、Freedom(フリーダム) という別のアプリはもう少し高度で、コンピューターだけでなくモバイル機器でも、気が散る原因をブロックする(注
>注意散漫を防ぐアプリの中でも、私が特に気に入って、ほぼ毎日使っているのは Forest (フォレスト) だ(注4)。スマホに邪魔されたくない時、私はそのアプリで、スマホを使わない時間を設定する。Plant(樹木) と書かれたボタンを押すと、画面に小さな苗木が現れ、タイマーがカウントダウンを始める。設定した時間にならないうちにスマホをいじると、そのバーチャルの苗木は枯れる。小さな木を枯らすことになると思うと、スマホを使うのが 憚 られる。その木は、自分と結んだ契約を思い出させるリマインダーなの

以下のような制約

>つまらない言い訳をしようとすると、いつもその100ドル札が、自分と自分の健康に対して結んだ契約を思い出させた。あなたの考えは想像がつく。「そんな乱暴な! お札をそんなふうに燃やしちゃいけない!」。それこそが私の言いたい点だ。私はこの「(カロリーを) 燃焼するか、(お金を) 燃やすか」のテクニックを3年以上使ってきた。その結果、筋肉が約5キロ増えたが、100ドル札は1枚も燃やしていない。
>「燃焼するか、燃やすか」のようなプライス契約は、やる気を短期的に高めたい時にはうまくいく。例えば、ジムへ行くとか、集中して2時間執筆するとか、タバコへの渇望を乗り越えるといった場合だ。しかし、プライス契約があまりにも長く続くと、人はそれを罰則と見なすようになり、タスクや目標を憎むというような逆効果を招く恐れがある。
>プライス契約を結ぶ時は、誰でも躊躇するものだ。 だが、とにかく契約を結ぼう

上記、いかに自分との契約が重要かという話。

>驚くべき結果だったので、研究者たちはその有効性を確認するために、別の選挙でも同じ実験を行った。結果は前回と同じで、「投票者」グループの投票率は、「投票する」グループを大幅に上回った。ブライアンはこう結論づけた。「投票が、単なる行動ではなく、自己の表出、すなわち人格の象徴と見なされると、人は投票する可能性が高くなる」  実際、自己イメージは行動に強く影響し、それは投票に限ったことではなく、アイデンティティーをうまく利用すれば、脳は、難しい選択や意思決定を容易にこなせるように

投票者と言われただけで投票率があがった。アイデンティティの活用が重要。

>では、注意散漫と戦うには、どのようなアイデンティティーを持てばいいのだろうか。それは、本書のタイトルが『Indistractable』(訳注*原書タイトル。注意散漫にならない、という意味) である理由を考えればわかるだろう。Indistractable な世界へようこそ。「自分は indistractable」と考えることによって、あなたは新たなアイデンティティーと、より強い力を得ることができる。またこのアイデンティティーによって、スケジュールを細かくタイムボクシング

自分の信じ込むことの重要性

>最近の研究は、職場や日常生活での世俗的な儀式には、絶大な効果があることを示唆している。ハーバード・ビジネス・スクールのフランチェスカ・ジーノ教授たちは、減量を望む人々を被験者として、儀式が自制(セルフコントロール) にどう影響するかを調べた(注8)。最初のグループは、5日間、食べるものに気を遣うことを求められた。第二グループは、食事前に3段階からなる儀式を行うよう指示された。その儀式は、まず食べ物を切り、次に切ったものを皿の上に左右対称に並べ、それぞれ食べる前に3回フォークかナイフで叩く、というものだ。ばかばかしい儀式だが、驚くほど効果があった。儀式のグループは、食事に気を遣ったグループより、カロリーも脂肪も糖分も、摂取量が少なかった(*)。ジーノ教授は語る。儀式は「時間の無駄のように見えるかもしれないが、私たちの研究が示唆するように、それらは非常に強力だ。長年の伝統でなくても、単純な儀式だけで、修練と自制に役立つこともわかった

儀式の価値。面白いな。なんかもう少しノウハウ化できないかな。

>第一の要因には、研究者たちが「職務ストレス」と呼ぶものが含まれる。そのストレスは、社員が高い期待に応えようとしても、結果が自分ではコントロールできない状況で生じる。スタンスフェルドは、この緊張はブルーカラーだけでなくホワイトカラーも感じると述べ、

「this is not my business」ととらえることが重要

Think clearly を読んだ★★★

Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法, ロルフ・ドベリ、安原 実津を読んだ。

めちゃめちゃいい本だった。また読み返したい

>頭の中で検討を重ねることに、意味がないわけではない。短期間でも集中して考えれば、とてつもなく大きな気づきがある。しかし、 時間とともに新たに得られる認識はどんどん小さくなり、すぐに思考は「飽和点」に達してしまう。  たとえば投資の決断をするときは、調査できる事実をすべて机の上に並べ、考える時間は三日もあれば十分だ。個人的な決断なら、一日でいいかもしれない。  キャリアチェンジするかどうかを決めるなら、長くても一週間。ひょっとしたら気持ちの揺れを抑えるための猶予期間も必要かもしれないが、それ以上長く考えても意味がない。行動を起こさなければ、新たな気づきは得られないのだ。

考える時間は3日も十分。キャリアの話でも1週間

>アメリカの心理学者でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが「ピーク・エンドの法則」 と呼んでいる法則がある。私たちが旅行に出かけたときの記憶に残るのは、その旅の「ピーク」と「終わり」だけで、残りは忘れ去られてしまう、という法則だ。  

つまり旅行は短くても長くても思い出観点では同じ価値かも?!

>頼みごとをつい引き受けてしまうのは、生き物の本能的な反応なのだ。  そう気づいた私は、対抗措置として、ウォーレン・バフェットのビジネス・パートナーであるチャーリー・マンガーが実践しているという「五秒決断ルール」をまねることにして

頼みごとされたら5秒で考える。そこでOKといえなかればNG

>理由はふたつ。ひとつ目は、状況に応じて何度も決断をくり返すと、判断力が鈍ってくる。専門用語でいえば「決断疲れ」 と呼ばれる現象である。  たび重なる決断に疲れた脳は、もっとも安易な選択肢を選ぶようになる。そしてそれは多くの場合、最悪の選択肢でもある。「誓約」が有意義なのはこの点だ。  誓約を立てると、毎回、「メリット」と「デメリット」を天秤にかけて決断する必要がなくなる。決断はすでに下されているため、それ以上、思考のエネルギーを使わなくてすむのだ。

自分は「週末に仕事しない」とかの制約が大事という話。

>ウォーレン・バフェットは、「事後交渉は受け付けない主義」

腹の探り合いは時間の無駄。

>先に列挙した「人生のマイナス要素」の中にいくつか欠けているものもある。「病気」「身体的障害」「離婚」だ。これらのことで受けたショックが、思っているほど長続きしない ことは、数多くの研究結果ですでに明らかになっている。  極端な例を挙げよう。無理もないことだが、半身不随になった人は、事故後数か月は自分が負った障害のことで頭がいっぱいになってしまう。当然、そのあいだは幸せには感じない。だが、その数か月が過ぎると、気持ちが落ち着いてくる。次第に日常の雑事が考えの中心を占めるようになり、障害に関することは頭の後方に押しやられる。離婚も同じような経過をたどる。数年も経つと、涙に暮れる最悪の時期は過去のことになっている。  ところが、アルコール依存、麻薬、慢性的なストレス、騒音、長い通勤時間などは──つまり最初に列挙したすべてのものには──慣れるということがない。

マイナス要素で、慣れるものと慣れないものを切り分けることが大事。

>結論。よい人生は、究極の幸せを求めた結果として得られるものではない。馬鹿げたことや愚かな行為を避け、時代の風潮に流されなければ、人生はおのずとうまくいく。「何を手に入れたか」で人生の豊かさが決まるわけではない。「何を避けるか」が大事なのだ。  ユーモアのセンスあふれるチャーリーは、こうも付け加えている。「一番知りたいのは私が死ぬ場所だ。そうすれば、その場所を常に避けていられる

不幸なのを避ければ、幸せになれる。

>周囲の人にこの質問をしてみたところ、もっとも多かったのは「個人的な成果が 60 パーセント前後、偶然による成果が 40 パーセント前後」という答え

>バフェットは、生まれたときに運命づけられるこうした格差のことを、「卵巣の宝くじ」と呼んでいる。アメリカの代わりに、もちろんドイツやスイス、そのほかの先進国をこの話に当てはめてみてもいい。あなたはこの質問にどう答えるだろうか?  私がこの質問をすると、ほとんどの人は「 80 パーセント前後」と答えた。私もそう答えた一人だ。  つまり私たちは、「私たちの収入のかなりの部分は、恵まれた国に育ったおかげで手に入った」と思っている。先進国に生まれることは、それほどまでに経済的な優位をもたらすものなのだ。  そう考えると、「生まれた場所」が私たちの社会的な成功の大きな要因になっていることは、明らかではないだろうか。 すでにあなたは、途方もない幸運に恵まれている  生まれたときに運命づけられる格差、前述の「卵巣の宝くじ」の対象になるのは、「生まれる国」だけではない。その国の、どの地域の、どの家庭に生まれるかも、自分で選べない。   現在のあなたに有利にも不利にも働くあなた自身の価値観も、ものの見方も、思想も、あなたが自分で身につけたものではない。  気がつけば入っていた「学校」という制度の中で、あなたが勉強を教えてもらった教師たちも、あなたが選んだわけではない。  あなたが病気で苦しい時期を過ごさなければならなかったのも、悲劇的な出来事が起きたのも(もしくは悲劇的な出来事に遭わずにすんだのも)、あなたに責任はない。  そうはいっても、あなたは「これまでの人生には、さまざまな役割をこなしながら自分自身で選び取ってきたものがある」と言うかもしれない。

こういう不平等をなくすビジネスしたい

>研究結果によると、 こうした面接は実はあまり意味がなく、面接者のそれまでの実績を 仔細 に検討したほうがよっぽど役に立つ らしい。  考えてみれば当然だ。「三〇分間の表面的な会話」と、「三〇年間の実績」のどちらにより説得力があるかはいうまでもない。自分の感情を分析するのは、自分で自分の就職面接を行うようなもの。まったく当てにならないの

面接では、実績をきくのが重要

>だが、マイアミビーチにいたときに、私がいまよりどのくらい幸せだったかというと、その度数は「ゼロ」だ。これが、「フォーカシング・イリュージョン」である。  ノーベル経済学賞を受賞した心理学者のダニエル・カーネマンは、次のように説明している。フォーカシング・イリュージョンとは「特定のことについて集中して考えているあいだはそれが人生の重要な要素のように思えても、実際にはあなたが思うほど重要なことでもなんでもない」という錯覚を表す言葉だと。  つまり、 人生における「特定の要素」だけに意識を集中させると、その要素が人生に与える影響を大きく見積もりすぎて

カリフォルニアは天気の良さが最高とかいうけれどそのような価値は実態件ベースでは、そこまで重要ではない。

>それでも、ヨットを買った経験はどうやら無駄ではなかったらしい。「ヨットを所有していて一番嬉しかったのは、買った日と手放した日だった」と彼は言った。  おわかりいただけただろうか。

> すばらしい経験を重ねることが、幸せな人生につながる。ついでにいえば、「結婚生活」においても大事なのはやはり、その生活を通してよい経験が得られるかどうかだ。

一緒にいて喜びを感じる人を「結婚相手」にするこよが重要。

>平凡からはほど遠い彼の著作『Risk Intelligence(リスクインテリジェンス)』(未邦訳)の中で、JPという名前のプロのバックギャモン(ボードゲーム)プレイヤーについて書いている。 「JPはわざといくつかミスをした。相手がその機会を活かせるかどうかを見きわめるためだ。そして相手がそれを巧みに利用してみせると、試合を打ち切った。見込みのない試合にエネルギーをつぎ込むのをやめるためだ。  つまりJPには、ほかのプレイヤーたちに見えていない

すごいな

> 「ほんの少しの華々しい時期を除けば、偉人たちの人生はとても刺激的といえるようなものではない。  ソクラテスはときには友人たちを招いて豪華な食事でもてなすことがあったようだが、一日のほとんどの時間は妻のクサンティッペと静かに過ごし、午後の腹ごなしの散歩の途中でせいぜい一人か二人の友人に会うくらいだった。  カントは自分が住むケーニヒスベルクの周囲一五キロより遠くに出かけたことはなかったといわれている。ダーウィンは世界旅行から戻って以来、死ぬまでずっと自宅で静かな暮らしを送った(中略)。  つまり、偉人たちは得てして静かな生活を送っているものなのだ。人から見れば、たいした楽しみもない人生のように見えただろ

偉人たちも人生は平凡だったという話

>一九六六年生まれのグリゴリ・ペレルマンは、「現在生きているもっとも偉大な数学者」と評される人物である。  数学の世界にはいまだ証明されていない未解決問題が数多くあるが、そのうち、今後解くべき七つの難問をアメリカのクレイ数学研究所が選び、「ミレニアム懸賞問題」として二〇〇〇年に懸賞金をかけて発表した。七問あるうちの六問はいまでも未解決のままだが、そのうちのひとつを、二〇〇二年にペレルマンが解決してみせたのだ。  ペレルマンにはその功績によって、数学界のノーベル賞といわれるフィールド賞が授与されることになったが、彼は受賞を辞退した。懸賞金の一〇〇万ドルですら、ペレルマンは受け取らなかった。サンクトペテルブルクの質素な団地で母親と同居している無職のペレルマンには、お金は必要だったはずなのだ

かっこいい

>その結果、確認できた事実がふたつあった。  ひとつ目は、 若い頃に経済的な成功を重視していた人のほうが、数十年後の所得額が多いこと。つまり、目標の有効性が裏づけられたのだ! 心理学者だけはこの結果に驚いた。彼らは、人間はパブロフの犬みたいに外からの刺激にしか反応しないと思いこんでいた。ふたつ目の事実は、 社会に出たら高収入を稼ごうと若い頃に目標を立て、のちにその目標を達成した人は、人生に対する満足度も非常に高かったこと だ。  一方、同じように金銭面をとても重視していたにもかかわらず、経済的な成功を得られなかった人たちは人生に大きな不満を抱えていた。  あなたはこの結果を当然だと思うかもしれない。お金があれば幸せになれるに決まってるじゃないか、と。  だが、彼らの「幸福度の高さ」は「所得の高さ」によるものではないのだ。というのも、経済的な成功を人生の目標にしていなかった人たちの場合には、所得の高さは人生の幸福度にほとんど影響を与えていなかった。  つまり、 人が幸せを感じるかどうかは所得の額によって決まるのではなく、目標を達成できたかどうかで決まる のである。人生の目標がお金以外の場合でも、同じような傾向が確認されて

年収の高さが幸せを決めるのではなく、目標が達成できたか

>だが、「瞬間」とはどのくらいの長さを指すのだろう? 心理学者たちは、それは「約三秒間」 だという。それが、私たちが「現在」と感じる長さ

>「過去のすばらしい経験を思い返しているときに、人間が幸せを感じる」 ことは、すでに研究で明らかにされている。そのときをなつかしむ気持ちがあれば、感じる幸せはさらに大きくなるらしい。

一番の贅沢は思い出話理論

>前述したように、ノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンは、記憶の誤りをいくつか指摘している。そのうちのひとつが「持続の軽視」 である。  起きた出来事の長さは、記憶に影響しない。つまり、旅行をした期間が三週間だろうと一週間だろうと、あとから振り返れば残っている記憶に差はない。そして旅行全体の印象は、そのピークと終わりの部分だけで決められてしまう(第 22 章で取り上げた「ピーク・エンドの法則」である)。  映画でも、観ている最中でも。つまり、「ピーク・エンドの法則」は人生に対しても作用する。驚いたことに、ピークを過ぎたとはいえ快適に過ごした最後の五年間は考慮されないのである。  研究者たちはこの結果に「ジェームズ・ディーン効果」という気の利いた名前をつけている。  ジェームズ・ディーンは、俳優としての輝かしいキャリアのピークに二四歳の若さで事故に遭って亡くなった。彼がその後何年も、あるいは何十年も、それなりに成功したそれなりに幸せな俳優として生きていたとしたら、彼の人生がこれほどまでに人々の目に魅力的に映っていなかったのは確実だろ

ピークが重要

> これだけのことが、「そうでなくとも」という短い電報で伝わったのだ。つまり この言葉は当時、「全面的なコミットメント」を表すときの一般的な表現だった

戦争で負けそう。それでも降伏しないという意味を一言で言い表すと「そうでなくとも」。

>よい人生には「自分の判断の基準となる、小さく強固な尊厳の輪が必要

これがないと無駄なことに時間を使ったり、自尊心や評判が無縛られる。

>この実験結果は、実際の脅威がなくても、不安感を煽るだけで生態系に影響が出ることをはっきりと示して

不快な音をきいた雀は産んだ卵が40%少なかった

>だから私たちは、自分の仕事に精を出し、稼いだお金をその道のプロに手渡すことにしよう

寄付の話。
素人がボランティアするよりもお金を寄付する方が良い

>「『世界で起きている出来事は、あなたの責任ではない』。ジョン・フォン・ノイマンのこのすばらしい考え方を、私もまねすることにした。意識的に社会に対して無責任でいることに決めたのだ。そう決めてから、私は前よりずっと幸せを感じられるようになっ

最近のくらいニュースへの向き合い方

>ゲイツは、会場に居合わせた人々にこう尋ねた。「あなたたちがいまの成功を手にできた一番の要因は何ですか?」。バフェットは「『フォーカス』だね」と答えた。ゲイツも同意見だった

ゲイツは車からラジオをとった話も有名。考え事が邪魔されないように

>ふたつ目。「無料」のものや「無料」のテクノロジーは避けるようにしよう。  その手のものは、広告収入でやりくりするために「無料」で人の注意を引きつけようとする罠だ。

無料の場合、あなたが何かを負担していることになる

>文字の読み方や計算の仕方をあなたはどうやって学んだだろうか? 文字を読めて計算もできる人の近くにいるだけで学べたのだろうか? そうではなくて、「何年もかけて練習しながら」その能力を意識的に身につけたはずだ。  同じように、情報やインターネットやニュースとの付き合い方に関しても、私たちには集中したトレーニングが必要なのだ。どこにどう注意を向けるかを、意識的に学ばなければなら

ニュースの向き合い方を、我々は学ぶ必要がある。

>「あなたがどこに注意を向けるかで、あなたが幸せを感じるかどうかが決まる」 と心理学者のポール・ドーランも書いて

>今度も0(ひどく不幸)から 10(うっとりするほど幸せ)までで点数をつけてみてほしい。  あなたが大多数の人たちと同じような感じ方をしたとしたら、あなたの幸福度は前より上昇したはずだ。私が初めてこれらの状況を想像してみたときは、水の中にあったボールが噴水ほどの高さに吹き上げられるくらい急激に気分が上昇するのを感じた。

つらい状況を想定して自分と比較することで幸せを感じる

>「私たちはたいてい、自分が手にしている幸せには気づかない」と心理学者のポール・ドーランは書いている。 「自分の幸せを自覚するために、できることはしたほうがいい。ピアノを弾いているのに、その音が聞こえない状態を想像してみるといい。人生で手にしている多くの幸せに気づかずにいるのは、音を聞かずにピアノを弾いているようなものだ」。だが「心の引き算」をすれば、あなたはピアノの音も思う存分楽しめるようになるはずです

>私は、自分が少しでも自己憐憫に陥りそうになっているのを感じると、すぐにその危険な渦から抜け出す努力をしている。アメリカのことわざに「自分が穴の中にいるとわかったら、掘るのをやめろ」というのがあるが、それを忠実に守っているのだ。

村上春樹は「自己憐憫は下劣な人間のすることだ」といってた。

>古代ローマの哲学者、セネカはこんなことを言っている。「運命は、いろいろな出来事を人間の頭の上に投げつける。生きるためには、強い精神を持たねばならない。

セネカは、実践的なストア派哲学の創始者。

>、人を殺せば刑務所に入るのが当然の帰結と考えている。  しかし、現実はそううまくいくものではない。現実の世界は「公正さ」を欠くどころか、かなり「不公正」だ。この不快な現実に、どのように向き合っていけばいいのだろうか?  私はこう考えている。 世界の「不公正」さは、現実としてそのまま受け入れて、冷静に耐えたほうがいい と。そうすれば、人生を歩むうえで、何度も失望せずにすむからだ。
> 聖書のメッセージはこうだ。「人間は、不公正さに耐えなくてはならない。不公正さは、永遠に続くわけではない。どんな出来事にも、人間の限られた能力では理解できるはずのない正当な理由が隠されているものなのだ

不公平さにあがらうのではなく、冷静に向かい合う。

>いまから三〇〇年前、ドイツの哲学者ライプニッツは、「私たちが住んでいるのは考えられる限り最高の世界」だと主張した。神が意図的に不完全な世界をつくるはずがない、というのがその根拠だ。だがその数十年後、フランスの哲学者ヴォルテールは、小説『カンディード』で、ライプニッツの思想を、風刺をきかせて批判した。  一七五五年にリスボンを大地震が襲い、街が完全に破壊されてから、合理的なものの見方をする人間は誰ひとり世界の「公正さ」を信じられなくなっていた。誰もが心配とは無縁の人生を送ることができるという夢物語は、すっかり消滅していたのだ。  物語の主人公カンディードは、多くの困難をくぐり抜けた後、日々の労働に幸福を見出すようになり、最後にこういう結論にたどり着く。「私たちは私たちの畑を耕さなければなりません。

自分のできることをしよう理論。

>子どもが欲しい場合にも、同じことが当てはまる。  古代ギリシアの哲学者たちは、すばらしい言葉を持っていた。人間が手に入れたいと願うものを「取るに足りない好み」と呼んだのだ。

かっこいい表現だな

>──ネルソン・マンデラ 「自分には世界を変える力があると信じ込めるほど頭のおかしい人間は、本当にそれをやってのける」──

>その定義とは「内なる成功こそが、真の成功」 だというものだ。

内なる成功とは、心の充足や平穏さを手に入れることで、幸福な人生を手に入れるためのもっとも有効な一つ。