月別アーカイブ: 2013年10月

心理戦の応酬小説「スリーピングドール」を読んだ

最近、洋物を読むことがブームなので、スリーピングドールを読んだ。

概要はとしては

他人をコントロールする天才、ダニエル・ペル。カルト集団を率いて一家を惨殺、終身刑を宣告されたその男が、大胆かつ緻密な計画で脱獄に成功した。彼を追うのは、いかなる嘘も見抜く尋問の名手、キャサリン・ダンス

である。ダンスさんは「人間の所作や表情を読み解く「キネシクス」分析の天才」という位置づけ。

ゆえに、内容は心理戦の応酬。くわえてドンデン返し。

スリーピング・ドール〈上〉 (文春文庫)
ジェフリー ディーヴァー
文藝春秋 (2011-11-10)
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いくつか引用箇所をピックアップ

「オルガンの音栓をいっぱいに弾いてね(全力を尽くせ、という意味)」

「思います」という言葉は尋問官にとっては重要な意味を持つ。それは、たとえば「記憶にない」とか「たぶん違う」といった表現と同じように、否定の段階にあることを示すフラグだからだ。言い換えればこういうことになる。「曖昧な言い方はしていますがはっきりノーと断っているわけではありません」。

「帰ったら電話する」キネシクス分析のスペシャリストであり経験豊かな尋問官であるキャサリンダンスは、人は見破られることがわかっていて、時には見破られることを期待して、嘘をつくことがあるという現実を知っている。その代表例がこれだ。

人によって異なるリスク許容度

今日、電球が切れた。

その時に、家に替えがあるかで、その人の人生のリスク許容度はわかるのではないか、とおもった。

すなわち、そこに電球の替えを買っておく人は、「いつか電球が切れるかもしれない」とリスクを判断して、替えを買っておく人である。

「切れたらその時に考えよう」という人の方が、よりコストは低く意思決定はできる(すなわち、「切れない」という可能性もあるので、その場合は、その人は「替えを買ったコスト」を負担せずにすむので「替えをかった人」よりコストは少ない

「それについて考えなかった」という人は、リスクへの認識は論外であるが、同時に「そういう細かいことに関して頭のリソースは使わない」という場合は、それはそれで1つの哲学であるし、「替えを買うコスト」に加え「それについて考えるコスト」も削減している点では、非常にコストエフェクティブである。

同じようなことを思ったことがある。それは「iPhoneに、ケースをつけているかつけていないか」によっても、その人がどれだけリスクにセンシティブかわかるような気がした。

というのも、iPhoneはいつか落下する。割れる可能性がある。その可能性があり、それを避けるならばケースは買っておくのが、合理的である。

いわば、レンタカーで自動車保険にフルで入るようなことだ。

同じように「飲酒運転」なども該当するだろう。「少しくらいはお酒が入っていても、事故ったことないよ」といって、飲酒運転をする人がいるとする。しかし、それは確率論としては「起こる可能性が非常に低い」というだけで、0ではない、当然ながら。

そして、それに対するリスクのコスト(たとえば、事故の場合は死)が、無限であれば、ないし、無限に近い非常に高いものであれば、その起こる確率がどれだけ低くとも、「避けるべき期待値」は高いものとなる。つまり、事故る確率が0.013%(毎日飲酒運転して20年に1回事故る)だとして、事故った場合に死に至る確率が0.1%だとしても、死のコストが10,000,000であれば、ダメージの期待値は1となる(小指をぶつける確率が1%、その時のダメージが10とすれば、ダメージ期待値は0.1なので、小指をぶつけるよりもダメージのおそれは大きい。ただダメージの絶対値は謎)

ということを考えていたのだけれど、以前、iPhoneをケースに入れない人にその話をしたら

「iPhoneはデザインを重視してかっている。ケースをつけるとそのデザインの価値がなくなる。ならば、割れる可能性があったとしても、ケースを外して持っておいた方が良い」という反論をもらった

そして100%納得してしまった。確かに。確かに、ケースをしており、それでデザインが見えなくなれば、デザインを重視してiPhoneを持っている人には価値が限りなく低くなってしまう

ということで、人によって損害の算出は異なるなぁ、と納得したお話でした

ちなみに僕は社会人を超えたあたりから、電球の替えは買っておくようになりました、とさ