月別アーカイブ: 2014年7月

走ってきた後の水の美味さの代替性

梅雨が明けて夏がきた。夜が明けて朝が来るのと同じリズムがごとく、夏がきた。そして、夏は、麦わら帽子が波に流されるのとともに終わるのである。あと1ヶ月も立たぬ間に。とまれ、夏がきた。

夏がきたが、変わらず走る。走り続ける習慣は夏がきても変わらない。雨が降ってもかわらない。しいていえば風邪を弾いてもかわらない。ということで、夏だが走る。

夏で走るが、夏は暑い。夏は暑いということは、走るとなおさら暑いということである。つまりは、暑い中、暑いことになり、めっぽう暑いということになる。端的にいえば、とても暑い。

ゆえに、汗をかく。喉が乾く。とても喉が乾く。1時間も走れば、10分くらいから喉が乾きだし、もはや気持ちよく走れなくなるほど喉が乾く。コインを忘れたのでジュースを買うこともかなわない。喉の乾きを感じながら、走り続ける。こういう時に「炭鉱の仕事もこれほどに喉が乾くのか」とよくわからない想像もしながら、なんとかその喉の乾きを我慢する。

走り終わる。喉が乾いているので水を飲む。もうありったけの勢いで、冷たく冷えた水を飲む。冷蔵庫できんきんと冷えた水をいっきに飲む。この水の美味しさはなんと表現すれば良いのか。これはもうミスター味っ子の名セリフ「うーまーいーぞー」を超えた、何かである。もはや美味しさではなく快楽などに近い感覚なのかもしれない。味覚ではない。これは体験である。エクスペリエンスである。この走ってきた後に飲む水の美味しさを体験できる場所があれば流行るのではないか。マッサージや酸素なんとかと同じように。

飯の美味しさと異なり、冷房の気持ちよさとも異なり、は、ここまで書いて気づいたが、これは「生」に根ざした美味さなので。乾きは、命に直結する。脱水症状は人の命を奪う。そのような点で、この水は、自分の命を蘇らす行為に等しい。ある種の性的なものにも根源が近い行為なのかもしれない。

ということで、この水の美味しさを味わいたいがためにまた来週も走ろう

All you need is kill

先日、「映画を1人で見る」という趣味を覚えてからというもの、その面白さに味を占めて今回も「All you need is kill」を1人で見てきた。直前の予約にもかかわらず1人分だと席があった。思わず、中島みゆきの曲で「ひとり上手」を口ずさみながら自転車でふらふらと。ヒルズまで10分くらいしかかからない。ひとり上手を2回も聞けばついてしまう。

この映画を見ようと思ったのは、この映画が面白いという情報を聞いたのもあるのだが、そもそもループ系の映画というのが刺さった。

ループ系というのは、いわゆるタイムトラベル系で、同じ時間を繰り返すという物語。SFでは王道といえば王道だが、だからこそ、味付けが重要になってくる。

結論からいうと、非常に好きな映画だった。こういうドンパチこそ3Dで見る価値のある映画だなーと。家で見るのはドラマやラブコメでもいいけど、アクションは映画館に限るのである。特に3Dは。

で、ストーリーはともかく、そのループ系の話でいくつか雑談を。ループものは、あまりにも著名で、Wikipediaでも項目として、切りだされているほどである。

«ループもの – Wikipedia

日本ではSF大家の筒井康隆大先生の「時をかける少女」が有名だろう。また最近では、ハルヒの「エンドレスエイト」も有名だ。小説では有名どころで「リプレイ」や「夏への扉
」、日本ではYが好きだが、「リピート」はまぁまぁ。映画では、「エターナル・サンシャイン」は厳密な意味でのループではないけど、一種のループ。

こう思い返すと、ループ系の作品は記憶に残っているものが多い。

それはなぜかと考えるに、非現実の世界の妙味、というものがあるのだろう。「時間を繰り返す」ということは想像は非常にしやすい。火星の生活よりもよっぽど想像しやすい。しかも、いつ何時自分に起きるかもしれない。そういう常に我が横にある刺激としての物語の面白さがそこにはあるのかもしれない。

おすすめのループものあれば教えてください!

長い失恋

以下の小説を読んだ。

長い失恋 (講談社文庫)
長い失恋 (講談社文庫)

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甘糟 りり子
講談社
売り上げランキング: 57,870

世の中に存在する10のホテルを舞台に繰り広げられる物語の短篇集。

甘糟さんは、過去にレストラン版でも似たような本を出していたような記憶。

ホテルとしては

  • 箱根のハイアットリージェンシー
  • 横浜のホテルニューグランド
  • ペニンシュラ
  • マンダリン
  • ウィンザーホテル@洞爺湖
  • ラッフルズホテル
  • グランドハイアット
  • 鎌倉プリンスホテル
  • クラリッジズ
  • フォーシーズンズ

がピックアップ。

海外のホテルは外して日本のに絞っても良かったんじゃないかと思うけど、まぁ、いろんな背景があるのでしょう。

改めてこう読むと、確かに「ホテルには物語がある」という気がする。それは、当方が旅行においてアコモデーションを重視するからかもしれない。旅行において、観光、食事、宿のどれにお金を使うか?といえば、これまた人によって異なろうが、当方は宿なので、それなりに思い入れがあるのかもしれない。

メモった点

ここでは食事中ずっと同じナイフを使う。アミューズも前菜もメインもすべて同じナイフで切り分ける。ミシェル・ブラスの出身地であるライヨール村はナイフの産地として知られ、生涯にわたって1本のナイフを使い続ける習慣があるという

あと、この短編のどれか好きかで価値観判断ができるかと思った。そんな使い方も思い浮かぶ一冊でした。

小銭払うことの無間地獄

小銭が嫌いだ。

なぜかというと、財布が膨らむからである。

そして、私は手は塞がれたくないので、かばんは持たない。ゆえに、財布はジャケットのポケットかおしりに入れることになる。そして夏は暑いのでジャケットを着ない。ゆえに、ポケットに財布を入れる。そして、財布がパンパンだと、ジーンズもパンパンになる。

ゆえにコンビニなどでは積極的に小銭を使う。

しかし、そのときに小銭を使うと、次に支払うときに小銭はなくなる。ゆえに大きな札を出す。お釣りを小銭でもらう。財布には小銭がたまる。

つまりは、「小銭で払ったら、次は、小銭をもらう」というサイクルが永遠に繰り返されるのである。これこそ、まさに小銭の無間地獄。終わりなきインフェルノ。原罪を背負った僕ら。

だから、僕は、小銭できっちりレジでお金を出す度に、今後、繰り返されるであろうこのサイクル(1日に2回コンビ二にいくとすると1日1往復する。1年365回。平均余命であと45年。すると、あと1.6万回も、これを繰り返さないといけないかと思うと気が遠くなる。まさに、「All you need is 小銭解決問題」である。

だから、最近は電子マネーを活用するようになって、だいぶこの問題は解消された。

しかし、電子マネーに対応していない自動販売機だとそうもいかない。しかし、この自動販売機に関して最近、発明をした。

いままでは、120円などの小銭を入れてジュースを買っていた。しかし、この20円を財布から出す時間よりも(3枚出さないといけないので)、200円入れて、お釣りを取る方が時間が短縮できることに気づいた。それからわたくしは時間の効率化のため、自動販売機では1000円か500円、ないし200円を入れるというメソッドで、人生を効率化している。なんて意識高い自動販売機の払い方!

食べたい逸品

そういえば、このブログは食べ物にほとんど触れていないな、と思い食べ物ネタ

よくある「この店のこれが好き」系。思い返したけど、あんまりなかった。忘れちゃってるのかしら。

複数回食べているのに限定しましたー。メモがてら

代々木の中東レストランのひつじ屋のランチに出てくるアイス

バナナアイスクリームが美味しい。コーヒーと合わせてどうぞ。

«Bistro ひつじや (ビストロ ヒツジヤ) – 代々木/地中海料理 [食べログ]

トスカーナ料理のトスカネリアのトリッパ

いわく「名物!トスカーナ州定番の牛ハチノスと牛ギアラの煮込み料理」。

«トスカネリア (toscaneria) – 恵比寿/イタリアン [食べログ]

ブラッカウズのパクチーとクレソンのサラダ

もともとパクチーはダメだったのだけれど、タイでさんざん食べているうちに好きになった。そして、そのパクチーと愛すべきクレソン。さらにナッツかなんかが乗った美味なる逸品。

«ブラッカウズ (BLACOWS) – 恵比寿/ハンバーガー [食べログ]

アポンテのレモンクリームのパスタ

ことらの名物。シンプルだけどレモンが効いて美味なパスタ。

«アポンテ (APONTE) – 恵比寿/イタリアン [食べログ]

南翔饅頭店の小籠包

ヒルズにいるときはランチでしょっちゅうこの小籠包を食べていました。台湾でも小籠包を食べたけど、この店の小籠包の方が好きだなー。

«南翔饅頭店 六本木ヒルズ店 (ナンショウマントウテン) – 六本木/上海料理 [食べログ]

恵比寿バル恵比寿のパン

正確にいえば小エビのアヒージョと食うパンが美味しい。

«バル恵比寿 (Baru 恵比寿) – 恵比寿/スペイン料理 [食べログ]

箱根の暁庵のそば

雰囲気も相まってとても美味しい

«箱根 暁庵 (はこね あかつきあん) – 箱根湯本/そば [食べログ]

六本木 k-julepのかつサンド

バーでこんな美味しいかつサンドが出てくるとは思えないほど美味しいかつサンド。

«ケージュレップ (K‐Julep) – 六本木/バー [食べログ]

恵比寿一歩のさつま揚げ

さつまあげだと思って油断してると、ものすごいパンチの効いたさつま揚げが出てきます。ボリュームたっぷりで美味しい

«魚Bar 一歩 (さかなばー いっぽ) – 恵比寿/魚介料理・海鮮料理 [食べログ]

七夕の願い

先日、七夕だった。ツイッターなどでは、人々の願いがTLを賑わせた。

もし、自分だったら何を願うかな、と考え、いつもどおり、「世界中の人が死にませんように」という願いだな、ということにいきついた。

いつか物心ついてから、初詣にいった時やお盆で先祖の墓の前にたつと願いは「世界の人々が死なないように」だった。少なくとも小学校の頃からだから、30年近くだろう。もちろん例外もあり、家族の無病息災や誰かしらの不幸を避けるように、といった願いはその時々で合わせて願っていたけれど。しかし、「受験が受かるように」や「恋人ができるように」といった願いをした記憶はない。

なぜ、この願いに固執するか、という理由は思うにいくつかある。

一つは子供ながらに「自己中心的な願いがなんだかピンとこなかった」というのがある。なんだか自分のちからで実現するものは、自分でがんばりたかったのだろう、と思う。

もう1つは、「実現されないくらいのもの」がいいのではないかというものがある。これは言語化するのがなかなか難しいのだけれど。「世界平和」ではなく「世界の誰もしなない」というのがポイントな気がする。世界平和は実現されるかもしれない。しかし、世界の誰もが死なない、というのは、まぁ、なかなか起こりづらい。もっとも世界平和も同じくらいには難しいけれど。いわば極度の貧乏性なのかもしれない。自分の願いがかなってしまうと、それはまたどこかで帳尻があうように不幸なことが起こりうるんじゃないかといったような。特に何かの宗教的な意味合いではないけれど。とはいえ、名作映画「リアリティ・バイツ」におけるイーサンホークのセリフを借りれば「チョコバーは俺に借りがある」というように、世の中に借りをつくれば、また話は別かもしれない。

なんてどうでもいいことを七夕に思い出した

everybody be cool this is a rubbery

この世でもっともCoolな映画の1つは、「Pulf fiction」であることは異論をまたないかと思います。

タランティーノ監督をこの世に知らしめた一作であり、ジョン・トラボルタの復活の嚆矢となった一作であります。

見どころとしても、ユマ・サーマンとジョン・トラボルタのツイストダンスや(下参照)

»【ナポレオン・ダイナマイト】突然のダンスシーンが印象的な映画7選【パルプ・フィクションなど】 #映画 – NAVER まとめ

ユマ・サーマンの心臓に注射器をぶっさすシーンや(以下、参照)

ブルース・ウィルスの「パンプキン」のセリフや日本刀の立ち回り、サミュエルL・ジャクソンの口上やティム・ロスのかっこいいオープニング。1度みただけではよくわからない凝ったストーリーにキレキレのセリフ。そして、隠れキャラのブシェーミー(最近でてるのを知った)と、見どころ満載の一作です。ああ、何より音楽も最高なので、こちらも忘れちゃいけないですね。

なお、あまりにもこの映画が好きなので、高校時代は、この映画の台本で英語を覚えたのですが、まったくおすすめしません。Fワードに詳しくなるだけ。

Pulp fictionのFacebookのファンページで、久しぶりに予告編が流れてきたので懐かしくなって、思わず投稿でした

思い出の効用

いつもどおり、録画したビデオを見ながら、ストレッチをしていた

その時、みていたのはゴッドタンだった。

そこで、使われているBGMは、鉄腕ミラクルベイビーズのTalk showだった

ご存知の方はご存知かと思うが、かの名番組「ねるとん紅鯨団」のオープニング曲だ。

これを聞くと、なんというかバブルの匂いを思い出す。もちろん小学生だった自分にとっては後付の記憶でしかないのだけれど、とはいえ、何かしら青春の思い出とともに、この曲は何かしら心をぐっと突っつく曲で。

思い返せばフジテレビの最終面接で「好きなテレビ番組は?」と聞かれ「ねるとんです」と答えたのは、結構、本心だったのかもしれない。

先日、友人と話をしている時に「懐かしいものを言い合うゲーム」をした。自分では忘れていた古い思い出がいろいろでてきた。

一般的に「昔は良かった」という過去を名残惜しむ話をするようになったら、その人の成長は止まっている、終わりだ、という話を聞く。このあいだまでは「そうかもな」とは思っていた

同窓会とかで、昔の思い出ばかりを話している隣のテーブルなどの会話を耳にすると「今はどうなんだ」と楯突いていたり。

しかし、「過去を懐かしむのは最高の贅沢である」という誰かの名言(山田詠美だった?忘れた)にもある通り、懐かしむのは、贅沢なのである

綺麗な海にいったり、唯一無二のホテルにとまったり、美味しい料理を食べるというのと並列に「思い出を遊ぶ」という贅沢はある。

それは、同じ空間を味わった人同士しか楽しめない遊びであり、同時に、その思い出から今までの時間の長さを感じるとともに、愛でるという思い出である。自分がどれだけそこから歩いてきたか、ということをさりげに矜持とともにもてあそぶ遊びである

そういう意味で、美味しいお酒と懐かしい思い出は、贅沢という観点では、合う組み合わせなんではないかと思う

どうでもいい話2

■どうでもいい話1

ある小説を読んでいた。

するとこういう話があった

  • ある殺人事件があって、手がかりはある絵画
  • 刑事は、その絵画が何の絵画かを知りたいのでFBIに問い合わせた
  • FBIによると、今わかったのはそこで使われた染料とかだけ。そしてFBIの仲介者はこういう。「これ以上の情報を知りたかったら、FBIが絵画に喋らせる技術を持たないとできないな。『私グリニッジビレッジの絵描きさんに書かれた絵なの。2年前にね』」
  • それに対し刑事は「そんなこともFBIはできないのか!」と激怒

この小ネタは現実世界でも使えそう

  • ある新規事業を思いつく。たとえば、世界中の手書きのメモをスキャンして検索するようにしよう!、とか
  • それに対して、ツッコミ役は「そんなのGoogleを買収しないとできないよ」と言う
  • それへのさらに返しとして「Googleごときを買収できないのか!」と返す

みたいな。

世の中では、ボケに対するツッコミによってボケが生きることがあるけど、ツッコミへのさらにツッコミでぼけるという演舞もあるよなぁ、とふと思った。

ワンツーのストレートに対するカウンターの、さらに宮田君のクロスカウンターというか(謎

■どうでもいい話2

さっき、ゴミをすてにマンションの入り口を通った。すると、男性と女性が入ってきた。

で、女性が過去の恋人に似ていて、一瞬、ドキっとした。とりあえず「こんばんは」とだけ言った。ゴミを捨てた。

帰りぎわのエレベータでこんなことを考えた

  • 女性が主人公。脇役に過去の恋人と今の恋人。
  • 今の恋人の家に初めていくことになった
  • その家はなんと過去の恋人の家だった

みたいな物語は短編小説として少し面白いのではないかと。

この物語のポイントは3つ

・その頃の思い出を思い返してしまい、しかし、封じ込めないといけないという二律の思いのせめぎ合い
・そのマンションで偶然過去の恋人に会ってしまうのか
・今の恋人にそのことを言うか(近くに美味しいパスタ屋がある。彼女はそれを知ってるけど、「知らないふり」をするのか

冒頭は、「もうこのマンションに来ることはないと決めたのに」という一文から始まる的な