月別アーカイブ: 2010年5月

乾杯

かつて、とある人たちとお酒を飲む機会があって。
その時に乾杯を「サルー」と言う人がいて。
「スペイン語だ」というと「常識だ」と仰る。
「イタリア語と英語は?」と聞くと「cin cin, Cheers」と言う。
「凄いやん」というと「常識だ」と仰る。
よく聞いてみたら、六本木の高級飲食店でサーブをしているそうだ。
得心した。ネタを明かせば枯れ尾花。
それで、乾杯に関するコネタを思い出した。
ドイツ語で乾杯は2種類ある(3種という人もいる)
「Prost」「Zum Wohl」の2つ。で、ニュアンスももちろん違う。
そこでこのエピソード。
ある日本人の女性とドイツ人の男性がいた。Webで出会った2人で、ドイツ人は初めて日本にきた。観光だ。
リアルで初めてであった彼と彼女はいい感じで交流した。しかし、お互い、お互いの気持ちはわからない。
帰り際、最後の晩餐でドイツ人と彼女は乾杯をした。
ドイツ人は「Zum Wohl」といった。乾杯は「Prost」だと思っていた彼女は「何が違うの?」と訪ねた。
彼は回答しなかった。
ドイツ人が帰った。彼女はその意味をわからなかった。
しかし、その後、彼女は教えて!gooで違いを知る。
以下のような違いを。

PROSIT は豪快な感じなんです。
大きなビアジョッキをカツーンとぶつけあって太ったドイツのおじさんやおばさんがガハガハと笑いなが
ら陽気に飲み合う感じ。
しかし、灯りを少し落としたムーディな場所でステキな異性とのデートのような時にはおいしい白ワインでしんみりと恋を語りたいものですからそうした場合にはZum Wohl  なんです。
この場合は、チン!とグラスを鳴らしあった後、かならず相手の目を見詰め合って(恋人や異性でなくても)にっこりと微笑むのがマナーです。

乾杯の言葉の違いで、ちょっとした思いを伝えるってのが小粋だと思ったわけですが。
なお、こちらの挿話はここで見かけたネタを脚色してアレンジさせてもらいました。
ポイントは「乾杯の言葉の違いが見方の違い」って面白いわね、と思った。
ちょうど、「男性が自分に対して興味があるかどうかをアンパイに調べる方法」という命題を2件ほど別々で耳にしたことがあるので、こういうことをふと思い出しましたとさ。
あと、そういえば、先日、満員電車の「記事」を書いた後で、「男性が痴漢のえん罪に」というネタを耳にした(映画にもなったよね)。
で、現状、男性がもし疑惑をかけられた場合、自己の潔白を証明する方法は第三者の証言以外はほとんど難しい。
で、そこで「何かないのかな?」と考えていたところ、こういうことを思いついたのですがどうでしょうか。
痴漢をしている人は性的興奮を覚えていると仮定する。
そして性的興奮を覚えている人は平常時と異なった何かがあるとする(それが前後3分くらいは継続すると仮定)。
ならば、「痴漢です!」と言われた人で、黒の場合とシロの場合で、その差分をチェックすればいいんじゃなかろうか。
たとえば「ドーパミン」とか(可視化できなさそうだけど)。もっと分かりやすい方法もあるけどうやむやにして終わらせる。

音楽に泣くということ。

昔、音楽を聞いて、涙を流した人がいた。
それは歌詞の力だった。初めて聞く曲なのだから。
でも、それを見て「音楽は力を持っている」と思った。
またある時。車に乗っていた。
週末の六本木通りだった。ラジオから音楽が流れた。
Day Dream Believerだった。個人的にとても好きな曲だった。
横に座っている人がそれを口ずさんだ。
なんだか今度は自分が涙腺が刺激された。
別の話。
坂本龍一が若い頃は、邦楽をほとんど聞かなかった。
でも、ある時、北海道だかどこかに仕事にいってゲームセンターにいる時のこと。
音楽が流れ出した。それを聞いた坂本龍一は涙した(確か)。
中島みゆきの曲だったそうだ(うろ覚え)。
音楽は、記憶を揺さぶる。
それは時に歌詞によって。あるいは、海馬に埋め込まれていたメロディによって。はたまた、遺伝子に組み込まれたリズムへの同調によって。
その時、僕はモロッコのカサブランカにいた。
宿で出会った人が英語を学ぶモロッコ人の女優だった。彼女に連れられて、同行者と「その人の師匠」がいるホテルに遊びにいった。
上海の浦江飯店のような伝統と古さがこびりついたホテルだった。フロントの前には、大きなフロアがあり、そこがバーになっていた。
ピアノの生演奏があった。そこから、Let it Beが流れてきた。
遠く異国で聞くその曲は、それはそれでいつもと違うシナプスを刺激した。
またアフリカのガーナにあるケープ・コーストという場所にいた。
エビが美味しい街だった。海辺だった。奴隷時代の面影を残した街だった。
そこで、夜、マラリア蚊を気にしながら道を歩いていた。
すると、道ばたで踊っている人たちがいた。
道にウーファーを出して、がんがんに音楽をかけて、渾身の笑みで彼らは踊っていた。巨体を揺らしながら、そして太鼓を叩きながら。
村上春樹のスプートニクの恋人に出てくる太鼓はこんなリズムだったんじゃないかと思えるほど誘われるような響きだった。
遠目に長めながら、私はその光景を7年後の今思い返す。
小説でいえば、伊坂幸太郎の小説に「ボブディラン」のBlowin’ In The Windが使われていたものがあった。
その曲を一時期、帰宅途中に集中的に聞いていた。今でもこの曲を聴くと、六本木一丁目から六本木に抜ける坂道を思い出す。
アメリカにいる時に同級生に台湾の方がいた。
その日は初夏の気持ち良い日で、カリフォルニアの光が教室に差し込んでいた。控えめにいっても、とても気持ち良い午前だった。
卓上には、カフェテリアでいれたコーヒーと、幅の広いルーズリーフが置かれていた。先生を待っていた。
突然、彼女が「夏の思い出」を歌い出した。
夏が来れば思い出す遙かな尾瀬遠い空、と。
なんだと混乱しながら、その素朴なメロディが頭にこびりついて、今でも離れない。
音楽って素敵だわね、と思う。

本の紹介:やる気の大学

千葉さんが新刊だされたそうですよ!

やる気の大学
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 ですが、書籍を出版したり、本を年間200冊読んだり、映画を1カ月に10本見たり、
 週刊連載を2本もっていたり、ブログを書いたり、200人規模のイベントを何度も
 主催したり、セミナー講師をやったり、セミナーを主催したり、
 メールマガジンを発行したり、サッカーをやったり、トライアスロンで死にかけたり……
 と、とにかくいろんなことをやっています。
 「普通のサラリーマン」でありながら、そのワクを遙かに超えた筆者だからこそ書けた、
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 「やる気をコントロールするテクニック47+3」を紹介します!
□目次
 第1章 やる気とは何か
 第2章 ココロガソリン
 第3章 ヒトガソリン
 第4章 モノガソリン
 終 章 「やる気」高速道路を走ろう

「直す」ことの良さを考えてみたのだ

先日、ベルトのバックルが外れた。
それで修理に出そうと思い調べたら、近所に修繕に強いお店があることがわかった。
その名は「スピカ(Spica*)」。なんだか響きがいい、と思い、この店で訪ねてみることになった。
電話をすると「現物をみないとわからない」ということなので、伺うことに。自転車で3分くらいの距離だ。
フードマガジンの横の細い通路をさらに元麻布側に入ったところにそこはあった。
商店街からすぐなのに、とても静かで(そしてわかりにくい→けど、それがまた情緒があっていい)場所にその店はあった。
建物からして雰囲気に溢れていたが、中に入るとさらに雰囲気が溢れていた。
4.gif
↑ このような店内
靴の裏を修理していた女性が出てきてくれた。
「このベルトを直せますか?」と聞いたら「ちょっとまってください」と奥に消えた。
私は本を読んで待つか、店を眺めて待つか、という選択肢で後者を選んだ。
修理された靴が展示されており、靴の年季性になんだか、もののあはれを感じていた。
数分たって「治りましたよ」と女性がベルトを届けてくれた。
お代はいらない、という。渡そうと試みたものの、あまりだと野暮なので、今度、また何か修理にもっていこう、と思った。
修理っていいな、と思う。
それは単に、資本主義経済の副作用「消費社会」に嫌気が差しているわけではなく、たんに「直す」ということがなんだか良かった。エコやリサイクルのコンセプト抜きで。
そういえば、ある方がtwitterでYシャツのボタンの修理の話をツイートしていたことを思い出す。その人はYシャツで取れたボタンがあり、そのボタンの代わりがなかったため、全てのボタンを付け替えた。ちょっと小粋なボタンで(想像)。
また、「100回泣くこと」でも、バイクを修理するエピソードがあり、それが物語の骨子ともなっている。
また、祖母の形見の着物をリメイクして、ハンカチなどにする人もいた。
形が変わっても、受け継がれるもの、というのは、何だか良い気がする。
というのも、「物に物語性を」というコンセプトの事業を一時期考えていたことがあった。
いまは物は量産され、画一化されている。ゆえに、物を売る時の差異化は「値段」がベースになる(アフターケア/位置/郵送などもあるが)。
それは寂しい。
そこで、各物に、物語を付与することによって、画一物質の復権が可能ではないか、なんてことを妄想していた。
ただR不動産だってその1つとも言える。一部では著名なこの企業は、お気に入りの不動産だけを詳細な物語つきで説明してくれている。
それによって今まで「間取り」などの客観的情報が全てであった不動産情報になんと奥行きがでることか。
最近、龍吾のツイートでみかけた「リノベーション,デザイナーズマンション」のサイトも凄くいい。そのままだがリノベーションされた物件を物語りとして見せてくれる。
徒然なるままに思考を続ける。
最近、世界で注目をあびている「Etsy 」は、ハンドメイドの商品のECサイトだ。これも「画一商品」のアンチテーゼとも言えるかもしれない。
無料公開された「五木寛之「親鸞」」だって、一種のリノベーションだ。
過去の物語を現代に焼き直す。そして、そこに流れるコンセプトは代わらない。これは、吉川英治の三国志、そして北方謙三の三国志だって、そう言える。
このように「直すって良いな」と思う。
ここで終わらせるのも可だが、せっかくなので「なぜ良いと思うのか?」を考えてみた。
物は万事、朽ちていく定めにある。
森羅万象の万物流転、諸行無常である。国破れて山河あり。
でも、その朽ちることに対する抗い。つまり、時というものに対峙する姿勢が良いのかもしれない。
あるいは、朽ちるのが「当たり前」だからこそ、その当たり前を打破する動きというのが反骨的で良いのかもしれない。ある意味ロックだ。
あるいは、前述のように「物語」がそこにうまれるから良いのかもしれない。
物語は良い。なぜなら、そこには語られることを待つものがあるからだ。
一角獣たちの頭蓋骨が語られるべき夢を持つ続けるように。
だから、直すってことに見える物語に心が動かされるのかもしんない。