月別アーカイブ: 2009年4月

27歳

先日、友人のブックマーク経由で以下の記事を見た。
» 日刊スレッドガイド : 27歳ってどういう時期なんだろう
いわゆる27歳という年齢に関して、いろいろな人が現状や心境を語っておられます。
へぇ、と思いながら読んだ。あまり年齢は気にしたことなかったから、とても新鮮だった。そして27歳が何かの分かれ目ということも感じたこともなかったから、これまぁ、「へぇ」と思った。
ただ、26歳という年齢は少し意識していた記憶がある。起業のタイミングだ。これはまぁ、また会社のブログかなんかにでもいつか書こうかと。
いずれにせよ、私は大学卒業も人より3年ほど遠回りしたし、そもそも、「国をつくるんだー!」と言うキャリアパスなので、年齢の概念が希薄なのかもしれない。でも、周りを見ると、もう○歳だから落ち着かなくちゃや、結婚や、転職、などの話を年齢と共に聞くことが多い。
そりゃある程度の相関関係はあるのだろう。そして当然ある程度の関係なさもあるのだろう。いずれにせよ、「年齢」という1つの尺度が世の中では共通規格として利用されているのだから、それをベースに話しをするのはコミュニケーションの効率性という観点からは正しい。
精神年齢ベースで話をしても、それを判断する明確な基準はないし、あるいは所得や健康年齢、起きている時間数のような各種パラメタで何かを語ろうにも、結局、よりどころがない。
そのため、人は共通規格を利用する。人を判断する時だって、血液型が重宝されるのはわかりやすさからなのかもしれない。もし世の中が43通りの血液型があったら、こんなにも話題にはならぬだろう。でもたまに「私は○座だから○○だ」という人も見かけるので12通りくらいは、人間のマジックナンバーとして許容できるのかもしれない。携帯番号世代でキャパが広くなったに違いない。
いく世紀が先には「あなたのDNAなに型?」なんて話も飛び交うのだろうか。まぁ、そういうことがあってもそういうものなんだろう、と感じる時代はいつかくるに違いない。でも、「あなたの祖先って誰?」というような規格で話はなかなか聞くことがないので、結局、人口に膾炙するには適切な数字とわかりやすいメルクマールが必要なのだろう。
いずれにせよ、人は27歳を過ぎるし、30を超えるし、そして人生の折り返し地点を越えて、年を取って。そして最後に決算として、感想を述べる権利を得ることができる。自分の人生に対してだけの責務としての感想だ。
これは昔から言っているのだが、私としては「いい人生だった」や「幸せだった」というような言葉よりも「やっとだ」と言えるような人生を歩みたいと思っている次第。「生きることなんて召し使いにまかせろ」といったリラダンの言葉を応用するならば、穏やかな人生は他の方に任せれば良いのではないか、と社会の分布図からそう思う次第。

キュートでクラッシュなジーパンでデジャヴュ

ザイーガで以下の動画をみかけて。

まぁ動画はなんだっていいのだけど、音楽が耳について思わずiTunesで買ってしまい、耳にこびりついてしまいました。歌詞がえらく青春ノスタルジック。
「フレッシュでクールでキュートでクラッシュなジーパン」と聞くと、脳内で色々タグ検索が行われ「ナウでヤングなサーバー」とか「ボデコンでモーレツ」とか「オイニーがゴイスー」とか「狸穴パラダイスにキサナドゥ」とか出てきてシッチャカメッチャカ。
どうでもいい話をすいません。

息抜きメモ

※こないだ「モーニングトーク (いけいけどんどん)」という記事を書いた後で、思いつきで書いた記事だけど、いまいちメッセージが何かわからんので、非公開していた記事ですが、リサイクルのトレンドを踏まえて公開。
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多分、(中略)で。
でも、たまに一般的に言うところの「肩が凝る」というか、「ふぅ」という瞬間があって。そういう時に人は息抜きやストレス解消をする。
カラオケに行くという人もいれば、おいしいものを食べるという人もいるだろう。周りでは、走るという人やデート行くという話も聞く。他にも音楽や映画、読書、漫画、ドライブ、料理、睡眠など人はそれなりの自分にあったやり方で「息を抜く」。それを人は年を取ったというのかもしれないけれど。少なくともそういえば高校生くらいまでは息抜きという概念が人生になかった気がする。ともあれ。
村上春樹は「澱がたまる」と表現し、ある人は「毒素がたまる」と言った。
親友や恋人、肉親であれ、その人たちの独自の息抜きをみていて、それは本当に多様だなぁ、と思った。足ががくがくになるまで走り続けたり、海外の連ドラをカウチポテトで見てみたり、お風呂に長時間使って本を読んでみたり、ひたすら朝まで寝てみたり、どろどろになったり酔って二日酔いに酔いしれたり、あるいは、ボブディランを聞いてみたり、焼き肉を食べてみたり。そうして、人々は世の中と「帳尻をあわせて」生きていく。
自分自身は何だろうか?と考えると、手軽な形(5分から30分での息抜き)では、やはりメディアを利用することが多い気がする。
たとえば以下のように本を読んだり
» 2008年の12冊 (いけいけどんどん)
細切れで映画を観たり(よく早送りで見ていた)、
» 涙腺を亀甲縛りにする青春映画12本 (いけいけどんどん)
文章みたり、
» 泣けるコピペ (いけいけどんどん)
ニコ動やYouTubeなどの動画を見たり
» 個人的に好きな動画をいくつか (いけいけどんどん)
音楽を聴いたり(itunesでは92ギガ入ってた)
写真を見たり
» モーニングトーク (いけいけどんどん)
» イミフwwwうはwwwwおkwwww 神秘的な画像集めようぜ
» イミフwwwうはwwwwおkwwww 壮大な画像くれ
» 【339枚】美しすぎて即壁紙決定な画像 カナ速
» 無題のドキュメント 男なら街の夕焼けとか夜景の壁紙好きだよな?
» a picture is worth a thousand words
» Flickr: The Views: 400 Pool
特に以下のような写真には弱い
» VIPワイドガイド:夏とか少年のころような切なくなるような画像
» 大切な何かを思い出しそうな画像をくれ カナ速
あと最近はゲームの価値を見直して、iPhoneアプリや携帯ゲームをたまにチェックする。人から進められたので記憶に残っているのだと(ビジネスとして知っておくべき含む)のだとGREEの釣りスタやモバゲーのクイズゲーム、iPHoneのTapTapやパズループ、携帯アプリの太鼓の達人や街作り関係ゲームなどなど。
マンガとしては昔はよく読んでいたけど、社会人になって話が出たものだと、こないだはサンクチュアリの価値を改めて亮と共感。あと起業先輩とかからは島耕作。友人とは高橋ツトム。エヴァ、ガンダム、ジョジョはネットの素養として重要だなぁ、と改めて痛感する次第。
いや、何が言いたいかというと、文化、ないしはメディアってやはり素晴らしいですね まる