お寿司と聞くと、なぜか人は幸せな気持ちになるのはなぜなのだろうか。少なくとも、「不幸せ」になる人は聞いたことがない。寿司は、やはり、何かしら日本人としての「イデア」なる何かか、大和魂の何かしらを抱えたものなのかもしれない。ちなみに蛇足だが、私はセロリという名前を聞くとダウナーになるがそれは別の話。寿司は、なぜ幸せになるかというと、うまいからだろうか。しかしながら、寿司よりうまいものも世の中にはあるので(比較優位というよりも、全体からみて嗜好性の相対性として)、いちがいにおいしさだけではやはりないのだろう。ただ、寿司はやはり何が良いかというと、ポエミーな点である。なぜポエミーかというと、「寿司いこう」という話を聞くと、人は、詩人になるからである。私の友人でもいるのだが、寿司という単語を聞くとやれ高級なネタを念仏のようにつぶやきだし、そして、シャリだのガリだのニガリだのニガウリだのキューカンバーだのとエスカレーションし、最終的にはザギンでシースー、ギロッポンでヤーキニークと叫び出す人がいて、やはり業界の人はなんというか色々なものがサチっているというか、てんぱっているというか、ギリギリで生きているのだなぁと思う次第。寿司がポエミーなのは、それらの理由からではない。sushiという単語は英語にもなっているが、それが非常に韻を踏みやすいからなのである。有名な寿司の詞としては「I see sushi, you extacy」というポエムは皆様もご存じのこととも思う。これは古イカロスの詞だが、そこには、寿司の快楽は生死をおも左右するという思いが込められていて、これは日本語でも韻を踏んでます まる
6分32秒(メッセで「何か単語2個下さい」と聞いてでてきたのが「寿司」と「ポエム」だった)
お寿司とポエム
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