週末はどうしても一気に書いてしまう。今日4本目?
で、リスクの話をちょっと。
ふと思ったのです。たとえば、家の扉を鍵かけずにたまに家を出る人ってどれくらい居るのだろう?と。ちょっとコンビニ、とか、ちょっとゴミだしにとか。
で、私はつい、それってばリスクとりすぎじゃない?と思うのでございます。たとえ空き巣に入られる可能性が1万日に1回の確率しかなかったとしてもね。現実的には「非現実」な可能性だとしても、それはやっぱり、個人的には取れないリスクなのですよ。
どういうことかというと計算するとそうなるから。
たとえばこうしよう。空き巣に入られた時のダメージが、1万ダメージだとする。それに比例してサイフ落とすとかは100ダメージとかね。空き巣をここまで高く見積もっているのは、単純に私のPCが織り込まれているからというだけにすぎないのだけど。あと外付けHDDとか。まぁ、印鑑とか通帳とかはまぁどうでもいいとして。
で、そう考えると、中学生でもならった計算。密度と量の物理学になるわけです。
つまり起こる可能性が1万分の1。で、起こった時のダメージが1万。掛け合われると1。このリスクは1なわけですよ。これって何っていうんだったっけ?期待値?忘れた。で、相対的に、風邪をひくとかが100日に1日でダメージが10とかで、リスク期待値が0.1。留年する可能性が10分の1でダメージが-100で期待値が-10とかね。で、相対的に部屋のかぎかけるリスクが高いから、それはとりあえずヘッジするようになる、と。
まぁ、いいや。で、リスクを見積もるってことはそういうことだと原田は認識しているだがどうだろうか。
あるいはシュレッダーでもいいや。いちいちシュレッダーに通して書類を捨てるわけですよ。そんなんが悪用される可能性はほぼないとしても万が一起こった時のダメージと掛け合わせると、それだけのヘッジをする方が「利益がある」わけです。
だってさー、空き巣もそうだけど、鍵をかけるのは10秒とかでしょう。毎日でも3600秒。1時間ですよ。で、期待値1のダメージをどう時間に変換するかだけど、まぁ、個人的価値観から言えば、1時間よりもダメージが大きいから常に鍵をかけるわけです。
そして、常にエイズ検査にいくわけですよ。そりゃ、エイズになる可能性は「超単純に」どんぶり勘定したら、んと、「10万人/1億人」で千分の1か。なわけです。
でもエイズになった時のダメージは2億くらいなわけですよ。そう考えるとゴムするか検査いくか(この場合は性病検査。エイズになるのは性病になっていると感染確率が跳ね上がる。ゆえに、性病検査に定期的にいくことはエイズの感染を避けることにも繋がる)をしていくのは、ちゃんと理にかなったヘッジ方法なんです。
僕、つねにさー、合う人合う人みんなに「検査いけー」「検査いけー」と叫んでいるのだけど、まったく声が届いてないのだがどういうことだ。3人くらいはいってくれた気がするけど。みな「そんなん大丈夫」とかいうけど、背景の計算にはこういう見積もりがあるわけですよね。
で、リスクを取るっていうのは、つまり、無茶するとか、バカするということではまったくないわけです。個人的にはね、これ全部。一般的なリスク論とは別。
つまり、なんかをする時に、期待値さえ出せば良いわけでしょ。いわゆるハイリスクハイリターンの法則ですわな。で、それまで僕ってば触れ幅だと思っていたのですよ。
つまりすっゲーあたるか、すっげー失敗するかどうかがハイリスクハイリターンだと思っていた。最近、ちょっと違う認識がある。ハイリスクハイリターンってのは、成功する確率は低いけど、あたったときの効用が非常に大きいケースもそれに当たるのではないかとふと思ってみた。そう考えると、ローリスクハイリターンはありえる気がする。どういうことかというと、その新しい定義によると、マイナスが生まれるかどうかは別問題だから。
たとえばー、そうだねー。恋愛とかそうじゃない?たとえば高嶺の花。落とせる確率は低い。でも落とせるとむちゃくちゃハッピー。で、この場合、失敗しても何も失わない。完璧なローリスクハイリターンの世界じゃないですか。と、これはそういえば中学校の頃から力説していた覚えがあるけど、高木君覚えてくれているかしら?ただ、最近は、失うものが色々できたので、こんな無茶できなくなったという弁明はしておかなければならないだろう。
まぁうん。
で、リスク見積もりには、その数値的に出す方法ともう1つあると思っていて。それが一番大きいマイナスが生じた場合に、それを引き受ける覚悟があるかどうか、という点。
つまりさ、リスクを取るってのは、バカするわけじゃないのですよ。何か、それをした時に「最悪の事態」が生じても、腹をくくってそれを受け入れられるか。それをリスクを取るっていうんじゃないかなぁ、と思うのです。で、次が大事なんだけど、これを認識してこそ、リスクヘッジができる。
リスクヘッジも色々な見方があるけど、原田の見方では、ということですが。つまり、ドルの一点買いじゃなくて、ユーロを買うのもリスクヘッジだけど、人生においては、もう少し別のヘッジになるんじゃないかなぁ。あるいは、まぁ、ポートフォリオを組むとも言うのかも知れないけど。
どういうことかというと、たとえば、そうねー。就職浪人の話とかだとわかりやすいかしら。普通に就職できたかも知れないけど、いいところにいこうとして浪人する人いますよね。これはリスク取っているのか、ただのピーターパンなのかは本人次第で判断できません。でも、リスクを見積もるならば「うまく行く確率」×「うまく言った時の効用」と、現状のままのリスクを比較さえすれば答えはでる。で、もう1つのみつもりとして「浪人してもどこにもいけなかった場合」ということに対して、その恐怖に打ち勝てるか。その状況を受け入れられるか、を決めなくちゃいけない。で、これができると、もしどこにも受からなかった場合、ではどうするか?と打ち手を考えられるわけですよね、多分。それはたとえば、資格の勉強かも知れないし、あるいは親に先に言っておいて「2回浪人させてくれ」と交渉するとか、あるいは大学の先生に体売って、別のところ押さえておくとか。このヘッジができていないと、もろに最大限のダメージを食らうことになってアベシってなるわけですよ。ふぅ。
よく言われるように、「リスクをとらないのが1番のリスクだ」という人もいる。これってば、実は失敗したときに、それが糧になる効用とかを織り込んだ数字だと個人的には思っている。それを除くと、一概にこういうことは言えないとおもう。数字的に。
たとえば大企業いっている人がさ、「このままいるのはリスクが大きい」と起業して成功する確率と効用を考えると、居座っていた方が期待値は大きい気がする。客観的に考えて。ただ、でも、そうだ。よく思うのが、「いけいけ」な人って、いけいけなほど、がんがんまだ進もうとしているよね。具体的に言えば、そうだねー。英語できる人ほど、さらにブラッシュアップしようと、Podキャスティングで英語きいたりCNN見たり。あるいは、金持ほど、ビジネスの本やセミナーに投資している。そう考えるとさ、「何もしていない人」と「いけいけ」な人の差ってのは乗数的に開いていくみたいですね。だからどうって言う話じゃないんだけど、最近、数字的に理解したというか。、ああ、これは前に時間の記事で書いたことか。ここに書いてました。
で、まぁ何が言いたいかというと、エイズ検査いけってことだ。
これでリスク三部作(今、命名)終了。
・リスクを取るということ
・血を流す、ということ。
追伸:
で、あそうだ、HIV検査の件。なんで、こういつも言うかというと言わなきゃかわんないわけですよ。ほっといたら、誰も検査なんていかない。そうすると、ネットワーク効果でどんどんキャリアは増えていく。逆に、こうやって叫び続けていけば少しの人はいってくれる。で、その人たちはまた周りに「いけ」っていってくれる。そうすると今は行っていないマイノリティの人たちがいつしか逆転する。そうすると逆カスケード効果で、一気にキャリアは減る。
個人的には性病云々とかよりもさ、やっぱり普通に考えてそういう死をつかさどる病に悩む人が多い国って良くないと思うわけですよ。で、よくないと思うなら声に出さなくちゃいけないわけで。行動しなくちゃいけないわけで。だから、いけいけいっているわけです。下記参照。
HIV検査 (いけいけどんどん)