「最近、面白いことあった?」
というような会話のオープナーがある。つまりトピック提案というか。他にも「最近どう?」とか「元気」といったオープンクエッションだ。
ただ、これはアジェンダ(議題)設定とは異なる。
ここでは、相手が出す「アジェンダ」をベースに話を構成しようという質問だからだ。つまり、自分からアジェンダを出さずに、相手に委ねるというやり方である。
この場合、相手は「聞かれたから答えるよ」という形になるが、その人の答えた回答がアジェンダになるために、回答する方がテーマの主導権を握るけれど、その構造を創るのは質問した人で、大きな構造では、その人が主導権を握る(ポール)。回答する人には「ネタになる回答をしなきゃ」という負荷がかかるが、その分を差し引くと、まぁ、フェアな会話構造である。
認知科学に興味がある1人として、このような会話の構成要素に興味がある。言語には文法があるように、会話にもある種の「フレーム」があるような気もしているし、どこかではそういう研究もあったはずだ。たとえば、英語のSVCのように中身はともあれ「主語」「動詞」云々のような枠は存在していて、会話もそのような枠に類型化できることがある、気がする。
たとえば、会話は、基本的に「質問」「回答」から成り立つ場合がある。もっとも、
昨日ね、こういうことがあったんだ
といって自分からアジェンダを設定して、さらに自分で話をするという型もある。相手の興味が分からない場合や、自分のネタに自信がある場合、あるいは相手があまり話をしない場合はこの型になりがちだ。いわば「提案」「主張」型である。
あるいは、
最近みたトトロという映画面白かったよ。好きなジブリ作品なに?
みたいな「主張」「質問」の型もあるだろう。これは、文脈をある程度つくって(場をつくって)相手にボールを渡すので、相手に優しいバファリン型トークである。一番、相手への負荷は少ないかもしれない。
この辺りは、多分、人の個性によって、どのような会話を好むかは全く異なるのだろう、と思う。たとえば、「提案」「主張」型しかしない人はいるし(質問を全くしない人)、逆に「質問」しかしない人もいる。基本はmixになると思うが、傾向はあるだろう。あるいは、相手との関係性によって変わる。たとえば10年寄り添った夫婦なら、「報告」型になるし、初めて会う異性だったら探り探りの「質問」が多くなるかもしれない。
会話をしている時に、たまにこのような構図を描きながら会話をする。つまり、このトピックの源流はどこか、相手の会話の好む類型はどれか、あるいは、会話の比率はどうか。
この比率というのも意外にくせ者で、人は「相手ばかり話をしている」と、抵抗感を感じるし、逆に「質問ばかり」されていても、抵抗感を感じる。逆に「相手がずっとしゃべる」というケースの場合、こちらはほとんど意見や提案を述べなくても、「相手はその会話を楽しかった」と感じるケースがあり、不思議な心理学が働く。ただこの場合も「意見」を述べるのではなく、「相手の会話に添え木」をして、会話をふくらませるために「質問」や「応答」「同意」などが必要となってくるため、この場合も複数の分岐が存在しそうだけれども。
また、「議論」を好む人もいて、その人はとりあえず相手の提案に反論を示す。それは敵意を表すのではなく、会話の醸成のために、敢えて反論を持ち出すというやり方である。この場合、単なる同意よりも話が盛り上がることが多く(盛り上がる=多様性を生む)、便利なのだけれど、ただ、落としどころが難しい(敢えて反論した側が折れるのが適切だとダレカガ言っていた)。
あと、これはどこかで読んだのだが「質問」をする人は、その「質問の回答」を重視するよりも「質問返し」に本質がある場合がある。つまり「自分が聞いて欲しいことを相手にまず聞く」という人もいる。これは、うっかりすると回答ばかりで話が流れてしまいややこしいことになりがちなので、相手の質問の本意を推測する必要ありマスあるよと誰かがいっていた。
会話が上手な人は往々にして質問が上手なような気がしていて。しかも、その質問のテーマ設定が絶妙である。特に多数の場の時はその質問の回答でのコミュニケーションがしばらくは醸成されるわけで、そのテーマが失敗すると大変なことになる。そういう点で「誰しも回答」ができて「誰しも楽しめて」さらに「その回答が参考になる」という質問は非常に難しい気がする。大学時代に某諸先輩方の判例として、たとえば「自分が異性に対してこだわる身体のパーツは?」とか、最近された質問として「一番もらって嬉しかったプレゼントは?」とか。
あと質問1つとっても「HOW」「What」「Which」などの類型があり、一番インパクトのある質問は「Why」である。ビジネスだと、これをベースとした質問になるが、日常会話では「Why」は使いどころが難しい言葉でもある。というのも、相手がこの回答として適切なものを持っている場合、会話の深さを増すことができるが「なんとなく」「わからないけど」という場合、相手はスムーズな回答が出来ず、お手つき1回をもらった気分になる。あと、この「HOW」を「When」に見せかけるという質問もあり、たとえば「○○の夢はなぜ諦めたんですか?」というディープな質問をこのように聞くと相手はなかなか回答しにくいが「その○○の夢を諦めたのはいつ?」という形だと、まだ回答はしやすい。そして、そのいつというのが、Whyの回答の補助線となる(その時に何があったか?ということになる)。あと、手垢にまみれた古典的な質問として「私/僕のどこが好きなの?」という命題があるが、これは「Which」に見せかけたトリックな質問だと誰かが言っていた。これの応用として、小説としては陳腐すぎる命題としての「私と仕事どちらが大切なの?」という2000年利用されている質問も同じ構図である。これは質問に見せかけた「意思表明」
であり、しかも回答は「Which」ではなく「Because」で受けないといけないという複雑なトラップであると先生が言っていた。ないし「Yes/No」でも可だそうで。でも場合によってはそれを一周させて「Which」で受ける方が適切という友人談もあり、もはやデリダもびっくりの脱構築の再構成の世界になってくる。あと映画や小説の小粋な会話として「質問」に対して「接続詞」で回答するというテクニックがある。「あるいは」とか。その辺になってくると、もはや会話というか台詞の世界である。それでは良き問いを。
※写真になぜかハートはいってますが、意図なし(ポラツール使ったら入ってた)