月別アーカイブ: 2022年9月

イシューからはじめよを読んだ

最近読み返した

>君たちの賢い頭で 10 分以上真剣に考えて 埒 が明かないのであれば、そのことについて考えることは一度止めたほうがいい。それはもう悩んでしまっている可能性が

>「悩まない」というのは、僕が仕事上でもっとも大事にしている信念だ。これを伝えた若い人たちを見ていると、この本当の意味がわかって実践に入るまでに1年程度かかることが

>「これがイシューだ」と思ったら、そのイシューの主語を確認してみよう。「誰にとって」という主語を変えても成り立つものは、まだイシューとしての見極めが甘い可能性がある

特定の主語が重要

>知らない人に電話でインタビューを申し込むことを英語で「コールドコール」と言うが、これができるようになると生産性は劇的に向上する

最近はビザスクもあるしよりリバレッジはきく

>実際、僕自身もこれまで数百件の「コールドコール」をしてきたが、断られた記憶は数えるほどしかない。生産性を上げようと思ったらフットワークは軽いほうが

すご

News Dietを読んだ

伝説的な投資家であるウォーレン・バフェットの仕事机の上には、三つのレタートレーが置いてあるという。配達された郵便物用とこれから発送する郵便物用、そして「難しすぎる案件」用だ。バフェットの「能力の輪」の外にあるものは、すべてこの「難しすぎる案件」用トレーに振り分けられる。つまり、バフェットがこれといった知識を持たないもの、適正な時間内にじっくりと考え抜くことができないものがそれに当たる。  

ice boxメソッド

デジタル化により、いまやニュースは無害な娯楽媒体から人間の健全な理解力を損なう大量破壊兵器に変化している。そのような危険なものは、避けるに越したことは

ほんとニュースは、人の時間を奪う兵器よね〜。しかも、扇動までする。

最後まで読み通そう。  そして 別の本をはさむことなく、つづけてもう一度読み返す。 二度読んだときに得られる効果は、一度しか読まないときの倍どころではない。私の経験から言えば、効果はほぼ一〇倍にはね上がる。「二度読み」の効果の高さは、もちろん長文記事にも

本は2度読むべし

タクシー運転手の海馬の神経細胞は、バスの運転手よりもずっと発達していた 〜道路地図」に関しては秀でていたものの、幾何学的な図を新たに覚えるのは苦手だった。一方で、バスの運転手のほうは、新たな図を覚えることに支障は感じないようだった。つまり、 脳のある領域が発達すると、それにともなって別の領域は退化する らしいのだ。  同じような脳の構造の変化は、音楽家やジャグラーや多言語環境で育った人にも認められる

記憶力は努力でカバーできる

作家として成功するにつれて、スタージョンは悪意ある言葉を投げかけられることも増えてきた。SF小説の九〇パーセントはクズだという文芸評論家の批判の矢面に立たされるようになったのだ。だがスタージョンはまったく動じず、こんなふうに答えた。 「確かにそのとおりだ。だがあらゆる出版物の九〇パーセントはクズだ。ジャンルなんて関係ない」。 彼のこの答えは、「スタージョンの法則」 として知られるようになっ

「食事が終わってナプキンを折りたたんだあと、この昼食が有意義だったかどうかを判断する基準は何にしましょうか?」  すると、答えはたいていこんなふうになる。昼食の相手から、それまで知らなかった真実や重要な何かを聞くことができたかどうか──つまり、世界をもっとよく理解できるようになるための新しい視点を得られたかどうかが判断の基準になるということ

おもしろーい。やってみよ

 

「NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方 」を読んだ

 

自然の価値を科学的に分析した本。めちゃめちゃ面白かった
平均すると、被験者は都会にいるときより、屋外の緑豊かな場所や自然のなかに身を置いているときのほうが有意に、かつ確実により深い幸福感を覚えている」
同僚、 李宙営 は、森のなかをゆっくりと散策すると、都会を歩いているときと比べて、従来ストレスホルモンと呼ばれていたコルチゾール値が一六%も下がることを発見し
自然の風景を見た被験者の脳は五分後には通常の状態にまで回復したが、人工的な風景を見た被験者の脳は一〇分以上経過したあとも、ある程度しか回復しなかったのである[
この答えを求め、二〇〇八年、李は東京在住の中年のビジネスマンの一団を森に連れていき、三日間、二~四時間ほど森のなかをハイキングしてもらった。三日後に血液検査を実施したところ、ビジネスマンたちのNK細胞が四〇%も増大していることがわかった。さらにその後も七日間、NK細胞が増えた状態は持続し
ヒノキの香りが漂う部屋で睡眠をとった被験者は、三日後にNK細胞が二〇%増大した。そうした被験者は疲労感が軽くなったと報告した。いっぽう、香りのない部屋ですごした被験者にはなんら変化は見られなかっ
ほんの数日間自然のなかですごしただけで、五〇%も創造性が向上したのである[
本書でも、夫妻の研究の成果を何度か紹介させていただいている。そんなレイチェルに、脳を休ませるにはどうすればいいのでしょうと尋ねると「うっとりとした穏やかな状態でいること」という返事が返ってき
とはいえ、この複合施設にはもっと複雑でもっと興味深い話が隠れている。自然のなにが人間の心と調和するのかという問題に関していえば、あまり注目されていない五感のひとつである嗅覚が強力な要素であることがわかっている。脚光を浴びているのはもっぱら視覚だが、マルセル・プルーストにはわかっていたように、脳内の情動をつかさどるニューロンにもっとも強い反応を起こすのは嗅覚
た。彼の話によれば、日の出の時刻から少なくとも一五分間、人間がつくりだす騒音がまったく聞こえない場所は、アメリカの大陸部では一〇か所程度しかないそうだ。つまり夜明けにたった一五分間でも静寂が続く場所はほとんどないというわけ
激しい痛みの発作に何度も襲われた。自宅での長期にわたる療養中、窓の外の一本の松の木を眺めていると、言葉にはできないほど大きな慰めを得られたと
なかですごしたあとの気分の変化とストレスの軽減について尋ねた。すると一か月に五時間、自然のなかですごすと、最大の効果を得られるという結果が出た。トゥルヴァイネンはその効果についてもっと深く分析するため、新たな実験を実施した。八二人のオフィスワーカー(大半が女性)に、三つの異なる場所 ── 都心、整備された公園、森林公園 ── ですごしてもらったのだ。どの場所の被験者にも、三〇分間のんびりと散歩をしてもらい、その前後に一五分間、じっと座ってもらった。そして質問紙に答えを記入してもらい、唾液を採取し、血圧と心拍数を測定した。被験者には、そのあいだお互いに会話をしないようにと指示した(人と交流すると心理的にいい影響が及ぶためだ)。つまり、実験後、被験者が幸福感を覚えたとしても、それは友人ができたからではないことになる。  すると、科学者なら「ビューティフル」と称賛するであろう結果が出た。有意な効果が見られ、予想どおり正比例の関係が見られた。ワゴン車のなかで座っているときと比較して、都心ではストレスから「回復」したという感覚はほとんど抱けず、いっぽう、整備された公園や森林公園のなかではそう感じた。変化は比較的早い段階、すなわち戸外で一五分間座っただけであらわれた。その後、短い距離を散歩すると、「回復」したという感覚がさらに強まり、その状態が持続した。緑がある場所ですごす時間が長くなるほど、気持ちが上向いたという報告が増え、その効果はより自然豊かな森ですごした人のほうが高かっ
 都会で暮らす人たちにとって、これは朗報だ。町中の公園で一五分から四五分間すごせば、気持ちが前向きになり、活力が湧いて、ストレスを軽減できる。公園の歩道が舗装されていようと、大勢の人がいようと、ときどき道路の騒音が
クレイマーはスタンフォード大学が最近発表した論文に大いに関心をもっている[ 12]。室内のウォーキングマシンで歩いても、戸外を実際に歩いても、拡散思考による創造性が高まるというの
ないと話した。「そういう体験によって、態度、気分、行動、さらには脳にも長いあいだ持続するポジティブな変化が生じるんだよ[ 5]」宇宙飛行士も宇宙から地球を眺めたときの「オーバービュー効果」〔神のような超越者の視点から、地球の全体を一望のもとにおさめることによる意識の変容〕 により、同様の感銘を抱く。また臨死体験をした人や、一般的な登山者、サーファー、日食や月食を見た人、イルカと一緒に泳いだ人なども、畏敬の念に打たれ、人生が一変するような衝撃を
 その後も何度か激流に遭遇した。わたしは興奮してやたらと明るくなったり、不安でぴりぴりしたり、身体が冷えて寒くなったり、負けてたまるかと意を決したりと、激しい気分の波にも翻弄された。激流に入ると視野が狭くなり、集中力が上がる。心拍数が増え、息が上がり、皮膚の温度も上昇する。胃が縮むのもわかる。このぐらいのちょっとした冒険でアドレナリンがほどよく放出されるのは、じつに楽しいものだ。いまこの瞬間を生きていると実感できる。些細なことなどどうでもよくなり、激流を無事に通り抜けてほっとすると、エンドルフィンが一気に放出される。カヤック愛好家のなかにはカヤックでの激流下りを「コンバット・ボーティング」(ボートの

シリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカント を読んだ

シリコンバレーのグル、ナヴァル先生の本。面白かった
だから、 事業を始めもしないうちから仕事の人脈づくりをするのは、まったくの時間の無駄 だ。私にはもっとしっくりくる信条がある。「人が欲しがるおもしろいものをつくれ。技を披露し、技を磨けば、しかるべき人が君を見つけてくれる」
簡単な経験則:難しい決定をめぐって意見が真っ二つに割れたら、短期的な苦痛が大きいほうの道を選べ。  選択肢が2つで、どちらも優劣つけがたいときは、 短期的な困難や苦痛が大きいほうの道を選ぼう。  つまり、一方の道を行くと短期的に苦しみ、もう一方の道はずっと先に苦しみがあるとしよう。すると脳は本能的に衝突を避けるために、短期的な苦しみを退けようとするんんだ
 実をいうと、私は人が思うほどには読書していない。せいぜい1日に1、2時間だね。 だがそれでも世界のトップ0・00001%には入る。  私が人生で何らかの物質的成功を収め、何らかの知性を得ているとしたら、それはひとえにこの読書量のおかげなんだ。現実の人間は1日1時間も読まない。たぶん、1日1分も読んでいないだろう。読書を本物の習慣にすることが、一番重要
私は自分の過去を何も信じない。一切信じない。過去の記憶も、後悔も、人々も、旅も、何一つ信じない。多くの不幸は、過去と現在を比べることから生まれるんだ[
 前に読んだブレーズ・パスカルの本に、こんな一文があった。「人間のあらゆる問題は、一人で部屋に静かに座っていられないことから生じる」  もし 30 分間満ち足りた気持ちで座っていられるなら、君は成功者だ。これはとても強力な境地だけれど、そこに達する人はとても少ないんだ[
私がここ5年間で一番驚いた発見は、心の平安や幸福が「スキル」だということだ。それは生まれつき備わった資質なんかじゃない。たしかに遺伝的なものもあるだろうし、環境による条件づけも大きいが、自分でその条件づけを解くことも、やり直すこともできるんだ。  幸福は徐々に増やしていける。そう「できる」と信じることが、出発点になる。  幸福はスキルだ。栄養管理やダイエット、ワークアウト、お金儲け、デート、人づきあい、恋愛などと同じ、スキルだ。  幸福は学べるスキルだと気づくことから、すべてが始まる。幸福になることに本気で集中して取り組めば、世界は生きやすく
もしベーザドに幸福の秘訣は何かと訊いたら、彼はきっと顔を上げて、「つべこべ言わずにワーオと言え」と答えるだろう。世界はそれほどすばらしい場所なん
・自分は幸福な人間だと、友人に宣言しよう。そうすると、その言葉に合わせて自然に幸福になれる。一貫性バイアスが働いて、自分の言動に一貫性を持たせようとするん
・例外は認めない──スマホなどの画面上で行うすべての活動が幸福を損ない、画面を使わないすべての活動が幸福を促す[
あなたにとって「受け入れる」とはどういう状態のことですか?  どんな結果が出ても気にしないこと。バランスと重心が取れていること。一歩下がって大局的に物事をとらえることだね。  私の求めるものが必ず手に入るとは限らないし、もしかすると今起こっていることが私にとって最善のことなのかもしれない。それを現実として早く受け入れれば受け入れるほど、早く適応
冷水シャワーの苦しみのほとんどは、おそるおそる入っていくときの苦しみだ。いったん入ってしまえばこっちのものだ。苦しくはなく、ただ冷たいだけだ。体が冷たいと感じるのと、頭で冷たいと思うのとは違う。ただ体が冷たいだけだということを認める、向き合う、対処する、受け入れる。頭で悩んでいてはダメだ。冷水シャワーを2分浴びたって死にはし
 

で、こう思った。「なぜ私は空想の中で未来を計画しているんだろう? なぜただここに立って歯を磨けないのか?」。

歯磨きしてる時は歯を磨けている幸せにフォーカスせよという話。たとえ、その日に取材などがあってもそのことは考えるな、とか。たとえが面白い

瞑想とかリトリートとか

今日、友人が北海道でしていたリトリートの話から、リトリートでは「瞑想」がいいんじゃないかとう話になり

この1週間だけでも、知らない間に瞑想の話をこんなに聞いていた、していたのかと驚いた。

これは、人は自分の関心のある情報にだけ自分に入ってくるカクテルパーティ効果によるものかもしれないけれど、やたら瞑瞑づいているなと思った。

瞑想気になる

SNSを使わない方が、尊い時代

昔、日本では太っている方が高貴とされた。お金持ちしかたくさんご飯を食べれなかったからだ。

しかし、飽食の時代になり、逆に太っていると、自分のコントロールができないとされて、痩せている方が尊いとされる時代になった。

モノもそうだ。バブルのころはいい車、いい家、いいモノを持っているものが尊ばれた。しかし、昨今は、サステイナビリティのトレンドやミニマリズムのトレンドもあり、モノを持ってることが尊いとは思われない。

そして、このトレンドは、インターネットにもあるかもしれない。

2000年のころは、SNSがトレンドで、「なぜしていないの」という時代だった。しかし、昨今は、誰しもがtwitterに、tiktokにinstagramをしている。もう飽和の飽和。おなかいっぱい。

そういう時代では、SNSをしない方が、もしかしたらcoolなのかもしれない。以前、テレビが市民の時間を奪うというような言説があったが、昨今はSNSが人々の時間を奪う。すなわち、人の時間を生産的ではなく浪費させる、というような当てはめも可能かもしれない。

つまり、SNSは人の生産性をさげ、ひいては国力をさげ、さらには、人類の進化を遅くする。

むかしはゲームや漫画が悪とされていたが、今後は、SNSが悪とされる時代になってきている。ちな、これに関しては以下の本が面白かった

ということで、昔は私も、SNSの本などを書いていた人間としては、隔世の感があるが、昨今は、SNSをいかに控えるかに苦心している。ブラウザのアドオンでブロックしてみたり、通知をきったり。

いままでは、mixiから、twitter 、instagram、tiktokというSNSの流れがあった。そういうはやり廃りがあった。ただ、これからは、「インターネットを使わない」というトレンドがくるかもしれない。

そうなった時に、求められるビジネスは今までのものとは少し異なるものかもしれない。デジタルデトックスの事業や、それこそ趣味の事業とか、そんなこんな。