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昔住みたいと思っていたような部屋に住んでいることに気づいて

先日、ふと若い頃の記憶を思い出した。漫画に「変(奥浩哉)」の漫画があった。読んでいたのは小学校か中学校の頃だったろうか。そのシーンの1つで、ある登場人物が住んでいる部屋が描写されていた。それは100へ-べーくらいの部屋でベッドと冷蔵庫しか無いような部屋だった。あとバスケットボールも転がっていた様な気がする。「こんな部屋に住んでみたいな」と若かりし僕は思った

それから時は流れること20年弱。部屋の広さはさすがに叶わないけれど、「モノがとても少ない部屋」という願いは実現して(あと部屋の雰囲気とか)。もちろん、部屋を借りる時に、そんな昔の記憶を思い返したわけではないのだけれど、最近、ふとそんなことを思った。

で、それを思い返すに、やはり人の志向性や趣味は、昔からそんなに大きくは変わらないんではないかなーと。他の事例として思い返すに、中学生だか高校生の頃によんでいたホットドッグプレスだかの雑誌があって。そこに載っていた車「マスタングのオープン」に非常に感銘を受けた。「かっこよい!」と。そして、数年後、実際にそれに載っていた私がいた。他にも「いつか経営者になってみたい」「いつか世界を回ってみたい」「いつか本を出してみたい」といった思春期に描いていた青写真は、それなりに実現をしていて

もちろんこれは「思考は実現する(カーネギー)」的な自己啓発的アプローチも可能なのかもしれないけれど、そんな込み入った話ではなくて、もうちょっとシンプルに「趣味の問題」で捉えても良いのではないかと思う

「こうしたいな」という思いは、自分の趣味や志向性から生まれたもので、その趣味(センスといってもいいかもしれない)や志向性は幼いころから大きく変わらないからこそ、将来に、ある選択肢があった時に、「結果的に」若いころに描いていたものと同じものを選択するのではないかと。

もちろん逆のとらえ方として「こういうことをしたい」と信じ、念じ続けているからこそ実現することもあるのだろうけど、僕の場合は「こういう部屋にすみたい、すみたいのだ=!」と血気盛んに思っていたわけではなく、すっかり忘れており、でも気づいたら、住んでいた、というような。

そういう意味で、ふと「ああ、こういうのしたいな、ほしいな」と感じたことは、最近は大切に記憶しておくようにしている。そして、将来「あ、こうしたいと思ってたんだ。実現してるや」と思い返すのが、楽しくて。一種の幸せの積み立て貯金というか(将来の幸せのために記憶を1コマだけ使っておくというか)

そんな小さな幸せを口の中で転がしながら口笛を吹いていきていきたい春の訪れ