月別アーカイブ: 2007年2月

時間の「借り」という恐ろしい資本主義の構造

MOMENT

なんとなくブログを書きたくなったので、過去の書評を引っ張り出してきてポスト。省エネ。

いつぞやかおすすめした本多さんの本。本筋はイマイチなのだけど、相変わらずディテールが素晴しい。

特に素晴らしく気に入っている一文がこれ。

エリートは貸しを作ることは気にしないけれど、借りを作ることは嫌う。
資本主義というシステムを知り尽くしているからだ。
借りには必ず利子がつくことをわかっている。

これですよ。
素晴しい慧眼。ここまで資本主義の本質をついた文章は見た事がない(言いすぎ)。マルクスも本多さんよめ。

いやさ、でも、これは恐ろしいほど真実で。

まぁ、金とか借りは作らないに越したことはないんだけど。さらに、気付かずに作ってしまうのが「時間」という借りね。これ以外と、知らない間に回りに借りを作ってしまう。

たとえば「遅刻」。あるいはアポの「延期」。これとか全部、借りを作っているわけですよ。まぁ、でも、この辺の「貸し借り」の概念は理解しやすいはず。

で気をつけたいのが「メールの返信レスポンス」。これって借りなんですよ。多分。てか最近、気付いたんだけど。

返信ってさ、同じ文面を返信しても、早いか遅いかで価値が全然変わってくるんですよね。特に、なんか参加数r申し込みとかもさ早いほうがいい。飛行機もそうじゃないですか。早割りがあるように、早いほうがいい。

つまり、メールの返信が遅れるのは相手に借りを作っているんですよ。で、資本主義の原則においては、借りはすべて負債。

なんてことを思っていたわけですが。まぁいいや。MISSINGに戻ろう。似たような言葉がもう1度。

「学習しただけです。おつりを返し損ねると利子が高くつく。」
「何?」
「資本主義社会における単純な経済学です。」

ということですね。

借りにはそして利子がつく。返信を忘れたメール1通が、どんだけ負債を生み出すことか。どうでもいい話だけど、この三連休は数ヶ月間に返せていなかったメールを返した気がする。1年ぶりとかのレスは迷惑以外の何ものでもないだろうけど、借りとか抜きでなんだか返したかった。

で、MISSING.

どんなシーンか忘れたけど、主人公(男)の前で女性が服を着替えるシーン。恋人同士ではない。

上田さんは僕が期待したとおりのことを僕が期待したのとはちがう方法でやったパジャマを着たままワンピースを頭からかぶり、背中のファスナーをあげないまま、服の中で両手を動かして上田さんは起用にパジャマの上を脱いだ裾からパジャマの下も出てきた。
「小学校のころから不思議だったですけど」と僕は言った。
「女の子はいったいいつごろその特殊技術を習得するんです?」

「見せることに値段がつくって気付いたころからよ」

それが本当とするなら、小学生のころから男の子と女の子との間にはものすごいさがついてくる。ひょっとしたら男の子は永遠に女の子に追いつけたりなんてしないのかも知れない。

同意。

そして、永沢さんの紳士論にも通ずる素晴しいアフォリズムがこれ。

「言わないのね?」

「はい?」
「もう帰ろうって」

「せっかくのデートですから」と僕はいった。

「デートを終わらせるのは女性の役目です。引き伸ばすのが男の役目」

キザすぎるという話はあるけど、なかなか応用が利きそうな言葉。

これを見るとノルウェイのラストシーンを思い出した。主人公が最後、レイコさんとすき焼き食べた後のシーンで「いいしわです云々」というシーン。なんか、あのシーン、好きだなぁ。

まぁいいや。じゃあ、最後。

「先人たちがむちゃくちゃに傷つきながら築きあげた平和の中で」そのおばあちゃんたちを眺めながら僕は言った。

「うん?」

「魂を汚さぬように鍛えながらロマンチックな大人になる」

「何だ、そりゃ?」

「学習の結果に生まれた将来の目標」

特にひねりのある文章ではないのだけれど。魂を汚さぬようにってのが良い。そしてロマンチックな大人ってのが良い。大人はそもそもリアリスティックでプラグマティックだからこそ、やっぱりロマンチックでいたいですね、そうですね まる。

#クラーク博士も「Boys Be romantic」って行っていれば少し世界は変わったのかしら。

ひきこもりDAYS

いやー、引きこもった引きこもった。
下記、ほんっとにどうでも良い独り言ばっかり書いているので、ご容赦下さい。スルーください。
この3連休は思う存分、引きこもった。ちょっと出た以外はずっと引きこもってたよ!
飯も自炊する徹底振り。麻婆豆腐、パスタ、豆腐の何かしら作った!
でも、ちゃっかり走りには行ってた。「Kids Return」のサントラ聞きながら東京タワーに集う観光客どもを蹴散らしていたよ。工事多かったのが難点。
しかし、天気の良い三連休でしたね。気持ちよかった。
こもって、GTDの鬼ですよ。GTD。ゲットシングスダーーーンですよ。これに関しては、また別でいつかエントリー書こう。とりあえずGTD で言うところの「今すぐする」タスクを洗い出したら3桁以上あって、片端からやっつけてた。あー、がんばった俺。自分を褒める。気持ちよいね。こうしてたな卸しするのは。そして本腰入れてGTDに取り組んだ。奥が深い。
直接人に会わない割には、メッセから電話からメールから携帯メールから手紙からSNSからと文明の利器に色々お世話になった気がするなぁ。ネットなかったら世界は違うかったんだろうなぁ。うん、10年前は違うかったもんなぁ。ICQだったもんなぁ(変わってない)。
あと、本屋めぐりを相変わらず。いつも下記のコンボを巡る。今回は必要な本3万円分ほど購入。とうとう本棚が破綻。
A.六本木のABC ここで写真集と小説関連を
B.六本木駅前のあおい書店 ビジネス書
C.けやき坂下のつたや 雑誌
あと貯まっていた雑誌を2桁冊読了した。スクラップが大量にできた。やはりScanSnapを買うべきか。ちょうど、新しいのが出ているんですよねぇ。
映画はいつもどおり、Discasを利用。1本の半分だけ見た。出なくて良いって素敵。雑誌も、いまや定期購読だからなぁ。どんどん引きこもっていくという罠。
あとデフラグした。これ重要。あと何したかなぁ。BeckyからThunderbirdに移行をしようとして挫折した気がする。あと WORDPRESのSitemapのプラグインを入れた。DWの8も使ってみた。あとMySQLごにょごにょ。年賀状は読むタイミングすっかり逃して、もう読むのが怖くなって(こういうことってありません?)半分ほどまだ読めてないという罠。どうしたものか。
ぜんっぜん覚えてないなぁ。とりあえずひきもってG・T・D!G・T・D!だったなぁ。
まこっちゃんじゃないけど、電子になろうかしら。

携帯メールの効用

今日、ものすごく天気よいね?
テンションあがってきた。
天気って素晴しいなぁ。
ということで今日のブログ2本目。
昨日、携帯メールをして思ったんですよ。
常々、このブログで言っているように、僕は携帯メールが苦手で。
嫌いじゃないんだけど、打ちにくい、というただ1点の理由だけで苦手なんです。
つまり、キーボードが携帯についてたら問題ないんだけど。
だから3文以上の文章はだいたい、PCメールで打って、自分の携帯に転送して
それから、それをコピーして、再度、メールを送るという工程を辿るのです。
そのほうがよっぽど早い。
でも、昨日はたまたま外から携帯メールを返信する必要に迫られて
PCから撃てず、携帯から打ってたんですよ。
で、その時おもった。
このうちにくさ。
つまり、このじらされ感?(謎 あるいは、このうちながら考える時間ができること。「
それって大切じゃないのかなぁ、と思った。
PCなら考えるのと同時に文字が出るから、なんか、つまり思ってるまま書いてますよ。
つまり喋っているのと同じ。
このブログの乱雑さとか、まさにそれを表している。
でも、携帯メールって、喋っている速度ほどには早くないから
どうしても、違う文体になる。
たとえば、考えながら打ってしまったりね。
それってば、PCメールと違う効用があるな、と思った。
携帯メールだと、やたら雰囲気の違う人いるじゃないですか。それってそういう効用があるのかなぁ、と思った。
そういえばPCのキーボードの並び方も、打ちにくさを敢えて出すために作成されたというけど、なんつーか、そうなんだよな、と思った。
そういう、「遠回り感」って意外と大切かも。
あと、さらにすげーどーでもいいんだけどさ。
いつだったかなぁ。
昨年だったかなぁ。なんか、初めて出会った人と必要に迫られて電話番号だけ交換したんだよ。だからメールは知らない。
で、でも、その時、相手からメールが届いて愕然とした。「なぜメールわかった!」と。、でもそれメールじゃなくて、いわゆるショートメール。同じキャリアだけ有効なのかな。電話番号に送れるヤツ。
あれ、存在は知ってたけど、そういうことに使えるという想像力がなかったから感動した。
つまりさ、電話番号だけ聞いておけば、連絡が簡単に取れるというわけですよ。
たとえばね合コンとか、ビジネスでのアンオフィシャルの飲み会とかでさ
連絡先きかなアカン時あるやん
その時、電話番号って数字だから、ききやすくても、メールアドレスってききにくいよね。長いし、うちにくいし。
名刺にいれてたらいいんやけど。
だから、そんな時キャリアが同じだとわかれば電話番号きいて、あとでショートメッセージ送って、そこでメアドだけ聞けばよい。
そういえばこの機能って、携帯メールができる前、関西セルラーかなー。違う。ツーカーだったかな?がやってたんだよね。ショートメール。
わすれたけど、高校2年のころだから、1997年とか?
のころ、このショートメールが始めて登場したんだよね。確か。
それが丁度、この電話番号に紐づけてメールを送れるシステムだった。
いま、まさにそれが復興していると。
多分、こういうのって常識なんだよね?
僕が知らなかっただけで。でも、すげー便利と感動した記憶がある。なんというか合理的。
まぁ、いいや。

三連休の中日は、思い切り寝坊して珈琲。

戦友ゆうちゃんのブログで見かけた一文に痺れた。

DailyTokyo:麻布十番はやくざな町か

こちら。

トーキョーではいまこの瞬間も
いろんな誤解が生まれている

おー、そうだよね。と思った。

誤解ほど世の中にスパイスを効かせてくれる厄介で困難な認知バイアスはなくて。その誤解を解くのに人は言葉に言葉を重ねて、さらに誤解を生産していく。

まさに人とはまさに誤解生産機。喋れば喋るほど、なんだか間違った方向に突っ走る。

コミュニケーションたるや、まさに誤解を前提になりたつわけあるよ。

お互いが分かり合えないのを前提に、それでもなんとか徒手空拳で我らは言葉をつむぐ。結局は行間をため息で埋めていくことになるのだけれど。まさに、浜辺で砂山を作るよう。その様は、砂上の楼閣。

で、そんなことを考えていると示唆フルな一文に再度出会った。

sunnyのブログ
 #リンクしていいのかな。まずかったら後で消そう・・・。

ふわふわクラゲ-私のイキかた。

コミュニケーションが発生するにはそれなりの条件が必要となり
もし、それが発生しない場合に発せられるこの言葉。
これに、私はケースバイ、と同じ軽薄さを感じる。

「そういうつもりじゃ、なかったんだよ」

ケースバイって言葉、私もよく使うから気をつけなかんなぁ。ケースを列挙して、その場合の可能性を提示する場合は良いのだろうか。あるいは、全てのケースを包含するルールを出さないといけないのかしら。なんて。

ふーむ。なるほどなぁ、と、思った。

蛇足だけど、抽象的な文章、あるいは複雑な文章を読む時は、その文言を追ってはならないと思った。それより大切なのは、思考のトレースなんだよ。

つまり、どういう意図でこの言葉がでるのか。自分がこれを書くなら、どういう思考プロセスを得るのか、そういう視点で書かないと、その方々の文章ってのは、きっと読めない。

哲学書とかでもそうだけど。
多分。
そんなことをちょっと思った。

まぁいいや。

世の中は誤解で溢れている、それは正だとするならば。

それを前提で生きていくほうが良いのか、あるいはそれを見てみないで生きたほうが幸せなのか。

ケースバイだな、と思った。

美人/不美人とはGoogleページランクの概念で説明できるのではないか?

恋愛にはページランクっていう概念を入れると面白いのではないかと。ちょうど、一昨日だか、友人とそんな話をしていたのだった。
そんなことを、この記事のタイトルを見て思い出した(まだ内容は読んでませんが)。

socioarc: 恋愛市場におけるロングテールの可能性とその限界

で、一気の覚書ご容赦。
恋愛というか、いわゆる俗界で流行っている「モテ」理論でもいいや。what ever who cares。
いやね、人がモテるかどうかっていうのは、主観ではありえないわけですよ。客観でしかない。いや客観でさえもない。
あるいは、美人とかカッコイイとかの概念も。それもさ、絶対美というのはなくて、データから積み上げる帰納法でしか証明できないわけですよ、多分。
いや、そりゃ美の世界に入ったら学問的に言えば、どろぬまなので入りません。入ると、まぁ、絶対美をある意味、説明できるのかも知れないけど(黄金比とかよりも寧ろ、遺伝的観点とか)、なんつーか、きりがない。
よって「美人」ってのは「人からより好かれる」っていうことが積み重なって、「美人」になるわけです。
まぁ、厳密にいうと「美人かも知れない」という蓋然性のパーミッションを得ただけにすぎないのだけど、まぁ、背理法的に(つまり、美人以外には美人でないというベン図を参照)、その蓋然性が、美人を証明する唯一の手段となりえる。
で、でも、それって、「100人に好かれたら美人」というような公式が成り立つのかというと、はなはだ怪しいわけですよね。
まぁ、でも平均が10人ならば100人っていうのは凄いかも知れないけど、でも、そこにはやはり「量」と「質」が関わってくるわけですよ。
つまり、「そこそこの男」に10人に好かれるのと「ぶっちぎりのいい男」1人に好かれるのと、どっちがいい?と考えてみなさいよ。
で、実はこの理論、どっかで読んだなぁ、とさっき脳を捲っていたら思い出した。多分、阿刀田高さんの本だ。どの本だったか忘れた。その本にあったのはこんな感じ。
「男と女は、自分に似合った人を好きになるものだ。しかし、もし自分が高望みばっかりしていれば、自分の恋愛は成就することはない。逆に、ストライクゾーンを広めに取れば、恋愛は数をこなせるだろう。そう考えると、モテル、もてないは、自分のハードルの高さによって規定されることが大きいのではないか。」
みたいな。覚書だから間違えているかも。
でも、まぁ、この概念は理解できる。
周り見渡してもいますよね。高望みしてはる人の嘆きを。「もっとハードル下げるべきだ」という言葉は、良い意味でも悪い意味でも使われます。まぁ、ストライクゾーンが狭いというのは、こだわりがあって良いのじゃないかしら。でも、今、初めて思ったのだが、裏を取ると「君の背丈にあった人をえらばないといかんよ」というものすごい失礼な言葉になるのじゃないだろうか。
だから、ここはハードルを下げるよりも、ストライクゾーンを広めるべき、というのが正解だな。メモメモ。
閑話休題。
えっと、なんだったっけ。マジメに忘れた。ええええっと。。。。。
ああ、そうだ。。阿刀田さんでずれた。
そうそう。
つまり「100人のイマイチからこくられる」のと「1人のキムタク(死語)と寝る」のとどっちが良いかというと、こりゃ、まぁ、もう、うん、なわけですよ。
ちなみに原理主義から言えば「恋人は1人なので数は関係ない」のいうドグマにとらわれた回答が帰ってくることが予想できるけど、ここは「数とかそんなの聞いてない」というのが正解。
ここで議論したいのは、美人というものはいかに定義づけられるかという話であって、恋人が1人が原則というのは別の問題。
で、何がいいたいかお分かりだろうか。
SEOを少しでもやっている方ならピンと来ると思うけど、つまり、そういうことですよ。
ページランク0とか1のページから千のリンクもらうよりも、ページランク7のリンクから1つのリンクもらったほうがハッピーなわけですよ(この辺、どっちが重いかは結構怪しいので間違っていたら許して。でも大筋はそういうこと)。
恋愛でもそうではないかと。
つまり、ページランク1の男性に告白されても、自分の美人度はほとんど上昇しない。ただし、自分の美人度が0の場合は効く。
あるいは、自分の美人度が8とかだったら、もうあれですよ。5とかからくどかれても効かないわけですよ。もっと上玉を狙わないと。
で、あるいは、自分が8なら、その女性からくどかれた男性は、1だったのがいきなり5とかにアップしたりしてね
。たとえば。
おお、いま、思ったけど、そう考えると、美人とか不美人とかは、かなり流動的であり、常に変動可能?おお、これ発見。
しかも、Googleダンスがあるように。あるいは、いきなり「動ナビ」とかからリンクされることもあるように、Googleページランクの世界にも、ランダム性がありまして。
で、世の中も「B専」という非常に、カオス理論に則って生きる人もいるわけで(実をいうと逆張りというだけで、軌道が読めないわけではないが、まぁ、それはそれで)。
そう考えると、まさに世の中のモテ度はSEOの理論にのっとっているわけぞなもし。で、そこから何の示唆が得られるかというと、SEOテクニックが恋愛でも使えるんじゃないでしょうか。
以下略。