半分の人生

人生も折り返したってわかれば、なんだかがんばろうって思えるのだけど

と言った人がいた。iPhoneのJazzが少し空気を穏やかにし、缶ビールのヘコミが少し時間の流れに緩急を付けていた。

平均余命から考えれば、あと10年くらいかかるんじゃない

と誰かが言った。
人生の半分か、と私は思った。年を取ると、時間の流れが幾何学的に加速するという話があって。それは「一般論」としてよく口上に語られるものなのだろうけど、当人にとっては、それは個別論でしかなくて。
たとえ皆がそう感じていても、つまるところの時間の早さに少しばかりのため息をついていたとしても、やはりため息をつくのが自分か、その他の誰かでは大きな違いがあって。結局のところ、物語や談話というのは主観性でしか評価できないものなのだろう。
人生の折り返しに関しては村上氏が過去に短編を書いていた。あるいは、過去に「自分の寿命は30までと定義する」という人と議論をしたこともあった。人は誰しも時間と共に生きる。時に時間に抗いながら、あるいは時に流されながら。
しかし、時間にも良い点が一つだけあって。それはまごうことなきの公平性、少し小粋な比喩を使うところの「時間の我々に対する誠実性」とでも言うべきもの。
つまりは、誰しも森羅万象、等しく時間を過ぎる。もちろん体感速度の差異はあれど、あるいは相対性理論から鑑みるところの誤差はあれど、総体の並べて平らにして、くゆぶらせて見るところ、それはどう考えても平等に時間が過ぎていく。
だから、私はつい、コンビニに行くにも走ってしまうのだけれど。でも、人生を折り返したいかどうかという質問を投げかけられたら、「定義による」って逃げてしまうんだろうな、と思うのだ。

半分の人生」への2件のフィードバック

  1. かみたに

    僕は親父や親戚の死亡時期から見て、60歳寿命説を考えているので、とっくに折り返しは済んでます。
    あと、20年か~。
    自分の人生も、子どもの人生を考えるにしても、あと20年は短い。
    とても足りない。
    がんばんなきゃ。

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  2. 原田

    ええ!やっぱり両親などの関係ってあるんですかね。個人的な願望こみの思いとしては、やはり、健康状態や環境によって大きく左右するために、日々の活動が影響してそうな気もしていますが(そう考えるとコンビに怖い!)
    コメントありがとうございます!

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