音楽に泣くということ。

昔、音楽を聞いて、涙を流した人がいた。
それは歌詞の力だった。初めて聞く曲なのだから。
でも、それを見て「音楽は力を持っている」と思った。
またある時。車に乗っていた。
週末の六本木通りだった。ラジオから音楽が流れた。
Day Dream Believerだった。個人的にとても好きな曲だった。
横に座っている人がそれを口ずさんだ。
なんだか今度は自分が涙腺が刺激された。
別の話。
坂本龍一が若い頃は、邦楽をほとんど聞かなかった。
でも、ある時、北海道だかどこかに仕事にいってゲームセンターにいる時のこと。
音楽が流れ出した。それを聞いた坂本龍一は涙した(確か)。
中島みゆきの曲だったそうだ(うろ覚え)。
音楽は、記憶を揺さぶる。
それは時に歌詞によって。あるいは、海馬に埋め込まれていたメロディによって。はたまた、遺伝子に組み込まれたリズムへの同調によって。
その時、僕はモロッコのカサブランカにいた。
宿で出会った人が英語を学ぶモロッコ人の女優だった。彼女に連れられて、同行者と「その人の師匠」がいるホテルに遊びにいった。
上海の浦江飯店のような伝統と古さがこびりついたホテルだった。フロントの前には、大きなフロアがあり、そこがバーになっていた。
ピアノの生演奏があった。そこから、Let it Beが流れてきた。
遠く異国で聞くその曲は、それはそれでいつもと違うシナプスを刺激した。
またアフリカのガーナにあるケープ・コーストという場所にいた。
エビが美味しい街だった。海辺だった。奴隷時代の面影を残した街だった。
そこで、夜、マラリア蚊を気にしながら道を歩いていた。
すると、道ばたで踊っている人たちがいた。
道にウーファーを出して、がんがんに音楽をかけて、渾身の笑みで彼らは踊っていた。巨体を揺らしながら、そして太鼓を叩きながら。
村上春樹のスプートニクの恋人に出てくる太鼓はこんなリズムだったんじゃないかと思えるほど誘われるような響きだった。
遠目に長めながら、私はその光景を7年後の今思い返す。
小説でいえば、伊坂幸太郎の小説に「ボブディラン」のBlowin’ In The Windが使われていたものがあった。
その曲を一時期、帰宅途中に集中的に聞いていた。今でもこの曲を聴くと、六本木一丁目から六本木に抜ける坂道を思い出す。
アメリカにいる時に同級生に台湾の方がいた。
その日は初夏の気持ち良い日で、カリフォルニアの光が教室に差し込んでいた。控えめにいっても、とても気持ち良い午前だった。
卓上には、カフェテリアでいれたコーヒーと、幅の広いルーズリーフが置かれていた。先生を待っていた。
突然、彼女が「夏の思い出」を歌い出した。
夏が来れば思い出す遙かな尾瀬遠い空、と。
なんだと混乱しながら、その素朴なメロディが頭にこびりついて、今でも離れない。
音楽って素敵だわね、と思う。

音楽に泣くということ。」への2件のフィードバック

  1. teratown

    いいね。
    音楽、旅先、小説、彼女。どれをとっても。
    ちょうど今朝、トータス松本と忌野清志郎が歌うDay Dream Believerを聞いて、目覚めた。

    返信

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