先日、友人のブックマーク経由で以下の記事を見た。
» 日刊スレッドガイド : 27歳ってどういう時期なんだろう
いわゆる27歳という年齢に関して、いろいろな人が現状や心境を語っておられます。
へぇ、と思いながら読んだ。あまり年齢は気にしたことなかったから、とても新鮮だった。そして27歳が何かの分かれ目ということも感じたこともなかったから、これまぁ、「へぇ」と思った。
ただ、26歳という年齢は少し意識していた記憶がある。起業のタイミングだ。これはまぁ、また会社のブログかなんかにでもいつか書こうかと。
いずれにせよ、私は大学卒業も人より3年ほど遠回りしたし、そもそも、「国をつくるんだー!」と言うキャリアパスなので、年齢の概念が希薄なのかもしれない。でも、周りを見ると、もう○歳だから落ち着かなくちゃや、結婚や、転職、などの話を年齢と共に聞くことが多い。
そりゃある程度の相関関係はあるのだろう。そして当然ある程度の関係なさもあるのだろう。いずれにせよ、「年齢」という1つの尺度が世の中では共通規格として利用されているのだから、それをベースに話しをするのはコミュニケーションの効率性という観点からは正しい。
精神年齢ベースで話をしても、それを判断する明確な基準はないし、あるいは所得や健康年齢、起きている時間数のような各種パラメタで何かを語ろうにも、結局、よりどころがない。
そのため、人は共通規格を利用する。人を判断する時だって、血液型が重宝されるのはわかりやすさからなのかもしれない。もし世の中が43通りの血液型があったら、こんなにも話題にはならぬだろう。でもたまに「私は○座だから○○だ」という人も見かけるので12通りくらいは、人間のマジックナンバーとして許容できるのかもしれない。携帯番号世代でキャパが広くなったに違いない。
いく世紀が先には「あなたのDNAなに型?」なんて話も飛び交うのだろうか。まぁ、そういうことがあってもそういうものなんだろう、と感じる時代はいつかくるに違いない。でも、「あなたの祖先って誰?」というような規格で話はなかなか聞くことがないので、結局、人口に膾炙するには適切な数字とわかりやすいメルクマールが必要なのだろう。
いずれにせよ、人は27歳を過ぎるし、30を超えるし、そして人生の折り返し地点を越えて、年を取って。そして最後に決算として、感想を述べる権利を得ることができる。自分の人生に対してだけの責務としての感想だ。
これは昔から言っているのだが、私としては「いい人生だった」や「幸せだった」というような言葉よりも「やっとだ」と言えるような人生を歩みたいと思っている次第。「生きることなんて召し使いにまかせろ」といったリラダンの言葉を応用するならば、穏やかな人生は他の方に任せれば良いのではないか、と社会の分布図からそう思う次第。
27歳
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