土曜の夜にtsutayaにいった。コーヒーを買いに。けやき坂の下のいつものtsutaya。
ふらっと2階のカウンターやテーブルを見てみると、人が詰まって座っていた。構成を見てみると、女性が1人か、男女のカップルだった。だいたい女性1人が5人くらい、カップルが7組くらいだったろうか。
ポーカーや花札ならぱっとしない組み合わせだけど、麻雀ならまぁ悪くないかも、といった程度の。不思議なことに男性が1人で座っているのは見かけなかった。うーむ、映画のタイトルだとsinglesってのがありそうだ、と思いながら、歌のタイトルとしては野暮ったいな、と思う。時に、英単語は映画性を持つものか、音楽性を持つものにわかれるに違いない。
ともあれ、そりゃそこにいらっしゃる女性。資格の勉強に忙しいのかもしれないし、あるいは、夜中から男性と六本木で落ち合うのかもしれないし、あるいは、今日はたまたま1人でいたい気分なのかもしれないけれど、なんだか、普通に社会の構図を考えて機会損失がいろいろ起こっているのではないかと、余計なお世話を考えた。1人の男性は部屋でこもっているのかもしれない。いずれにせよ、そのtsutayaでは、1人女性比率が高く、アンバランスな性差環境を作り出していた。
それを見て、ふと思い出す。最近、恋愛だか婚活だかの業界の話で、「肉食/草食」といった人を区分するボーダーがあり、もはや一般用語として使われるようになっている。
いつかの先日も「原田君は、肉食?草食?」と聞かれ言葉に窮した憶えがある。1つは、あまり自分がどちらに属するかを考えたことはなかったし、もう1つは、ここで何と答えるのかが適切なのかがわからなかったからだ(ちなみに回答は近くにいた人が代弁してくれたので事なきを得た)。
そして思い返してみるに、周りの女性では、恋人がいない人が昔に比べて多いような気がするということに気づいた。これは相対的な話で、学生時代は、もう少し「恋人いる」という女性が多かった気がする。これは、「妙齢」と呼ばれるセンシティブでアンタッチャブルな領域の話ゆえの現象か、あるいはこの景況感によるものか、あるいは、メディアが言うように「草食系男子が増えて来た」的な現象に寄るものかわからないけれど、いずれにせよそういう傾向があるような気がする。ただ、もう1つの説としては、「恋人はいない」と当人の自白のみの話なので、実際のところはいる可能性があるわけで、そういう意味では、年齢を経るとともに「いる」という公言することのメリット・デメリットの観点から「いない」という人が増えているだけの可能性もあるけれど、詳しくは調査していないのでわからない。
ただ、さらに思い返してみるに、男性も恋人がいるケースはあまり聞かないな、という気もする。ただ、よく考えると、それは単純に「恋人がいるか?」と聞いてないから、しらないだけなのかもしれない。あるいは結婚という古来から議論されている仏教的禁忌的な契約関係に従事している人は、「恋人」という関係性よりも、もっと別の言葉で表現される何かの関係性に属しているから、恋人という話はあまり聞かないのかもしれない。ただ、周りにいる男性は往々にして上記の区分でいわれるところの「肉食」も肉食、なんというかむしろマンイーターという表現の方が適切な人の方が多い気がしていて、そう考えるとメディアが言う「男性が草食だから、恋愛する人たちが少ないのだ」的な言説は当てはまらないような気もしている。ただ女性の言うところにいうと確かに「肉食男子がいい」という声も少なからず聞くので、本来ならば、そこではしかるべくしてマッチングは発生しているはずだが、それでもこのギャップがあるのは、何によるものか。もしかすると彼らはtoo much肉食すぎるゆえに、彼らはそのような区分を超越してしまっているのかもしれない。ふむ。あるいは肉食という概念と恋愛という概念のベン図は必ずしも被っていないのかもしれない。アーメン
肉食草食
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