ご機嫌なお天気ですねぇ

いやー、昨日までの続いていた鬱屈とした天気が嘘のよう。
ゴキゲンですなぁ。
これが台風一過というものでしょうか。
ただ、ここから「台風が過ぎ去った後は、天候に恵まれる」という定理を導き出すのは、「昨日も今日も雨だったから、明日も雨である」という帰納法と同じくらい詭弁で。
単に1つの各論から総論を導き出してはいけない。
ここから導き出せる唯一の定理は、天気がいいと人間はゴキゲンと感じることがある、というくらいである。しかも、それがエクセプションではないということを否定できる要素はない厄介な話ではあるが。
もっとも、台風が過ぎ去った後は、天候に恵まれる「こともあるという」テーゼを導き出す出すこともあるが、それは「天候に恵まれる」という可能性がアトランダムな以上、「台風が過ぎ去った後」という条件設定は、何を置いても成立してしまうわけで(たとえば「核が落ちた後は」でも「ベルリンの壁が崩れた後には」でも成立してしまう)、そう考えると、「世の中には天候に恵まれることもある」という定理にしかならず、それはもはや定理としては何の意味をもたない。
つまり、いつか引用した「東京タワーからカンジュースのプルタブを落とすと、人は死ぬ」という定理と同じ問題になってしまう。
もっとも、「天気がいいと人間はゴキゲンと感じることがある」という言葉さえも、「天気がいい」と「ゴキゲン」が定義されていないので、なんにも使えない定理である。
さらに言うと、「天気がいい」と「ゴキゲン(気分がいい)」というのは、ある「良い」という主観に基づいた感情であるゆえに、それは、「相対的に定義」されるものである。
つまり、ここでの「いい」というのは「感情の触れ幅のアベレージが平均以上である」ということであり、この平均というのは、「悪い」「普通」ということからも導き出される数値である以上、そもそも「いい」というものは主観の粋を出ない。
たとえば、雨しか降らない土地においては「降雨量が少ない」ということが「天気がいい」と言うことだって可能なのだ。
ということで、とりあえず、こういう下らないエントリーを書いてしまうほど、今日は天気が良くて私はゴキゲンだ、ということくらいしか私はわからない。

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