脳内物質をぶっ飛ばせ

ふと雑感。
我々の日々はいくら平穏のように見えようとも、感情の起伏や体調の良し悪し、果ては気持ちの揺れなどをなくすことはできない。
たとえ1ヶ月引きこもって、外部の情報を遮断して、出家のような生活をしたところで、それは外面的な「安定性」を産むに過ぎない。
内面のゆれを抑えることは、ほぼ不可能に近い。なぜなら、外面的な安定が持続することで、それにより内面ではそれが新しい刺激となり、耐性/慣れを生み新しいフェーズへと動き出すからだ。
とはいえ、それをマネージすることを出家や悟り、はたまた解脱と呼ぶのかも知れないけれど、それらはあくまでもマネージするということであって、内面性の安定を生み出すのとは少し違う。
どういうことかというと、いくら我々が安定した日々を送ろうとも、脳内物質は黙っていてくれないのだ。
いわゆるセロトニンやドーパミン、アドレナリンなどは脳内で暴れはっちゃける。それゆえに、いくら仕事が順調でも唐突にダウナーに入ることもあれば、あるいはイキナリテンションがあがることもある。
女性は男性よりも感情の起伏が激しいというが具体的に証明されているのかどうかは知らない。それはホルモンの関係性に因るものが大きいと推測するが、男性にだって月一でのバイオリズムの偏重はあると聞いたことがある(外面的には何の変化がなかったとしても)。
それにホルモン云々だけではなく、「いい空気を吸う」「うまい飯を食う」「十分な睡眠をとる」「身体を動かす」「恋をする」などの外的変化だけでも、内面の動きは大きくなり、そのバラティリティたるや推測不可能。ある程度、過去の事例を参考にして、それをコントロールできたとしても、それは可能性の程度問題であり、他の要因が入れば、そんな定理は簡単に崩れる。
卑近な例でいえば、いくら上手い飯を食おうとも、ぐっすり寝ようとも失恋の後は、マインドをアッパーにもっていくことは難しいように、メンタル面を支配する要因は須らく同じものではない。
それゆえに、脳内物質のコントロールは非常に難しいのではないか、と考える。もっともだからこそ薬やドラッグなどが活用される昨今なのだろうけれども。
そう考えると、我々というものは「哲学云々」「人生の意義云々」という形而上的なもので心の平穏を生み出そうと試みても、ほんの瑣末なことで簡単にそのような平穏は打ち砕かれてしまう。
そうすると、あえて誇張して言うならば、人間は脳内物質に支配されているといっても過言ではないだろう(ある一側面だけをみれば)。
とはいえその脳内物質も、事象の連鎖を紐解けば、外的要因が大きく寄与しているので、広義な面でいえば、その定理は当てはまらないのだけれども。しかし限定的なところで言えば、やはりそれは実体験をもって、それを納得することができるのではないか。
たとえば、いくら仕事が順調でも突然スランプになることがある。あるいは、酒を飲むと辛いことを一時的にでも忘れられることがある。そのように、自分での理解できない要因により精神が左右されたり、逆にある任意のツールを使えば精神を左右することができるというのは、まさに限定的な意味での脳内物質の力が絶大であるということの証左ではなかろうか。
とはいえ、この話も堂々巡りになる。結局、その脳内物質をコントロールする要因は外的とその他の要因に分かれるために、これを切り分けて考える必要がある。その為、不確定要素を持った発作的に起こる脳内物質の乱れ。それは病気と言われることもあれば、人間のアンステイブルな心理状況の要因、つまり「不確定要素」を持った変容においては(切り分け後)においては、やはり人間は脳内物質に支配されているといえる余地がある。
しかし、である。
so what、とわたくしは言いたいのである。たかがなんミルグラム(という単位で良いのかしら?)のやろうどもに精神を乱されてたまるか、というか。
そんなわけのわからなぬものに精神を支配されてたまるもんですか、と。とはいえ、こう考えると、心身二元論となっていつの時代の寝言だ、になってしまうわけだけれども、そりゃ密接に関係してようが、あるいは健全な肉体に健全なる精神がやどろうが、んなもん知るかと。
ロジックは勿論破綻しているのだけれど精神論的に。
まとまりがつかなくなった。まぁ、言うならば、ダウナーは認めん(自分に対して自分として)というか。
もごもご

脳内物質をぶっ飛ばせ」への2件のフィードバック

  1. かみたに

    僕は他人に自分の行動を支配されるのが嫌なので、脳内物質に支配されるっていうのも嫌です。
    でも、脳内物質も「自分の中の一部」と考えれば自分に自分が支配されるということ?
    一種の二重人格か?
    自分による自分の憑依現象か?
    考えれば考えるほどわからないけど、自分をコントロールしておきたい(たまには自分の意志で解き放つけど)ですね。

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  2. 原田

    わぁ、コメントありがとうございます。
    そうなんですよ。何かに支配されるのが嫌でも、自分の支配からは人間は逃げられないのではないかと徒然なるままに思ってしまいました。
    ただ、意識としては、やはり「自分でコントロール」できないものに「コントロール」されるのは嫌なので、そう考えると、脳内物質は「コントロール」さえ出来れば、逆に自分は自分でコントロールできるようになるのではないかと思いました。
    逆に脳内物質がコントロールできないならば、それは自分にとってよからぬこと、というような。禅問答ですね。
    コメントありがとうございました!

    返信

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