差分なる人生

life.gif

人生とは差分である

と最近思う。誰かの言葉でありそうな言葉だけど、とりあえず原田の認識として。
どういうことかというと、人生には、色々な意味で山や谷、あるいは右肩上がりだけのグラフの人もいるかもしれないけど、まぁ、横軸が時間な世界で線は軌跡を描いていくものです。
その縦軸が何かは人にもよるけど、たとえば「金銭」「名誉」「ステータス」などのような典型的な人もいれば「幸せ」「成功」「社会貢献」のような抽象的な場合もあるだろう。人によって、そのKPIは変わる。
いずれにせよ、それらは大小の差はあれ軌跡を描く。一般的には、それが上下して、「まぁ、人生ってそういうこともあるよね」と失敗やへこみや公開や失恋などを得て、その谷を「糧」にしたり「そういうものだ」ととらえたりして、グラフは続く。つまり株価のグラフのように、上下に軌道を描きながら人生は進んでいく。
ずっと上昇する正の一次関数的なグラフを描く人は稀だけど、そういう人もいて。ただ、積分すればやっぱり、それでも上下に揺れているものなのだけど、まぁ、尺度の取り方によってはそういう人もいるかもしれない。あるいは「私の栄光の五分間(cfアンディウォーホール)は幼稚園時代だ」とうそぶいて、人生下降まっしぐらという人も逆にいるかもしれない。
いずれにせよ「上下ある人」「ずっと上昇」ないし「ずっと下降」のどの軌跡だとしても(MECE的にいわば)、それは差分の世界で。つまりは、人は昨日よりも今日とどうだったかで人生を計り、局地的にソレは意識しないとしても、過去を振り返り「遠くまできたなぁ」「よくやってきたなぁ」「死ぬまでにはこれをしよう」「三十までにはうんぬん」と差分を意識して生きる。
人生における何かしら尺度の差分というのは結局、相対的なもの、ということで。そして、それは突き詰めるところ、主観でしか得られない程度であり。つまりは、他者との座標軸が異なれば、同じ緯度・経度にいたとして同じように見える位置もまったく意味を持たなくなる。
だから何が言いたいかというと、人生の楽しさというのは個人における差分の大きさによって定義することも可能ではないかということで(もちろん他のとらえ方もあるが一例として)。そう考えると、ずっと上昇トレンドにおいては差分はベクトルは常に正になるので、大きさは限られたものになる。つまり微分におけるベクトルの大きさ(絶対値)の累積が人生の楽しさなのだから、そう考えるとマイナスは、人生に価値を付与するベクトルの動きだと考えられる。
もちろん絶対的なゴールによってそれを決める人には向かないけれど、あるいは定量的に人生をとらえる人にとっては違和感もあるのかもしれないけれど、そのゴールを目指すのは自分であり、定量的にとらえる主体は自分であることを考えると、それらのとらえる自分の尺度も結局のところ「人生は差分」というドグマを逃れることはできないのではないかと思う(できる場合もあると思う)。あるいは、そのような一次元的な目標は、時間というもの、ひいては歴史というものを侮辱することになりはしませんか?と思う次第。つまり、「故人たちが作り上げてきた歴史」に対する「新しい前進」というのは、差分の世界であり、そこに生きる以上、どのような目標であれ差分の世界を無視することはできないわけで。
で、結局、結論は特にないのだれど、自分なりのグラフを描きたいなと思う次第です。

「リュックサック一つが自分の財産すべてという状態でも勝負できる自分でいたい」

という人の話をふと聞いて、そんなことを思ったとさ。

差分なる人生」への3件のフィードバック

  1. みぃ

    「リュックサック一つが自分の財産すべてという状態でも勝負できる自分でいたい」
     素敵な言葉ですね!原田さんの文面は私には難しいんで所々?な所もあるけれど、すんなり理解できる自分になりたいと思う。
    色んなことに興味を持ち、常に向上心を持ち、賢い人になりたいなぁ…と。
    他人には他人の、自分には自分のグラフがあるから、マイペースに素敵なグラフを描いていきたいと思いましたね♪

    返信
  2. 藪から棒の男

    こんばんは。原田さんのブログをいくつか拝見させて抱いています。
    常日頃何かを考えながら生きていくと言うのは素敵なものです。そういうふうにして、何かを見つけていく人生を送れたらなと思っております。
    ところで、原田さんはたまにブログにお仕事のことを少し書かれていますが、もし良ければ具体的にはどういうお仕事をされているのか、教えていただきたいです。
    たくさんの魅力的な人と会い、様々場所へ赴き、そして感じる生活を私はしてみたいと思っています。可能であれば、よろしくお願いします。
    それでは。

    返信
  3. 原田

    >みぃさん
    「リュックサック一つが自分の財産すべてという状態でも勝負できる自分でいたい」って言えるってかっこよいですよね。
    ロシア文豪の「もつものと持たざるもの」の話を思い出します。どっちが強いのだろうか。
    素敵なグラフを楽しみにしております!
    >藪から棒の男さん
    コメントありがとうございます!
    仕事はコミュニティサイトを作ったりしてます。インターネット大好きな日々でございます。
    「魅力的な人と会い、様々場所へ赴き、そして感じる生活」という未来っていいですね。私もそのような生き方ができるように精進する日々です!
    よろしくお願いします!

    返信

藪から棒の男 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です