細分化

いつしか僕たちのコミュニケーションは細分化されて、あるいはまぜっかえされて、ないしごちゃまぜにされて。
時に電話で、時にカフェで、時にはチャットで、時にはメールで、時にはSNSで、時にはブログのコメントで、時にはToDoリストでやりとりが行われ。
チャットでさえも、昔からの友人とはMSNで、グループではSkypeで、自動で繋がった人とはGtalkで、海外とはY!メッセンジャーで、と細分化されて。
メールでさえも、会社のメアドやプライベートのメアド、Gmailや、携帯メール、iPhoneのSMS、mixiのメールなどなんとも細分化されて。
なんだか、自分の言葉があらゆる媒体に散らばって。Google Desktopはがんばるけれども、カフェで交わす言葉をアーカイブするすべはなくて。せっかくのメモもPCがフリーズすれば霧散して(昨日の体験談)。そりゃEvenoteは便利でも、入力UIにも限界があって。
あるいは言葉は残せても、表情や空気や味やにおいは残せなくて。たとえ、景色をとるのに写真や動画、プリクラ、携帯カメラがあっても、結局、それを検索するすべはなくて。
アーカイブする必要はなかったとしても、短き人生でふと立ち止まって過去をみた時に、残っているのは、わずかな記憶と、集合写真、手編みの何かしらとかだったりして。
そして記憶は砂上の楼閣で、かってに再編成するし、あるいは自動イレイザーで消されてしまって。
もっとも振り返る必要はないのだけれど、でも、人は自分が生きてきた証がなくても、過去が過去であったと信じ込める強さはあるのかしらん、とかふと思って。
「君はちゃんとそこで生きていたよ」といえる証言者がいれば大丈夫なのか、あるいはおぼろげな記憶だけに寄りすがってそれを我が身として抱えていけばいいのかしらん、とよくわからない。
なんかポエムチックになったけど、実はビジネスの話だったり まる

細分化」への4件のフィードバック

  1. ゆぅな

    偶然ひっかかったので来てみたんだけど…
    すごく必死に読んじゃいました。
    確かにそうなんですよね。
    でも、生きた証はどこかに残したい。
    やり遂げた何かを残したい。
    そう思ってます。
    …実行できない自分が大嫌いですけど。

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  2. 原田

    コメントありがとうございます!なんか仕組みで出来ると良いですよね。難しいですが。よろしくお願いします!

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