タイトルには何も意味がない。というか、なんかのメモでこういう単語を今日見かけて、私が自分宛に書いたメモなんだけど、何のことやらちっとも判らず、とりあえずタイトルにしてみた次第。
自分宛なのは間違いないのだが、このフレーズの文脈や背景、意図が何も思い出せない。時期的には1年以上前に書いたメモに違いない。
もしかすると、ここに書くことでピンと来る人がいるのかもしれない。不思議なものだ。いわば公開鍵と暗号鍵みたいだな。でも、僕は暗号鍵をなくしてしまったので、このキーを見ても何もピンとこない。
ちなみに、そのリストから他のフレーズを探すと「付箋したままの夢」「おれたちは女性の『高校のころの写真』を見たときのベストな回答を捜し求めている 」「本の最初で最後がわかる男 」とかがある。おそらくこの辺りは2005年~06年くらいのメモのような気もする。どれもこれも全然ピンとこない。
あ、「おれたちは女性の『高校のころの写真』を見たときのベストな回答を捜し求めている」は何かのブログの記事でみかけて、タイトルが何かの小説だか名言っぽいと思ってメモしたのかも。でも、ここからどう考えても話をふくらませるとは思えない。というか、いろいろ差し支えがありそうで、書くことのメリットを想像できない。
「付箋した夢」とか、なんかポエミーでいいじゃないですかね。こういう色々想像できるフレーズは良いと思いますね。付箋した、ということは、「ブックマークした」わけで、それの意味するのは「将来、みるためにドッグイヤーを作る」というようなニュアンスであり、今はとりあえず横にのけておく夢である、というような意図や、あるいは、何かの本で見かけた言葉に蠱惑的な思いを抱きつつも現実と向き合う月曜日の夜に付箋して、そしてもう開くことのないページにアディオスと唱えるというようなシーンも想像できます。あるいは、誰かと共有するための付箋なのかもしれない。付箋とは時に自分のものではなく、他人のための存在なのかもしれない。本に付箋を貼ってプレゼントするとか小粋でいいかもしれないですね。
「本の最初で最後がわかる男 」というのも、なかなか創造性を刺激するタイトル。多分、その人は、たくさん本を読んでいるんだろうね。あるいは、まったく読まないのかもしれない。なぜなら最初よんだだけで全部わかっちゃうから読まない。でも、それが当たっているかどうかはどう判別するのだろう。推理小説だったら、犯人を推理してあたっているかどうかは、最後から5ページくらい見ればわかるけど、ドラマや恋愛、ミステリーだと、なぜ最後がわかるのかは、なかなかロジカルには説明しにくい。あ、わかった。多分、彼は、最初を読んだだけで、最後までの話を想像するのだ。そして、彼にとっては、それが読書である。最後がどうであるとか、実際の物語がどうであるとかは関係ないのだろう。そして、彼にとっては最初の数ページを読むために本を買う。あるいは、最初の数ページのために本を吟味する。だから立ち読みなんてしない。彼は装丁で本を選ぶのだ。あるいはタイトル買い。ジャケ買いよりは少し地味なセンスかもしれない。多分、「名詞+助詞+名詞」のタイトルよりは「名詞」一語か「名詞+形容動詞」といった座りの悪いようないいようなイマイチよくわからないタイトルが好きなのだろう。「7月24日通り」とか「日曜日なんか大嫌い」とか。なんかニヒルな感じの。あるいあhクラフト・エヴィング商會みたいな世の中をなめた名前に惹かれるのかもしれない。そして、ズッキーニとトマトのアペタイザーがあたかもメインディッシュであるかのように、それを丁寧に食べて、本を置くのかもしれない。
いずれにせよ、タイトルのフレーズは、これっぽっちもよくわからない。誰かに言われたのか、思いついたのか、何か気づいたのかもわからない。ただ、なんだか外にあるトイレのスリッパってのは、便利な言葉で言えば、何かしら情緒がある存在である。
トイレのスリッパが外にあったよ
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