トマトはドMだそうである。
どういうことかというと、トマトは厳しい環境下で育てた方が、よりしっかり育つそうだ。
そんな話を聞いて、厳しい調教を受けているトマトを想像する。
村上春樹の小説で「明治屋の野菜は、夜中、調教を受けている」というようなフレーズがあった。実際、明治屋の野菜価格プレミアムは、そのような特殊な技能による価値なのかもしれない。
そもそもトマトの赤みが猥雑ささえも持っているように誤認してしまう。そしてあのキッチュな赤色とあの卑猥な曲線との組み合わせは、アールヌーボーとポップアートの邂逅かとまで勘ぐってしまう。嘘だけれど。
いずれにせよトマトはもっと評価されてしかるべき食べ物である。
たとえばカプレーゼ。あのトマトのシンプルかつパンチの効いた効用は、トマトでしか果たせない大役である。そして何よりモッツァレラとの絶妙なる色の配合は最早、自然の神秘とでも言えよう、とか云々。
そういえば、最近、トマトに関する本を読んだ。
確か、ブラッディマリーに関する物語だ。
ブラッディマリーは、ご存じカクテルの一種。ウォッカとトマトジュースの配合で、タバスコをプラスアルファ。
そのカクテル名「ブラッディマリー」に関する物語。
そうそう。Story Seller〈2〉 (新潮文庫)だ。この中の沢木さんの物語。
蛇足だけど、このSutory sellerの1を友人から進めてもらって読んだのだが、めっぽう面白かった。
有名作家の中編集だが、どれもパンチが効いている。その中でも、有川浩の「ストーリー・セラー」 がオススメと伺ったのだが、これがまた何とも秀逸。是非、ご一読下さい。
話を戻すと、そのブラッディマリーの名前には、ブラッディ(血)のメタファーがトマトに使われている。いわば、トマトは血を表すのである。
だからこそトマトは何かしら妖艶さを持っているのかもしれない。
よく考えると料理にトマトってよく散在しているような気がする。
オムライス(ケチャップ)、カレー(生トマト)、パスタ(トマトベース)、ピザ(ソース)etcetc。
ああ、イタリアンや洋モノには活躍するってことか。そういえば、世界三大祭りといえば、リオのカーニバル、岸和田のだんじり祭り(嘘)、スペインのトマト祭りですが、そう考えると、まだトマト祭りだけ参加できておらず、一生のToDoに入っています まる
あとフルーツトマト。あれは最早、トマトの領域を凌駕して、次世代トマト領域に入ったのではないだろうかと日々考えている。
野菜なのにフルーツという二律背反を違和感なく両立させてしまうハレンチさは、トマトだけが許される横暴なんではないだろうか。
とかなんとか阿呆なこといってないで寝よう。よきトマトライフを。