時計台

何かWebサービスを使おうとする

IDを取れ、といわれる。自分に関係のないIDがいいな、と思い、何か考える

その時に、大抵でてくる単語が「時計台」だ。しかし思い返しても、時計台とゆかりはないし、エピソードも何もない。だからこそ、「関係のないID」で思い浮かぶのかもしれないが、あまりにも飛躍が著しい連想だ

もっともいったことがないわけではない。有楽町の時計台や大学の時計台などでは待ち合わせをしたこともあろうかと思う。ただ、それでも、最初に思い浮かぶ単語が時計台なのは、なんとも解せない

しかしながら、時計台という単語は悪くない単語である、と思う。時計を支える台であり、なんだか、それは昔の地球が亀の上にのっていた、というおとぎ話を想起させるような、なんとも心強く、そして、意味を持たない存在である。ただ、支えている

ただし、存在感はある。待ち合わせでもよく使われるように、時計台は、何かしらの象徴であるのだ。村上春樹ライクなレトリックを使うならば。

ただし、それが何を象徴しているかというと、甚だ心許ない連想しかない

歴史であったり、時の流れであったり、場の匂いであったり、あるいは物事が起こる場所であったりする。たとえば、イギリスのビッグベンや札幌の時計台が持つような。

そう考えていて、1つ、時計台のエピソードを思いだした

ある人と時計台で待ち合わせていた。しかし、僕たちは時計台で落ち合うことができなかった。時計台の場所の認識に齟齬があったからだ。携帯で、結局、別の場所で落ち合った

ここに何かの意味を付与することは可能だけれど、それはあまり意味をなさず。ただ単に「時計台で待ち合わせたけれど、そこでは落ち合うことのできなかった話」というエピソードである。教訓も示唆も何もない。

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