富の再分配の問題

以下の記事を読んで思い出した

»お金持ちを、ほめよう!|深津 貴之 (fladdict)|note

大学での専攻が政治ということもあり、富の再分配の仕組みを考えたことがある。その時に思ったのは「お金」は1つの尺度しかないので、そのお金を分配する代わりに、それを分配した人に別の尺度の何かを戻す仕組みがあれば良いと思った。

お金は絶対的なものではなく「ものをかえる手段」でしかないわけで、人はお金を使って何かを買う以上、そのお金に値するものが何かあるわけである。いわば「お金A=何かB」の等号が成り立てば良い。1つは上記の記事にかかれているような名誉欲はそうかもしれない。神社に寄付した人の名前の灯籠などがあるのは、昔からそういう仕組があったとも考えられる。

ただ、名誉欲は少しわかりにくい。価値の尺度を図りにくいのだ。つまり「お金A=名誉B」の計算がなりたちにくいというか。そういう意味で、もっとプラグマティックな尺度の還元があってもいい。

たとえば、以前、誰かがいっていて「なるほど」と思ったのは「税金を多く収めている人は市役所の対応をちょっとだけ早くする(ファストレーン)」みたいな仕組みだ。人よりもお金を多く払っているわけだから、そのロジックは理解できなくもない(心情的に理解できるかは別として)。いわば、飛行機のファーストクラスと同じ仕組みである

あるいは、警察の対応とかの公共の制度を少しだけグレードアップするような仕組みがあってもいいかもしれない。それらの仕組みを成り立たせるためのお金をたくさん払っているわけだから、ちょっとだけ、その制度を優先的に使える仕組みである。

ただ、別の研究でそもそも、上記とは別の考え方を読んだことがあって、それはそれで面白い。それは「幸せ度」の尺度で考えるというものである。

その研究によるとお金を多くもっていたからといって必ずしも、それに比例して幸せ度があがるわけではない。それは人は自分の環境に慣れていくからであろう(同じ問題として、蛇足ながら、苦痛もなれるという仕組みがあり、人間はどんな良いことも、悲しいこともなれていくというフレキシブルな機能を備えているのは興味深い)

人はお金を持つと無駄なことにお金を使う。しかし、それにお金を使うなら税金として払って、インフラがよくなったり社会をよくする方が、結果的にその人の幸せ度があがるという話である。

※ちなみに、それがかかれていたのは「成功する人は偶然を味方にする--運と成功の経済学 | ロバート・H・フランク」

そう考えると、「税金を払うことが結果的には自分の幸せになる」というロジックがなりたち、それはそれで、社会がハッピーになることやな、と思いました。

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