岩波書店
売り上げランキング: 35,579
めちゃめちゃおもしろかった。東大の卒業式の告辞で引用されて気になって読んだ。東京大学名誉教授の本。近代とこれからをデータ(というには少し弱いけど)を元に分析した本
以下、引用
>「現代社会」の種々の矛盾に満ちた現象は、後に見るように、「高度成長」をなお追求しつづける慣性の力線と、安定平衡期に軟着陸しようとする力線との、拮抗するダイナミズムの種々層として統一的に把握することができる
⇒これは昭和の時代にあった「高度経済」の幻想(日本はこれからも成長できる)を今も引き続き持っている人と、リアル(現実的には成長要素は限られている)の拮抗を看破している素晴らしい一文。先日「安倍首相がよくない」という人は「本来ならばもっと日本は成長できたはずなのにできていない現実を非難しているが、その前提である『もっと成長できたはず』というのが幻想に過ぎない」という論調をみかけたことがあって、それに重なって、「なるほどなー」と思った。
>「軸の時代」の大胆な思考の冒険者たちが、世界の「無限」という真実にたじろぐことなく立ち向かって次の局面の思想とシステムを構築していったことと同じに、今人間はもういちど世界の「有限」という真実にたじろぐことなく立ち向かい、新しい局面を生きる思想とシステムを構築してゆかねばならない。
⇒近代が「世界は広い」という前提で、それを解き明かしていった(哲学とか経済学)。しかし、今は、「無限」というのは嘘で、環境であれ、成長であれ、フロンティアであれが限定的であるという前提に物事を考えないといけないという言葉を「たじろくことなく立ち向かい」と表現してるのがかっこE
>経済競争の強迫から解放された人類は、アートと文学と思想と科学の限りなく自由な創造と、友情と愛と子どもたちとの交歓と自然との交感の限りなく豊饒な感動とを、追求し、展開し、享受しつづけるだろう。
⇒上記の通り「経済成長はかならずも正しい未来ではない」と考えると、暗澹たる気持ちになるけれど、そうではなく「経済成長が善である」という前提さえも考え直して、「経済にとらわれない生き方を模索しないといけない」という話。その後、同じ意味合いで、以下のような文章も
>経済ということでいえば縮小であるが、人間の幸福ということでいえば、経済に依存しない幸福の領域の拡大ということである。
>これらの信や行動がこのまま長期的に増大しつづけるものかどうかは分からないが(たとえば「奇跡を信じる」は二〇〇八年に36%と大きく増大した後で、いくらか減少している)、それは少なくとも近代合理主義の示す世界像の絶対性のゆらぎを示すものであるように思える。
⇒1997年と2013年で「あの世を信じる人は16pt増えている(5%⇒21%)」「奇跡を信じる人は11ptアップ」「お守りなどの力を信じる人は17ptアップ」など、現代になり、いろいろなものが科学で解明されている今なのに、逆に「解明されていないもの」を信じる人が増えているというデータに対する示唆。おもしろーい
>西ヨーロッパ、北ヨーロッパを中心とする高度産業社会において、経済成長を完了した「高原期」に入った最初の三〇年位の間に、青年たちの幸福感は明確にかつ大幅に増大している。
⇒上記に関するけど、経済成長がとまったのにもかかわらず幸せな人は増えているというデータ。経済成長が必ずしも、幸福度と相関しないという話。おもしろーい