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駅ですれ違った紳士に見える世の中の道理

今日、ふらふらと駅を歩いておりました。
アニメならば、「とぼとぼ」という効果音が付くような。理由はねむすぎてです。ですから、「ふらふら」のほうがやはり適切のようで御座います。
そして電車に乗りました。徒然と考え事をしている間に電車は目的地につきます。目的地につかない電車はなく、電車のない駅もありません。でも、駅のない町はあるし、目的地に着かない人生だってありますけれど。
駅におりました。夜の23時を回っていたでしょうか。世間の人々は少々くたびれた時間帯です。しかも月曜日。だれだってテンションが下がり気味です。タカ派だってひよっちゃう時間帯。言うならば。
そこで、ある紳士が。そう。まさに紳士と形容せざるを得ないような御仁。
ハットにちょびひげ。そしてアランミクリの眼鏡(想像)。濃紺のスーツ、ストライプ入り。これでステッキさえあれば、と思ったものです。もっともこれは後で思い返したことなのですが。
そこで、彼は電車に飛び乗ろうとしました。私は電車から降りましたゆえに、彼は逆のほうから向かってきた、とお考え下さいませ。
世の中にある「タイミング」という魔が存在しまして、彼は急がないと電車に乗られない状況です。「電車しまりまーす」と駅長さんがおっしゃっている頃合だとお考えくださいませい。ドアが「プシュウゥ」と擬音語を上げる頃合です。
そこで、彼は何か所用があったのか、少し駆け足になりました。紳士なので走ることはしません。しかし、急いで電車に向かいました。うまくいけば間に合う。そんなタイミングです。
そこで事件が起こりました。
突然、柱から飛び出してきた男の方がいました。その方に紳士の方はぶつかりそうになりました。軽くぶつかったのかも知れません。
しかし、それでも、そのまま電車に飛び乗れば乗れるタイミングでした。だって、あと1メートルの距離だったのですから。
しかし彼はそうしませんでした。そのぶつかった人に向き直り、ちゃんと顔を見て「すいませんでした」と延べました。急がず、抑揚の効いた声で(ここは若干、原田の遠めからの創作が入ってますが)。ともあれ、確かに彼はいちいち体を逆に向けて、その男の人に謝りました。両足をそろえて。
彼は悪くなかったのです。いや、よしんば折半としましょう。急に出てきた男の人も悪かったのです。
しかし案の定、電車がいってしまいました。彼が走りながら謝っていれば間に合ったでしょう。でも、彼はまず謝ることを選んでしまいました。眼前でしまるドアを見て、彼は、少し目線を落とし、ふぅとため息をつきました。そしてハットを少し触りました。
それだけのことです。
でも、私は、そこに何か人生を感じ取らずには居られませんでした。「人生ってば、やっぱりそうなんだよなぁ」と。
急ぐのもよし、金を稼ぐことや、キャリアアップや、あるいは目的に向かって邁進することはよいことです。でも、それによって、ぶつかった相手に謝ることができないのは、とても悲しいよな、と思ってしまったのです。彼は、恋人の元に急いでいたのか、あるいは、トイレに行きたかったのか理由はわかりません。
でも、人への礼を失してまで急ぐほどの用事は、彼にはなかったのでしょう。彼にとっては、何かしら、小さな守るべきものがあって、それを大切にして生きていくことが大切だったのだろうか、と私は想像します。想像するしかないのですが、でも、彼の所作から、そう想像してしまったので御座います。
人生何するもよし。失うもよし。笑うもよし。泣くもよし。しかし、紳士の所作を忘れないで起きたいなぁ、と思うのです。いくらえせであろうとも。
今夜の出来事はまさしくそのことをじんわり思い返させてくれた出来事でした。
#川上弘美風を目指したけど、どこかで間違った文体になってしまった。誰の文体だろう、これ。急に出てきた。

なんだか気になる言葉

先日の話。
多分、誰か・・・友人なのか知り合いなのか誰か忘れてしまったのだけれど、いっていた言葉がある。

「電車でね、横の人が携帯で・・・」

という話だった。
その後の言葉は覚えていないし、どんな文脈だったのかさえも覚えていない。
でも、僕はそれを聞いて、なんだかとても気になって、それを無印のメモ帳に書き留めておいた。今日、部屋を片付けていると、そのメモが出てきた。すっかり色あせて、記憶も色あせている。
でも、だからこそ、その言葉に強くひっかかった。隣の人は携帯で何したかったんかなぁ。
「電車で隣の人が携帯で」何をしていたのかが気になったんじゃない。もっと言葉にならない何か。がんばって言うならば「見ず知らずの人と、場所を同じにしたというだけで、コミュニケーションが生まれたという不思議」というような。
SNSやWeb2.0ごにょごにょと今後のコミュニケーションを考えていたので、そんな友人の何気ない一言が物凄く気になった。
いわば、サスペンス映画の最後の辺りにフラッシュバックするシーンみたいな。心臓ドキドキするよ、みたいな。シックスセンス参照。
でも、この「電車の中で隣の人が携帯で」ほにゃららという事を友人から聞いた僕はそれをブログに書いているわけで、よく考えると「今の読者」「僕」「僕の友人」「友人の隣に座った人」「隣に座った人が携帯で連絡を取った人」の連鎖が生まれているわけである。5degress!!!
六人で世界が繋がるならば、あと1人いれば世界がつながりますね(※ sixdegreesはそんな意味ではない)。ともあれ、しかも、それが実はたった一瞬で起こったんですよ。その友達と隣の人が座った瞬間。その一瞬が、結果的には、5次元のコミュニケーションを生み出した。
物語はそこに何も起こっていないのにも、関わらず。つまり、語られるべき内容がないのに、形式だけが右から左に動かされる。
なんだかとっても不思議だったのです。

無敵会議で、ちょいと酔いしれて

昼ごろ起きて、クリスマスだと言うことで、
ケーキを買いに出かけた。
虎ノ門の方に自転車を向けたが、
床屋のオヤジに聞くと
「十番に行け」ということなので、
十番商店街へ足を向ける。
十番である。十番。
ディエス。
麻布十番の商店街は
相変わらずクリスマス仕様で
どちらかというと、いつもよりも
やぼったく、満腹になった恐竜を思い出させた。
ケーキ屋もケーキ屋で
かきいれどきも、かきいれどき。
ビッグベンの時計台の歯車のように
せっせかせっせか叔母さんが働く。
どこかしら、魔女の宅急便のパン屋の如く。
原田は甘い物を基本は食べないので
任せるままにケーキを買う。
選ぶ過程に浪漫があるのでは、という定理を
発見するが、さりとて実証する手段もなく、
とりあえず、ケーキをクラッシュさせないように
自宅へ、いそいそと戻る。
そのあとは、最終回の無敵会議である。
今回は、忘年会議である。
スタッフとして受付。横にはバニーが居た。
クリスマスぞなもし。
いやー、最後だと思うと非常に悲しい。
プレゼンは言うまでもなく素敵だった。勉強になる会議とは
このことである、というような最後だった。
卒業証書授与では、ミズノンノ氏が。
途中、神田さんまでいらっしゃる
凄い衣装に卒倒しそうになった。
クリスマスぞなもし。
無敵会議Tシャツをもらったー。
わーい。レアレアー。
そして、二次会は大人数。
なんと80人。
と、その彼女と
喋る。いやー、恋の話ってのはいいねえ。
いつの時代も。
クリスマスぞなもし。
三次会では、朝4時くらいまで
クリスマスらしく「LOVE」に関する話や、
無敵会議の話など、三次会仕様の話がテンコモリ。
あと、悪あが記
フィナーレを迎えたようですね。お疲れ様です。