Life's a picnic!

完全なる個人的な呟き。
先日、仕事でお会いした大学生の方から面白い質問を受けた。

「大人って何ですか?」

という眩しきなるほどストレートな質問だった。
そんなもの考えたことがなかったから、面食らった。そして、ふと出てきた自分の答えを差し出されたノートに書いた。懐かしい匂いのマジックペンで。
それから、ぼーっとそのことを考えていて、1つ思うのは「自分のケツ持ちを自分でできること」かしら、と思い至った。
わかりやすい言葉で言えば、現状を自分の責任に帰する事ができるか、というか。卑近な例で言えば、締め切りを過ぎた原稿に対して契約破棄されても納得できるというか。別にかっこいいことを言いたいわけでもなく、啓蒙的な意味でもまったくなく。
なんでそんなことを思ったかというと、一般的な世の中として、そのような話を(自分のケツをふけないという話)よく耳にするから。
たとえば、「会社へのグチ」。これってば、やはり選んだ自分の責任であって。もし会社が悪いと思うならば、それを変えるために動くべきだし、そうでないならば黙って辞めるべきだ。
あるいは「恋人への諦念」。恋人への嘆きを口にするのは自由だが、その恋人を選んだのは自分である(お見合いとしても同じこと)。そして、それが嫌なら、できれないならば分かれればいい。
もちろんこんなのは「原則論」であり、一般論ではない。そもそも、こんなこと書いても自分自身だってできちゃいない。でも、意識はけっこうしていたりする。ただ、いずれにせよ、できていないのは事実であり。
でも、この答えを彼女のノートに書いてしまえば、自分は大人ではないということを明示することになって、自分で悔しくて。だから、違う答えを書いた。
そんな彼女が提示したもう1つの質問が「自分にとっての理想の大人とは?」というような質問だった。
そこで思い出したのが、いつぞやかの友人の質問だった。
「朝、起きるの楽しみにしながら寝ている?」という質問。社会人になりたてて何もわからずてんぱっていた僕に投げかけられた質問。
「もちろん!」と即答できなかった自分が悔しかった。ばたんキューとベッドに倒れこみながら寝ている自分を思い描いた。
翌朝なんて、睡眠不足の身を考えれば悪夢でしかなかった。
それから、その質問をたまに人にする。いままでで即答で「YES」と答えたのは覚えているだけで2人。そのうちの1人は出版社に勤め初めて2年目を過ぎたころの人だ。
私の愛する作家の幾人かをも担当されている彼女は、日々の業務をたんたんと、しかし、非常にふくらみをもった日常としたものとして話する。崇高なほど。
「うん」という回答を聞いて、悔しいな、と思った。自分はそうではない。非常に悔しい(実は後ですぐに楽しくなったのだけど、やはりなれていないうちは大変だった)。
よく考えれば、社会人になると、1年の300日位は仕事をしているわけで(業界によって違うけれど)。そう考えると、仕事がある前日の夜に「明日楽しみだ!」と寝るのと「明日辛い!」と思いながら寝るのは、累積すると、雲泥の差が出てくるわけで。
もし「明日起きるの嫌だな」と思って寝るほどもったいないことはなくて。そして人生を無駄にしていることはなくて。そんなことを思いながら、15,000回も過ぎれば人生は終わっていて。「やだな」の15,000回は利子もつかない。
そう考えて、できる限り、翌朝を楽しみながら寝れるような状況を意識するようにしていて。
それが最初の話と繋がる。
「起きるのがやだな」という状況に追い込んだのは自分なわけで、その責任があるのも自分で。
そう考えると、人生という「素晴らしきもの(c life is beautiful」を無碍に過ごしているわけで。それってば、非常に人生を侮辱しているような気がして。
ブルデューをひくまでもなく、その人は社会からの借りをまだ返していないわけで。むしろ、累積債務を抱えたままあの世にデフォルトする。
なんてことを思っていたら先日、先日、大学時代の同級生より4年ぶり位にメールを頂戴して。彼女とはスペイン語のクラスで一緒で。印象深いのは、高校時代に何を考えたかイタリアに留学をしたという人で(アメリカに行った人は幾人もいれどもイタリアとは・・・)。案の定、今度はグアテマラに行くそうだけれど、それはまぁ別の話。
で、彼女は何も意図したわけではないだろうけど、メールの文中に「カズしてる?」という一文があって。
深い意味はまったくなかったのだけど、僕には腹に刺さって。おお、と思った。
あいてが何も意図していない何気ない一言がときに、強い重みを持ったものとして浮かび上がることもある。
今の自分は、その頃の自分のままであるだろうか、と。「カズしてる?」のカズが何を指すのかわからないけれど、20歳前後の怖いものがなかったアノ頃の自分を嫌が上にも思い出さざるを得なくて。
そう考えると、やっぱり「くそ!」と思って。あの頃の自分に負けてはいられない、と
そんなこんなで「Life is beautiful」よりも「life is a picnic(人生楽勝!):from ワイルド・サイドを歩け」を大切に生きたいと思うわけで。
というわけで、日々の朝が楽しみに起きれる現状をちょっぴり誇らしげに思う昨今なのだ。

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