絵の話

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「ヒエロニムス良かったよね!」

とアルゼンチンのブエノスにある安宿で盛り上がった記憶がある。
ヒエロニムスとはこのような画家。サンパウロの美術館で確か二点ほどだけ展示されており、たまたまブエノスで会った人が、その絵を見ていた。そして私も見ていた。加えて、双方がその絵に深く感銘を受けていた。
ただ、それだけのことなのに、かなり親近感がわいて、同じに相手に興味がわく(性別問わず)。これはなぜなのだろうか?と考えるけれど、やはり嗜好性の共有、ないし価値観の共有というのは、人間の何かしらに根ざしたものなのかもしれない(マズローを惹かずとも)。
逆に属性による親近感というものもあって。いわゆる「同じ地方の出身」「同じ大学の出身」なんて最たるものだろう。いわゆる派閥だって、そのようなものかもしれない。ただ逆に同郷嫌悪ないし同族嫌悪のような言葉もあるように近すぎると、嫌悪感を催すこともある。ただ、これは嗜好性の近さに言えることもあるのだけれど。
分析するに、それは「自分と同じ個体がいる場合、カニバるので、避けたい」という人間のミーム的な本能からの発露なのだろうと勝手に分析する。自分と同じ人がいた場合、社会的にはその人の価値は主の保存から考えれば相対的に低くなる(のかな?)。同質性は高いほうが吸引力は高いけど、多様性が少ないとイノベーションやジャンプも起こらないのでどうなんだろうか。一節ではダーウィンが最近、覆されがちだとも聞くけれど、そう考えると、そういう紋きりで見るのは危険なのかしら。
でも、異性だと逆に嗜好性による吸引力は高いような気がする。一般的に見て。異性だと自分と似た遺伝子を残そうと思うから、そうなるのだろうか。実際、「いとこ」などの血の繋がった人は、赤の他人よりも恋に落ちやすいというデータを呼んだことがある。近親相姦が禁止されているのは昨今の倫理的観点(もちろん、医学的観点による結果からの見方もあるだろうけれど)からであって、ほっておけば、人類は血の繋がった人に恋に落ちやすいらしい(うろ憶え)。
そう考えると、異性だと嗜好性の引力が高まり、同性だと嫌うというメカニズムは理解できる。話とぶけど、政治学における「国」の争い分布も、隣国同士が仲が悪いという分析も上記からある程度読めるのかもしれない。
しまった。絵の話を書こうと思ったのに全力でそれた。うーん、上記と絡めて何か書けるかな。そうだ。
上記の絵の嗜好性の一致による親近感というのは、嗜好性のリトマス紙としてある程度、有用でないか。いやそうでもないか。いやね、つまり本や映画、音楽、スポーツなどなどいわゆるカルチャーの「これが好き」という共通項よりも「絵の趣味が同じ」という場合の方が嗜好性の類似値が高いのかと思ったのだけど、そうでもないかな。
というのも絵とはその良さを説明できないもので。本質的に。だからこそその価値観が反映されやすいのではないかと思ったけれど、音楽も本とかもそうだな、と思った。そして勿論建築や写真などなど全般的に。
ということを、どこぞかでさっきヒエロニムスを見かけて書いてみた。

絵の話」への2件のフィードバック

  1. まりっぺ

    貴方とはヒエロニムスの絵が縁だったわけですが、
    よく考えたらあそこの美術館に行く人も少ないだろうし、
    ましてやヒエロニムスに注目なんて人は更に絞られるし、
    そしてブエノスアイレスで再会することも低確率ですな。
    広口の漏斗状の漉し器から徐々に絞られて、
    最後に出てきた水滴がヒエロニムス繋がりになるんだね。
    人生って素敵。

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  2. 原田

    おお!まりさん自身が書き込んでくれるなんて驚きですが喜んでますわ。
    仰るようにヒエロニムス前にも色々重なる布石があったんでしょうね(レーシックとか本の嗜好とかも)。漏斗の比喩いいな。
    あと、最近の御姉のハプバーのレポートも、とても素敵。
    ありがとうございます!

    返信

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