荘太さんのメルマガで、以下のコピーを読んだ。
「可能性だけは腐るほどあるキミに」
雑誌KING(休刊)の創刊コピーだそうだ。
ふむ、と思った。
この言葉を見て学生たちを思った。なぜならわかいからだ。わかいというのは時間があるということであり、時間があるということは可能性があることと相関関係にあるケースが多いからだ。
もちろん、自負としては自分は歳をとって可能性が減ったとは思わないけれど、まぁ一般論としてはよく言われるように
「小学生のころは、なんにでもなれた」というような言葉があって。
つまりケーキ屋さんでも、パイロットでも、科学者でも、博士でも大臣でも。
でも歳を取るにつれて、それらの選択肢は良い意味でも悪い意味でも、集中されフォーカスされ、淘汰され、そして、それを人は成熟するという。
で、まぁ学生たちにたまにお会いする。別に彼らだけが可能性に溢れているわけではないけれど、やはりそこには社会人とは違った可能性への生き方があって、それはそれはなんだか眩しい。
石田君とか関君とかわせプロの太田さんとか飯沼君とか、アイセックの高木さんとかアルカーナでも手伝ってくれている藤井君とか山本君とかとか(いろんな理由でこのあたりで記載とめましたがご容赦をば)。
でも負けずに、可能性への飽くなき探求はいつまでもポケットに忍ばせておきたいなぁ、とか思って。
いずれにせよ、でもやはり「歳を取るだけ可能性が広がった」という生き方の方が、愉快な気もしていて(良いか悪いかはわからない)。