本棚の整理をしていて、久しぶりに村上春樹の一冊を手に取った。村上春樹の小説の醍醐味は、「何気ない日常をなにげあるような一日として再構成」する点にあると考えている。そんなことを思いながら、過去のある一日を記す。
その日は、朝から晴れていたような気がするけれど曇っていたのかもしれない。記憶に残るような日差しの強い一日ではなかったのは確かだ。春にしては暖かく、夏にしては肌寒くというと陳腐な表現だけれど、いわば、「so so」「そこそこ」どこにでも転がっている気候の一日だったということだろう。時に気候は何の役にも立たないし、結局、役に立ったところでそれは後日論でしかない。天気というのは、結局のところ付随条件でしかないのだ。必要条件にたどり着くことのできないドアオープナーとしての存在を人は天候と呼ぶ。
久しぶりに会う友人だった。4年ぶりくらいだろうか。遠くからの距離でもぱっと気づけるということは、きっとその人の外形が記憶に残っているのではなく、もっと別の何かしらを記憶しているのだろうか、と思う。所作というものや立ち振る舞いというような何か。それを人はケビンスペイシーでもない限り、うまく消すことはできないのだろう。髪の毛を茶色から黒く塗り替えただけで主人を見間違う犬の世界とは違った世界に私たちは生きる。そして同時に引きこもりの私としては久しぶりに関係者以外で会う「他者」だった。
たどり着いたのは、少し階段をあがって少し階段を下がって、そしてもう少し階段を上がったお店。喧噪から少し離れ、それでも静寂からはほど遠く、ただそれでも幾ばくかは世知辛い細菌と日常に溢れた雑踏から逃れるように、のれんの奥に広がるエアポケットのような空間に逃げ込んだ。
同僚であれ、同級生であれ、友人であれ、同じサークルであれ、一時の時間を共に過ごした人間は、たとえ両者/関係者を分かつ時間が増えても、その関係性の希薄化の程度は、その空いた時間に比例しない。おそらく1ヶ月くらいの空き時間と5年の空き時間は1.1倍ほどの違いでしかない。逓減は1ヶ月くらいで臨界点に達し、あとは誤差の範囲での平行線をたどるのだろう、と思う。
とある国の話をした。特定の国ではないのかもしれない。しかし、その国はきっとどこかにあって、そして両者にとっては、追い求める国の一つだったのだろう。日本とは関係のない国で、おそらく新聞には週に1回も出ないような国。NHKのニュースになんか1年に1回も取り上げられないかもしれない。
相変わらず、その人は、そんな国を追いかけていて、そして私も違う形でその国を追いかけていて。でも、それに対してどのようなアクションをとれるかは不明確で、そしてマイルストーンも見つからなくて。そもそも、その国が特定できないのだから、リサーチさえも無意味で。でも、方法はきっとどこかにあって、その方法を探しあぐねる。たとえ話でいうならば、新大陸に向かうコロンブスのような。黄金の国はきっとどこかにあって、でも、どこにあるのか、どのような国なのかはわからなくて。それでも彼女はそれに短くない時間を費やし、そして私もまた闇夜に紛れて、その国への思索に耽る。
平和に関する話を聞いた。浅学非才の私の知識では、平和とは「戦争のない状態(byクラウシェビッツだったっけ?)」だった記憶があるのだけれど、もう少し最近の学問では、「貧困、抑圧、差別などの構造的暴力がない世界」を「積極的平和」として見なすらしい。「万人の万人に対する戦い」の中に平和が定義づけられんとしている。ねえなんともロマンチックじゃありませんか。たとえ、それがどこにもたどり着かないエルドラドだとしても、そこに一筋の光はきっとあって。大海原でさまよってサブイボたてる我々も光の差す方に向かっていて。
なぜか国際政治の話をしていると私は高揚する。もっとも軍事やいわゆるところの「戦略論」のようなものではなく、やはり、今後1000年の間でどのような世界が待っているか?というような論点だ。国という定義はおそらく変わり、「グローバリゼーション」は死語となり、そして、何かが変わり、何かはきっと変わらない。
大学時代に学んだことは、今の実務では直接的に役だってはいないかもしれないけれど、きっとこの世界には私を引きつける何かがあって。それが例え青臭い議論だろうと、あるいは理論に裏打ちされたどこにも届かない海上のレコンキスタだとしてもそこには常に何かしらのよりどころがあって。そんなことを思いながら、ヴェーバー先生の「イデオロギーとは神々の永久闘争だ」との箴言は今でも私の生活にまとわりつく。
さいきん、職場に、悪い意味で原田くんのような新人が入ってきて、ぼく自身があまりうまくつきあえないんだ。
やはり君子は場を選ばないとな。
おお、ご無沙汰しております。
どういう方か気になりますね。パンツのチャックがよく開いている方でしょうか!
ありがとうございます!