相手が遅刻しても、自分が遅刻をしたくないと考えることについて

今日、以下の2chのコピペを見かけた。

714 名前: 卵の名無しさん 投稿日: 2010/10/25(月) 11:44:51 ID:O6/UrGGy0
80歳位の年配の紳士が指の抜糸をしにやってきた。
彼は9時に約束があって急いでいたので私はすぐに診察することにした。
傷はほとんど治癒状態で私は抜糸をすることにした。
傷の処置をしながら、なぜそんなにお急ぎなのですか、と訊いた。
老紳士は、老人ホームの妻といっしょに朝食を摂ることになっているんです、と答えた。
彼の妻の健康を尋ねると、認知症で老人ホームに少し前から入居しているんです、と言った。
それでは遅れると奥さんが困りますね、と問うと、
老紳士は、妻は数年来もう私のことが分からないのです、と答えた。
「もうあなたが分からないというのに、あなたは毎朝奥さんのところに行かれるんですか?」
紳士は私の手を軽くたたいて微笑んで言った。

「妻はもう私のことが分からないですが、私はまだ妻のことが分かるんです」

»ほんわか2ちゃんねる : 妻は数年来もう私のことが分からないのです

ベタな創作ではあるが、これには深い人生観が反映されるのではないか、と思った。

「情けは人のためならず」という諺があり、それは「情けをかけても良くないよ」という意味ではなく、「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い(Wikipedia」というのが本当の意味である。

で、それに通じるものがあるというか。つまり、上記の物語における紳士は、「奥さんの意識がなくとも、自分にとって奥さんの約束を遅れることは認められない」という矜持になりたつ。つまり、それは「人のためならず」なわけである。

ポイントは「奥さんのためではなく自分のため」という損益計算の話ではなく、「相手がどうであろうと、自分にとって正しい道を歩むのが善である」という人生観のようなものである。

つまり、後者においては、「こうあるべきだ」という矜持においては、損得の概念は入らない。

与太話でこのような話を聞いたことがある

「世の中に女性がいなければ、男性は今ほどに仕事をするか」という仮説の話。一説によると「男性は女性にもてたいがために頑張ってる」という説があり(まぁ種の保存からいえば、それはそれで正しいのだけれど)、それはそれで思考実験としては面白い。ただ、その時も「女性がいなくても、世界を前進させるのだ」というような意志はいわゆる「人生観」に該当するもので。

なんだか話がそれた。

世の中でいわれる、いわゆる「愛」というものの定義の一つとして「無償の献身」というものが定義されることがある。この「無償」というのがポイントで、つまりは見返りを求めないということだ。

ゆえに、「相手がどう思ってくれるかわからないけれど、尽くす」ということは、上記の逸話にも重なる。つまり、たとえ相手が気づかなくても、相手が知らなくても、ないしは、もしかして、ここにいなくても、アクションをするということが愛の1要素として社会の共通認識としてあるならば、上記の逸話から思い返すのは、そのような色恋沙汰の妙味なのかもしれない。

自分に当てはめて思い返すと、「約束の時間を守ること」が上記に該当する。

たとえば、相手が約束の時間から常に5分から10分は遅れてくる人がいたとする。その人と待ち合わせをすると、損得計算でいけば、5分ほど遅れていくのが、自分にとっての最適解となる。

しかし、そうではなく、「約束の時間を守ること」というのが私にとっては大切なので、その5分の遅刻を読み込んで、遅くいくことはしない。そういう意味では「相手が見てなくても時間通りに現地にいく」という経験は、上記の逸話を重ねてしまう行動指針だと思い返した。

ということで、僕は時間を愛しているということが証明されました(嘘

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