何も起こらない物語が好きで。いわゆる日常というもの。人は死なないし、誰も大恋愛に落ちない。ただ、淡々と日常が過ぎていく。
とはいえ、かの作家が喝破したように、人にはそれぞれの戦場がある。ゆえに、外から見れば何も大したことはないけれど、その人にとっては、毎日がシェークスピアだ。すなわち悲劇であり、喜劇であり、いずれにせよ二度繰り返される。
ただ、そのような小説はほとんどない。短編では多くあるが長編ではほとんどない。恋愛ではあるが、恋愛を主軸にしたもの以外で、かつ面白いものはほとんどない。なぜなら日常はつまらないからだ。事件が起こらないと物語は進まない。事件を起こさずに物語をすすめるには、相当の筆力と世界観の構築が求められる。
覚えているのは以下は、大した事件も起こらなかった小説な気がする(うろ覚え)。
»失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
今日も風呂場で短編を読んでいただが、「そんなことは起こらない」というような事件が小説で起こる。そりゃ、小説にしたわけだから、日常で起こらない確率のことにフォーカスして描写している、というそういった整理はできる。しかし、私は、今、私とともに生きる日常の物語を読みたいのだ。
ということで、日常に関して、いくつか思い出せることを記す。
あるクリスマスの日。留学していた年のクリスマスだったか、その前後だったか。いずれにせよ10代のあるクリスマス。
大阪に住んでいた私は、天王寺という町で人を待っていた。午前から待っていたように思う。おそらく9時か10時かそこらだろう。最近では、午前から人と待ち合わせるなんて、遠出する時以外ないけれど、高校生にとって、朝からの待ち合わせはそうそう違和感のあるものではなかった。
天王寺は待ち合わせ場所にはいかんせん適した場所とはいえず。いまいち駅前であれ、ミオであれ、なんとなく「ぱっとした」待ち合わせ場所はない。ゆえに、モニュメント前で待ち合わせすることになる。その時は、確かクリスマスツリーの前で待ち合わせをしていた。
今でこそ、待ち合わせ時間は他の人が「どう人を待っているか」を観察する楽しみを覚えたけれど、当時はそんな大人の嗜みも知らないので、小説を持っていた。小説。今、思い返すと、どうやってその小説を持っていたんだろうと思う。昔からカバンを持っていない私は、多分、ズボンのポケットにでもその小説を入れていたのだろう。必然的に、文庫本だった。
ゆえに、すぐに読んでしまう本だと悲しい。天王寺まで電車で20分ほどかかる町に住んでいた私は、その電車で本を消化してしまうことを恐れていた。当時、1999年は、携帯で暇を潰せるようなサイトはなかった。1999年はimodeの誕生の年なのだから。ゆえに、活字中毒の私は、本がなくては電車に乗れないほどの少年だった。さしずめ活字なしの電車アレルギーとでも言おうか。
ゆえに、その時に持っていたのは、資本論の2巻だか3巻だ。かの岩波書店の。当時は何の疑問もなくその一冊を選んでいた。つまり「そんなに早く消化できず」そして、「分厚い」という2冊だ。なんなら読み返すに値する本だった。幾分、ハイデガーなどよりも実利主義的なチョイスで良かったのかもしれない。
いま思い返すと、クリスマスの待ち合わせに、資本論を真面目によむ高校生は、相当、ロックだな、と思うけれど、当時は、何も疑いを持っていなかった。
その時も相手は5分だか10分だか遅れてきた。当時はまだ「女性は遅刻するのがマナー」というしきたりを知らなかったので、それなりに時間が過ぎてからそわそわしながら待っていた。資本論もなかなか頭に入ってこない。
今でもかすかに覚えている。箱だか、機械だかから製造のロジックを組み立てる、という美しい造作を。細かい文章は忘れてしまったけれど、「資本論は、その思想よりも、このロジックで世の中に受け入れられたんじゃないか」とさえ感じるような美しさだったと思う。
いまでもクリスマスの季節になると、その資本論をふと思い出す。
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