クリスマスが近づくと、実家の窓に白いスプレーでデコレーションをしていた。
玄関の大きな窓に、いわゆる星や木やトナカイを描いていた。出来合いの型に白いスプレーを吹きかけて、型を外すと、その型どおりに白く、星などが窓に映るというアレだ。
小学生の頃だったろうか、中学生の頃だったろうか。詳しくは覚えていないが、それくらいの頃だ。同時に白いツリーを出していた。頂上には星をかぶせて。
その窓にスプレーで絵を書くのは、僕の役割だった。もっとも、誰かにお願いされたわけではない。自分からし始めた。妹たちはしなかった。親もしなかった。ゆえに僕が続けた。
数年は続けたろうかと思う。まぁまぁ寒い冬に、玄関でするその作業は楽しくはあるが、それなりに億劫だった記憶がある。毎年、クリスマスが近くなると「あ、スプレーしなきゃ」と考えていた。
当時は、それが自分の役割であり、義務であり、ある種の戦場であった。それをきちんと毎年成し遂げることで、何かしらを達成した気分になったし、今の表現でいう自己顕示欲や承認欲求を満たしていたのだろうと思う。
いずれにせよ、そこでは自分がその役目を全うにこなしていたし、それなりの誇りも感じていた。
しかし、いつの頃からかそれはしなくなった。すっかり忘れた。今も、20年近くぶりに思い出した。
自分が戦っている戦場やミッションも、本当は別に大したものではないのかもねえ、なんという詮ないことをふと思った。
先日、友人と話をした。友人はハードワークだった。毎晩24時か25時まで働き、土日も働いた。彼女も30を超えた。
「こんなにもプライベートを犠牲にしながら仕事を続ける意味あるのかな」と彼女はつぶやいた。
それは疑問形の形をとっていても疑問形ではないし、僕が何かをそこに言うまでもなく、彼女は答えを自分で持っていた。
僕はいま、サンタの型抜きとその言葉をぼうっと思い返している。