さて前回の続き。アフリカはサハラ砂漠。
まず、私はカサブランカからサハラ砂漠の基点であるダクラへ向かう。途中でマラケシュやクスクスを食す。もう飽き飽きとするバスの旅。風景は美しく姿を変え、自然の偉大さを教えてくれるけれども、いささか居心地が悪すぎるバスの中では、そうそう景色を24時間眺めていられない。
そもそも、窓の外は砂。砂。砂。たまに遺跡とたまに町。そんな飽くなき灼熱のバスは一路ダクラへ向かうのだ。
ダクラで何をするかというと、サハラ砂漠を渡るランドクルーザーをチャーターしなければならない。そもそも旅行者は、そんなところ渡らないので一般ルートは存在しない。しかし、現地の人々のルートがある。それがランクルなのだ。
問題は、どこで、誰に借りれるかわからない、という問題がある。そんな時、参考になるのが「旅行者ノート」だ。世界中の宿に散らばった旅行者たちのメモ書き。そこにたった1行でも記されている情報が我が身を助けることになる。
今回は事前に仕入れていた情報で、ダクラのあるカフェのオヤジがランクルのエージェントだという話を聞いていた。そこで、ダクラにまず宿を取り、そのカフェを探す。いくら町とはいえ小さな町。歩いて探すのは難しくない。しかし、問題なのは店の名前が書かれていなかったり、地図がないという問題だ。それでも、人に聞きながら、我々はその「おっさん」を確保。翌日のランドクルーザーに乗せてもらうことが決まった。
宿でゴロゴロしていると、宿のおっさんがドアを叩く。魚を食うからお前も来い、ということらしい。このような唐突な誘いはアフリカで数多く体験する。やはり、アフリカは旅行者が少ないから、珍しがられるのだろうか。もっとも、中東でも比較的多く経験した気がする(とくにパレスチナ)。
宿の屋上にあがると、なんの魚かわからない肴がパチパチと焼かれていた。そこに集う従業員達数人。腹痛の恐れがあるものの、腹が減っていたので魚を食べる。手でむさぼりくったその魚の上手いこと。宿のオヤジはアラビア語しか喋れなかったので(確か)コミュニケーションは困難だったが、なんだか思い出に残る夜だった。
そして、翌朝、集合場所へ向かう。
ランドクルーザーには、他に乗るのは現地のおばさん4人。2列のシートにおばさん4人と私。それだけだったらまだいい。その子供達が3人だか4人だか。そして特筆すべきは、そのおばさんたちの体格は常人の3倍ほどの容積を満たす。
つまり、6人がけのシートに16人だか17人だか座っているようなものなのだ(記憶違いだったらごめんなさい。でもこんなかんじだった)。ラッシュ時の山の手線もびっくりの混み具合。それに2泊3日を共にするのだ。しかも共通言語はフランス語(その時は)。
そして、現地人の荷物はもはや2階建ての建物に匹敵するほどの大きさとなり屋根を覆う。そんなこんなで巨大なクッパのようなランクルは、いざ、砂漠をかけることになる。
さて、サハラ砂漠。季節は夏。想像を絶する暑さ。当然、水は即効でなくなる。事前に用意したペットボトル3本もすぐに消化。そこで、やさしげな同行者(現地のおばさん)が水をくれた。おばさんと間接キッスのペットボトル。そんなことにひるんでいてはいけない。一番ヘビーな水は、スーダンで飲んだ路上のカメに入った水だった。ぼうふらがいてもおかしくない水を平気でがぶがぶ飲んでいた気がする。落ちていたペットボトルを半分に切った入れ物で汲み取って。それほどスーダンの砂漠は過酷だった。
あと水で思い出すのは、マリの電車で売られていた水だ。ガキたちが小遣い稼ぎに水を売りに来る。値段は市場の1/10ほど。なぜなら、その水とは水道水。それを拾ったペットボトルに入れて売っているのだ。ただし、それは凍っているので、なかなかうまい。最初は気付かず飲んでいて、案の定、死ぬほど腹を下したが、マリの2泊3日の旅が終わるころには、もう水で腹を下すことはなくなっていた。
まぁいいや。で、サハラ砂漠で何が大変かというと、まずはトイレ。まぁ砂漠に立ちション。大はひたすら我慢。そして、次に食事。最初から仕入れてきたフランスパンをちょっとづつ食す。あとはひたすらキチガイ馬車のように揺れ続けるランクルの中で頭を立てゆれしまくること数十時間。
夜は、他のランクルとコンボイを組む。なぜなら迷子になると死ぬからだ。また、すぐ砂漠に埋もれてスタックしてしまうため、他の車なしで走るのは自殺行為に近い。サハラ砂漠には無数の地雷が埋まっている。こちらには単なる砂にしか見えなくとも、そこには道があり、それをそれると現地人でも迷子になる。
案の定、20回くらいのスタックを繰り返し、ランクルはある場所に泊まった。どうやらそこは休息地点らしい。トタン屋根で出来たバーが1軒だけ砂漠のど真ん中に立っていた。それはそれは幻想的な世界だった。周りは砂漠しかない風景で、空には月が我々を照らす。そこでただ、ぽつんとある小さなバー。缶詰や牛乳パックしか置いていないけれど。残念ながらアルコールはない。
それでも、そんな幻想的なバーの前で、運転手や僕たちは、大の字になって砂漠の上で寝た。
そんなこんなで無事、モーリタニアのヌアクショットに到着。疲労困憊で、大事件が発生。到着したところで運転手が「チャーター金を払え」という。しかし、私はすでに乗る時点で払っていたために喧嘩になる。あとでわかったことだが、これは完全なる詐欺。しかし、非常にうまい具合にコンビネーションを組んでいて領収書さえも切らせない仕組みになっていた。パスポートを預けているので、逃げることも出来ない。
で、まぁ、大喧嘩。現地の警察ですったもんだで、とりあえず勝利。何が大変って警察が英語を喋られないからこちらの弁明ができない。しょうがないので、いろんな言語を織り交ぜながら陳述。ひたすら集まってくる暇人警察20人。ただ、その1人がスペイン語を喋れたので、まぁそれで助かった、という話。あのときほどスペイン語が喋れてよかったということはなかった。
こう書けばなかなか素敵なサハラ砂漠。でも実際は、もう散々だった。本も読むことができず、喉がからっからに乾いて、トイレもいけない状態で、腹も空腹で、そして山手線を越えた混み具合に3日間。なんど意識が飛んだかわからない。しかもはしり続けてくれたらいいのに、何回スタックしたか。もう2度とあそこにはさすがにいきたくないなぁ、と。まったくもってオススメしない。ただ、その砂漠のバーだけはもう1度くらい行きたいなぁ、と思うけれど。それだけを見るためには行く価値があるかもしれない。あんな幻想的な場所は、この26年間の生涯であそこしか思いつかない。
はじめまして。
いつも興味深く読ませていただいています。私は砂漠地帯に8年ほど住んでいたので、スタックだとかランドクルーザーだとか、懐かしい響きを感じました。私の楽しみは友達と満月時の砂丘にて影踏みをする事でした。
次回の旅編にも期待しています。
はじめまして。
いつも興味深く読ませていただいています。私は砂漠地帯に8年ほど住んでいたので、スタックだとかランドクルーザーだとか、懐かしい響きを感じました。私の楽しみは友達と満月時の砂丘にて影踏みをする事でした。
次回の旅編にも期待しています。
コメントありがとうございます。
恐縮です。
砂漠地帯に8年も住まれていたのですか。こちらこそ是非ともそのようなお話はまた聞きたいところです。
砂丘での影踏みとはなんとも色気のある遊びですね!情報ありがとうございます!