秋である。

秋といえば、読書の秋である。

しかし、通勤をしなくなって、めっきり読書をする時間が減ってしまった。せいぜい飛行機を取る時くらいのものである。

あるいは、スマートフォンの普及で、空き時間でもさくっと本を読めるようになった。

エレベーターをまっている時間や乗っている時間。またはランチをまっている時間。はたまたパソコンが立ち上がる時間。

今まで分散していた細切れ時間に、ポケットからふっとスマフォを出すだけで読書が可能になった。

これは読書のイノベーションである。

今まではハードカバーはおろか携帯性を持たず、文庫本とはいえ、常に持ち運ぶには課題があった。

しかし、スマフォに電子書籍さえあれば、いつでも読むことができる。

また、急に電車やタクシーに乗る時も、本いらずである。あまりカバンを持ちたくない1人としては、ポケットに入りにくい文庫本の携帯方法は課題だったのだが、これで解決することとなった。

どうでも良いが、最近、iPhoneで読んだ本としてはパラレルがある。非常に名作である。※自炊した

パラレル
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しかし、同時に、長い物語よりも短い物語を好むようになる。

なぜなら、1冊の本を読むのに、仮に90分かかるとすれば、エレベーターの時間だけで読み進めていると、エレベーターが片道1分で帰りと合わせて2分としても、90分を割ると、45日もかかってしまうからである。

さすがのこの遅遅としてすすみでは、最後のエピソードにたどり着く頃には、最初の伏線を忘れてしまっている。

よって短編や、ないしはショートストートリーが重視される。

ということで、昨今は短編を読むことが多い。

一説によると、短編は「のめり込むまでに時間がかかり、のめり込みそうになったら話が終わっている」と言われることもある。

しかし、同時に短編だからこそ完結する世界もある。つまり、それは短編を長編の一部と見るか、ないし短編はいくらのばし重奏にしても、長編にはたどり着かないという考え方である。

基本は後者の考えが主流だろう、と想われる(手法も含まれ)。しかし、同時に村上春樹の蛍のように、短編から長編を紡ぐ物語だってある。

CMソングもサビだけを造って、そこからフルコーラスが生まれることもある。

この短編のあり方が個人的には好きだ。というのも、人生は、そういうもので。

街中で人を見かける。誰かを待っている人もいれば、花束を買おうとしている人がいる。ほろ酔いの人もいれば自転車でジムに急ぐ人もいる。

彼らを見かけている限りは、そこからどこにもたどり着かないけれど、一つ想像力を使えば、そこには彼ら/彼女らの人生がある。

たとえば、職場で隣の席の誰かが「秋ですね」という。そして「紅葉だね」なのか「学園祭」なのか解らないけど、何かしらの話が加えられる。

それは短編で言うならば「秋」の物語はそこで終わる。しかし長編的に見るならば、隣人がいった「秋」は、いろいろ彼/彼女の人生を背景に持った秋で。

たとえば、その前日に恋人と「スポーツの秋に関して、フットサルの話」をしたのかも知れないし、出社前にニュース番組で「秋祭り」のニュースを見たのかも知れないし、あるいは、その日の夜に「食欲の秋」と称して鍋でも囲むのかも知れない。

ないし、背景なんて何もないけど、とりあえず隣人と会話をしたかったのかもしれないし、あるいは、たまたま秋という言葉が出てきたのかも知れない。

なんてことを考えていると、今日も1日が終わる。

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