無(最高の状態)を読んだ★★★

無(最高の状態)

めちゃ面白かった

>心配事の 97%は起こらない

この一言で、いろいろ気が楽になるファクト。
世の中を幸せにするで賞

>ネガティブの強さは、状況によってポジティブの3~ 20 倍の範囲で推移します。「出かける日に雨が降った」や「転んでケガをした」ぐらいの日常的な不幸なら、ネガティブの強度はポジティブのおよそ3倍。友人や恋人とのケンカのように対人関係がからむ問題なら、ネガティブの強度は5~6倍。虐待や事故といったトラウマ的な出来事の場合、ネガティブの強度は 20 倍以上まで跳ね上がります

データで見せられると面白い

>「情熱的な愛、精神的な昂り、新しい所有の喜び、成功の爽快感。すべての望ましい経験は、いずれもそのとき限りのものである。この点はいくら強調しても足りない」(4)  この現象を、心理学では「快楽の踏み車」と呼びます。ホイールの中を走るハムスターが決して前に進めないのと同じように、人間の喜びも同じ位置にとどまり続ける事実を表した言葉です。 「快楽の踏み車」の存在は何度も実証されており、特に有名なのは、1978年の研究でしょう(5)。これは宝くじの当選者を調べた古典的な研究で、彼らの心理を調べたところ、大半の被験者は当選の直後にしか幸福度が上がらず、半年後にはほぼ全員が元の精神状態に戻っていました。数千万から数億円の賞金を手にしても、私たちの幸福は高止まりしないよう
>アパートに引っ越したうれしさは平均3カ月で色褪せ、給料が上がった喜びも半年で消失、好きな相手と恋仲になった幸せも6カ月で薄らぎ、およそ3年でベースラインに戻ります(6)。大金を手にしても、住む場所を変えても、愛する人と結ばれても、その喜びは常にうたかた

幸せは、高止まりしない。流れていく

>結論から言えば、すべての状況は「あなたのニーズが満たされない状態」としてまとめることができます。  他人に言うことを聞いて欲しい、友人の反応を知りたい、同僚を信頼し続けたい、物知りだと思われたい、がんばりを報われたい……。  表に現れた感情はそれぞれ違えど、何の不満もない状態でただネガティブな感情を味わい続ける人はいないでしょう。根っこにはどれも「大事なものが失われた」や「必要なものが足りない」といった感覚があるはずです。すなわち、私たちの「苦しみ」は、あなたに〝不足〟を知らせるメッセンジャーとして機能してい

不満はモチベーター

>過去の失敗や未来の不安を何度も頭のなかで繰り返す心理のことです。  反芻思考のダメージは計り知れず、複数のメタ分析で鬱病や不安障害との強い相関が出ているほか、反芻思考が多い人ほど心臓病や脳卒中にかかるリスクが高く、早期の死亡率が高まる傾向も報告されています(4)。いつも頭の中で否定的な思考やイメージが渦巻いていたら、ほどなく心を病んでしまうのは当然

反復は危険。

>前頭葉が起動するまでの時間は平均で4~6秒で、そこから 10 ~ 15 分も経てばアドレナリンやノルアドレナリンの影響力はほとんど消えてあなたの怒りは鎮まります。つまり、暴言を受けてから6秒だけやりすごせれば、〝一の矢〟の痛みは過ぎ去るわけ

いらっとしたら6秒我慢は化学的に正しい

>思考とイメージを増大させ、最後に苦しみをこじらせる生き物なのです。  事実、多くの先行研究では、自己にこだわる人ほどメンタルを壊しやすい傾向が何度も報告されてきました。専門的には「自己注目」と呼ばれる状態で、「私はダメな人間だ」や「私は失敗ばかりだ」などの否定的な思考が良くないのは当然として、「私はどんな人間なのだろう?」や「本当の自分らしく生きることができているだろうか?」といったように、理想の自己を思う時間が長い人も不安や抑鬱の症状を起こしやすいことがわかっています(

 >北イリノイ大学の認知科学者ジョン・スコウロンスキは、人類に自己が備わったのは 25 万年前から5万年前頃だと推定しています(7)。  人類の祖先であるホモ・エレクトスが、それまでの 30 ~ 50 人単位の暮らしをやめて150~200人の集団で暮らすようになったのはおよそ 40 万年前のことです。

めちゃ面白い。自己は最近、発明されたものであると。

>ゲームにのめり込んで時間が瞬く間に過ぎたり、小説の世界に没入してただ文字を追ったり、気の合う仲間との会話が盛り上がったりといった体験を思い返せばわかりやすいでしょう。そこには自己の感覚などなく、あたかも目の前の出来事と一体化したような感覚だけがあったはずです。  同じように、リラックス状態でも自己はほとんど発生しません。温かいお風呂に入ったときや、美しいビーチでのんびりしたとき、就寝前にゆったりした音楽を聴いたときなど、どの体験にもやはり「わたし」はなく、あなたはただ環境のなかに存在しているような心持ちを味わうでしょう。意識が完全に現在へ向かった状況では、ただ目の前の世界で起きる情報を処理すれば良く、過去や未来に思いをはせる必要がありません。そのおかげで、わざわざ自己を起動させずに済むのです

自己のない状態。

>以上の知見をもとに、現代の神経科学者や心理学者は、私たちが知覚する〝現実〟の大半は、脳が生んだ物語で構成された〝世界のシミュレーション〟だとみなしています

面白いなー。シュミレーション仮説とは違うものの。

>ここで本当に興味深いのは、視床から視覚皮質に向かう情報の経路より、高次機能から視床に向かう経路のほうが 10 倍も多いという事実です。言い換えれば、私たちの脳の構造は、網膜からインプットされる生の情報よりも、高次機能が作った〝物語〟を格段に重視する設計になっています

面白すぎる。人は物語をそこにみる。

> まずアメリカ人を襲う幻聴は、日本と同じくネガティブな言葉がほとんどです。「死ね」「殺す」「最悪の人間だ」のように、暴力と憎しみに溢れたフレーズが大半を占めていました。  一方、ガーナやインドの農村部に住む者が聞く幻聴は、「正しく生きよ」や「良い日が来る」といったポジティブな内容が混ざり、声の調子もおだやかなものがほとんどだったそうです。おかげで患者たちは統合失調症でもQOLを損ないにくく、症状の寛解スピードも早い傾向がありまし

病気さえも文化によって変わる

>ささいなスキルのように思えるかもしれませんが、ここ数年の研究で、「感情の粒度」がメンタルの安定に大きく関わることがわかってきました。「感情の粒度」が高い人たちを調べたジョージ・メイソン大学などのチームは、感情の言語化がうまい人たちは総じてセルフコントロールがうまく、アルコールやドラッグに依存しにくいうえに病気にもかかりにくいと報告しています(7)。  その理由は、感情の粒度が高いほど脳が混乱しづらくなるから

 また、新しい単語を学ぶだけでなく、「穴の中に落ち込むような孤独」や「豚のように肥えていく孤独」といった比喩表現に触れるのも効果的です。目新しい表現に出会う度に、「この言い回しは過去の私の感情に当てはまらないだろうか?」と考えてみると良いでしょ

不安定にならないためには、言語化が重要

>もうひとつ、未知の外国語に触れるのも有効で、たとえばイヌイット語では「誰かを待つ期待感」のことを「イクツアルポーク(Iktsuarpok)」と呼び、ヒンディー語では「愛する人との別れにともなう心の痛み」を「ヴィラアグ(Viraag)」と表現します。

かっこいいな。

>結果、不快を受け入れた参加者は「苦しみ」の認知が大きく変わり、運動の辛さに抵抗したグループと比べて主観的な辛さが 55%も低下し、疲れて動けなくなるまでの時間が 15%増加しました。この結果をもとに、チームは「不快を受け入れること」の効果を強調してい

受け入れることで、ストレスは減る。

> 過去の失敗もまた積極的に降伏すべき対象のひとつです。失敗の反省は良いことのようですが、ノースイースタン大学などの調査では、過去の過ちを何度も省みる人ほど自己破壊的な行動が増え、アルコール依存や過食に走りやすい事実があきらかにされています(7)。おそらく失敗の記憶が脳に慢性的なストレスをあたえ、現実逃避のモチベーションを高めるのでしょう。この問題を解決するには、過去の失敗が変えられないことをアクティブに認めるしかありませ

科学的にも、過去の失敗は、もう忘れるのが一番。

>その証拠に、ピダハン族は実際に見聞きしたことしか話さない傾向があります。  魚を捕った。カヌーを漕いだ。子どもと一緒に笑った。友がマラリアで死んだ。  彼らの会話はどれも現実にあった即物的なテーマにもとづき、架空の話はほとんど見られません。「もっとお金を持っていたら」や「あのとき別の行動をしていれば」といった話題を持ち出さないのです。  言い換えれば、ピダハン族の会話には過去と未来が存在しません。おかげで明日のことをくよくよと悩まず、過去の失敗にとらわれもせず、ただ目の前の現在だけを楽しめるわけです。  そのため、彼らは特定の宗教を持たず、精霊や祖先

理想的や。

>では、座禅や瞑想に関する過去の研究から3515人分のデータをまとめ、「自分の思考や感情を観察するトレーニングを8週間続けると、不安と抑鬱症状には0・3、痛みには0・33 の効果量を持つ」と報告しました(7)。効果量は観察のメリットを数値に換算したもので、0・3ポイントという数字は一般的な薬物治療に相当するレベルです。薬剤を使わずに同等の効果を得られるなら、試す価値は十分にある
> 取り組み時間の目安は一日3分から始めましょう。ある研究では、 51 人の学生に日常の家事にできるだけ意識を向けるよう指示したところ、3~5分程度でも日中の緊張感や不安が減ったと報告されています( 17)。一回3~5分の作務が続くようになったら、また別の手法に取り組んでみて

観察の価値

>・モチベーションの低下  ワシントン大学の実験では、 15 分間の瞑想を行った被験者は、普通に休憩を取ったグループよりも、作業へのモチベーションが約 10%低下しました(9)。これは瞑想によって自己の感覚が薄れたせいで、未来への目標に向かう気持ちが下がったものと考えられ

瞑想のネガティブ効果

>あるトレーニングのなかでも心を落ち着かせる効果が高いとされ、たとえばアイオワ州立大学のテストでは、496人の学生に「大学の構内を歩きつつ、すれ違った人たちの幸せを願ってみてください」と指示したところ、 12 分の実践で不安とストレスの大幅な減少が認められました( 24)。普段は何とも思わない通行人の幸福を願うことで、縁起性の感覚が高まった

人の幸せを願うとストレスが減る

>無我に至った人間は何者になるのか? いかなる心持ちを抱き、どのように行動するのか?  この疑問については、過去に多くの賢人が体験談を残してきまし
〜 西洋にも同じような証言は多く、イギリスの思想家アラン・ワッツは、LSDという幻覚剤を摂取した後に自己の消失と大いなる幸福感を味わい、「すべての差異がなくなったようだ」と報告しました。ハーバード医学校の脳科学者ジル・ボルト・テイラーは、 37 歳のころに脳卒中で自己認識に関わる脳機能を失った直後から「あたり一面が平穏な幸福感に包まれているような感じ」を体感。この状態を、「脳のおしゃべりが止まった」と表現しています(4)。  似た証言はほかにも無数に存在し、たいていは自己が消えたあとで独特の一体感や安心感が生まれ、人生の悩みが消えて強い幸福感を得たと報告するのが定番のパターンです。本書のタームで言えば、自己を定義してきた物語がはがれ落ち、そのおかげで精神機能が広がった状態と言える

無我の境地ってどんなでしょ

> 観察の訓練が不安の改善に役立つのは前章で見た通りですが、ダービー大学などの試験では幸福度の上昇も確認されています(7)。これは、日本、タイ、ネパールなどから平均で 25 年間をかけて毎日のように瞑想を続けてきた僧侶を招いた調査で、当然ながら、実験前の段階ですでに全員が高い幸福度と智慧のレベルを維持していたそうです。  研究チームは、すべての参加者に「縁起性」(前述の こちら)にまつわる瞑想を行うように指示し、実験前に測ったベースラインとの比較を行いました。すると、もとから高かった参加者の幸福度がさらに上昇し、ポジティブな感情と他者への慈悲心がそれぞれ 10%と 16%ずつ上昇、逆にネガティブな感情は 24%低下し、物事への執着心も 10%減ったのです。  筆頭著者のウィリアム・ヴァン・ゴードンは、こう指摘します。 「主観的な幸福の向上
>アムステルダム自由大学による実験によれば、参加者がたった5分の観察トレーニングを行っただけでも、共感力と他者の感情を見抜く能力が 10 ~ 20%の範囲で高まったとのこと( 12)。ノースイースタン大学の実験でも、一日 20 分の観察トレーニングを8週間続けた男女は、何もしなかったグループに比べて他人のトラブルを助けたり、私生活に悩む人たちの話を聞いたりという利他的な行動の量が500%も増加しました(

瞑想による価値

>・客観的な判断がうまい=数十件を越す研究により、自己にとらわれない者ほど客観的な判断を下すのがうまい傾向が確認されました(9)。無我で判断力が上がるメカニズムはまだ不明ですが、多くの研究者は、観察スキルで自己が薄れたおかげで「うぬぼれ」や「傲慢さ」が消え、主観に飲み込まれない判断が可能になるのだと考えてい
>・情報処理の質が高い=無我にいたった者は感情と思考に流されにくく、固定観念に頼らずに本当に必要な情報を識別しやすいようです。と同時に、外部からのプレッシャーにも影響を受けないため、その分だけ不安や焦りなどを感じずに情報を取り扱うこともでき

自己にとらわれないと意思決定の質も良い

>取り組みましょう。  逆説的なことを言い出したように思われそうですが、近年の研究では、幸福を追い求めるほど実際には幸福度が下がってしまう現象が何度も確認されています。たとえば、デンバー大学などの2011年の研究では、参加者に「普段どれぐらい幸福を大事に考えているか?」をたずねたうえで、過去 18 カ月に体験したストレスと比べました。すると、幸福を重視する者ほど人生の満足度が低く、逆にストレスも高い傾向が見られたのです( 16)。また別の研究でも、320人の男女に数週間にわたって日記をつけさせた結果、やはり幸福感を重視する者ほど孤独感に襲われやすく、鬱病になる確率も高い傾向が見られました(
>このような現象が起きるのは、 19 世紀の哲学者J・S・ミルが指摘した「幸福を直接の目的にしない場合に、かえってその目的が達成される」ようなメカニズムが、人間の中に存在するからです。それもそのはずで、いつも幸せのことばかりを気にしていたら、「私は理想よりも幸せだろうか?」や「私は昔より不幸になったのではないか?」などの気持ちが浮かび、常に意識が自己に向かってしまうでしょう。幸福を求める気持ちが、あなたを「自己注目」( こちら)の罠に誘い込むわけ

幸福を負いすぎてもNG

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