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自分と同じように見える人は実は

昔、誰かに聞いて、ふと思い出した話。

仕事で「あの人は自分と同等ラインで仕事ができる人だな」と思う場合、実際は、その人は自分より二段階くらいできるそうで。

つまり、人間は自分を評価する場合は二段階くらいバイアスをかけてしまう(たとえば、歌のうまさやアート作品とかも、自分の歌は贔屓目に見てしまう)。。

とはいえ、この「段階」という尺度が何の意味を持つかわからないけれど、昔きいて「なるほどなー」と思うことをふと思い出した。

 

 

 

自分の乗るフライトのターミナル番号がわからない時に役立つのはGoogleだけ

  • 飛行機に乗る用事があるとする
  • 「あれ、僕のフライトのターミナルどっちだっけ」となる
  • Expediaなどのアプリだったら掲載されたりする。メールに乗っていることもある
  • ただ、電子メールなどにも乗ってないこともある
  • そういう時に助かるのは、Google先生に、便名を入れれば教えてくれる
  • もうGoogle先生なしでは行きていけない

iPhoneで、「このアプリ、どこにいれたかな」とわからなくなった時に見つける方法

iPhoneでアプリをダウンロードしまくってると、「あれ、このアプリどこにおいたかな」ということがある。とくにフォルダに入れている時に。

昔はアプリ検索で、そのアプリが入っているフォルダも表示してくれた記憶があるのだが、いまはできない。

数百アプリもあると、見つからない。

そんな時は、そのアプリのUpdateをすると良い。そうすると「Update中」のアプリが入っているフォルダがハイライトされるので、そのフォルダを探せば良い。

という話

店探しは、食べログよりもGoogleを使うようになってきた

従来、飲食店探しといえば、食べログが主戦場だった。最近ではrettyなどの利用者もいるが、以前、食べログが存在感を出していた。

しかし、最近、友人に「Google mapから探すのもいいですよ。レビューもあるし、場所からすぐに探せるし」という話を聞いた。

しかしながら、食べログにも課金しているヘビーユーザだった私は、移行できずにいた。

しかし、ある時に「食べログではできない!」という機能があり、ふと思いたち、Googleマップを使うとその機能を活用することができた。それ以来、Googleマップでの飲食店探しをする機会が増えた。

1度、成功体験をすると、あとは継続させやすいというWeb事業のセオリー通りだ。

さて、私が使いたかった機能は何か。それは、「いまの時間に空いている店」というのを探す機能である。

過去に、この問題はかなり私を苦しめていた。

たとえば
・早い時間のランチ(11時からとか)
・遅い時間のランチ(14時からとか)
・遅めの時間からのご飯(23時からとか)
などなどの時、食べログでは、いちいち店を調べる必要があったのだ。

もちろん、食べログでも「22時以降は入店OK」とか「始発までやってる」という情報はあるが、こちらが知りたいのは「23時」とか「25時」とかの特定の時間なのである。

特にランチ時間は、食べログでもそのような指定はできない。

しかしGoogleは「いまOpenしてるよ」というのが、Googleマップからワンクリックで確認できる。素晴らしい。

ということで、時間をベースに店を探す時は、Googleマップから探すのが格段に効率が良いという話でした

テクノロジー好きな楽観主義?

友人と話をしていて。彼女は、マスメディアで働いていたことのある人で。いわば、従来からの大きな産業だ。

対して僕はITの会社にいて。ここ20年で大きくなった産業だ。

それに対して、彼女は言う。

– テック業界の人は、総じてオプティミストだ(楽観主義だ)

どういうことか。テックの人たちは明るい未来を信じ、時には自分たちで未来を作れると信じている。明日は今日より良いものであると信じている。

しかし、旧来のメディアの人たちはそうではない。悲観的、とまではいかないとしても、物事を懐疑的に、あるいは疑って見る傾向にある。それは、メディアが従来もっていた「社会の木鐸」という意味合いをも持つからという点もあるかもしれない。ジャーナリズムの本質は疑うことにある。

とはいえ、そうだとしてもテック業界の人たちはオプティミストなのは間違いないだろう。

なぜなら、彼らはネット産業がこれほど大きくなる前から、この業界にいた人たちだ。古い人は30年前からだろう。

どうなるかわからないよくわからない世界に飛び込んだ。いまでいえば、ブロックチェーン業界や宇宙産業に近いかもしれない。将来、どうなるかわからない。

ただ、飛び込んだ人たちに共通することがあった。それは「大丈夫。この世界は楽しくなる」という信条だ。ネットは世の中をよくするのだ、という信念。ある種、ネット教とでもいうような宗教のような。2chのような文句のあふれる世界や、個人情報の流出など、闇の部分も抱えながらも、それでも「きっといつかは晴れるさ」と信じて疑わなかった人たち。

まるで、ゴールドラッシュに飛び込んだガリンペイロたちのように。あるいは、石油掘りに時代を捧げたジャイアントたちのように。そういう人たちが作る産業だから、楽天的な人が多いのかもしれない。

Appleの伝説のCMを思い出す。

自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから。

引き伸ばされた未来

教養としてのテクノロジー―AI、仮想通貨、ブロックチェーン (NHK出版新書 545)
伊藤 穰一 アンドレー・ウール
NHK出版
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上記の本にかかれていて、なるほどな、と思ったのが、「我々は2020のオリンピック後の物語を求められている」という文節。

つまり、いまは2020年の東京五輪に向かって、皆が高揚している。しかし、それが終わった後は?残るものは何もない。まるでゴールデンウォーク終わりみたいだ。次の祝日まで2ヶ月以上ある、というような。

不動産は値下がりし、意識としても「楽しみにする先」がなく。

しかし、そんな中、大阪で万博が決まった。めでたいことだ。これで、クリスマスの後に正月ができたようなものだ。少しだけ延命された。

では次に2025年の後の物語について考えるとしよう。

睡眠を取ること

ある世捨て人の物語: 誰にも知られず森で27年間暮らした男
マイケル・フィンケル
河出書房新社
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上記の本を読んでいる。タイトルのままだが、27年、森で誰にもコミュニケーションせずにいきた人間の話。とても興味深い。

その中で、ジャーナリストである上記の筆者は問う。「その経験の中で得られたものはあるか?」と。彼は答える。

「よく睡眠をとることだ」と。

ちょうど、この間「大変なことがあればとりあえず寝るんだよ。じゃあ朝、起きたら、問題は解決してないけど、問題の大きさは小さくなっているから」みたいな話が聞いたところだったので、それとリンクして。

よく寝ること。

深いなー。

富の再分配の問題

以下の記事を読んで思い出した

»お金持ちを、ほめよう!|深津 貴之 (fladdict)|note

大学での専攻が政治ということもあり、富の再分配の仕組みを考えたことがある。その時に思ったのは「お金」は1つの尺度しかないので、そのお金を分配する代わりに、それを分配した人に別の尺度の何かを戻す仕組みがあれば良いと思った。

お金は絶対的なものではなく「ものをかえる手段」でしかないわけで、人はお金を使って何かを買う以上、そのお金に値するものが何かあるわけである。いわば「お金A=何かB」の等号が成り立てば良い。1つは上記の記事にかかれているような名誉欲はそうかもしれない。神社に寄付した人の名前の灯籠などがあるのは、昔からそういう仕組があったとも考えられる。

ただ、名誉欲は少しわかりにくい。価値の尺度を図りにくいのだ。つまり「お金A=名誉B」の計算がなりたちにくいというか。そういう意味で、もっとプラグマティックな尺度の還元があってもいい。

たとえば、以前、誰かがいっていて「なるほど」と思ったのは「税金を多く収めている人は市役所の対応をちょっとだけ早くする(ファストレーン)」みたいな仕組みだ。人よりもお金を多く払っているわけだから、そのロジックは理解できなくもない(心情的に理解できるかは別として)。いわば、飛行機のファーストクラスと同じ仕組みである

あるいは、警察の対応とかの公共の制度を少しだけグレードアップするような仕組みがあってもいいかもしれない。それらの仕組みを成り立たせるためのお金をたくさん払っているわけだから、ちょっとだけ、その制度を優先的に使える仕組みである。

ただ、別の研究でそもそも、上記とは別の考え方を読んだことがあって、それはそれで面白い。それは「幸せ度」の尺度で考えるというものである。

その研究によるとお金を多くもっていたからといって必ずしも、それに比例して幸せ度があがるわけではない。それは人は自分の環境に慣れていくからであろう(同じ問題として、蛇足ながら、苦痛もなれるという仕組みがあり、人間はどんな良いことも、悲しいこともなれていくというフレキシブルな機能を備えているのは興味深い)

人はお金を持つと無駄なことにお金を使う。しかし、それにお金を使うなら税金として払って、インフラがよくなったり社会をよくする方が、結果的にその人の幸せ度があがるという話である。

※ちなみに、それがかかれていたのは「成功する人は偶然を味方にする--運と成功の経済学 | ロバート・H・フランク」

そう考えると、「税金を払うことが結果的には自分の幸せになる」というロジックがなりたち、それはそれで、社会がハッピーになることやな、と思いました。

お金はどこからくるか

以下のツイートを拝見し、ふと思ったこと。

たしかに、今までは「経済成長」と労働力は相関がある時代だった。人が多い方が、より労働力になり、より経済成長をうむ。

経済大国のUSでも、中国でも、人口はかなり多い。インドの今後の可能性も、人口を元に考えられることが多い。

よって、最近では日本でも「少子高齢化における日本では、労働力としての移民が不可避」といった議論も行われる(ちなみに、この論点自体は、大学時代にも研究をしたことがあって、その場合、日本がもっているソーシャル・キャピタルの観点も踏まえて考える必要があるという学びをえた)。

しかし、今後のロボティクスやAIが普及した世の中では、労働力と経済力が比例しないタイミングがくるかもしれない。実際、イタリアではファッションなどのブランドものの産業が大きくこれは労働力と比例しないモデルが存在していて、別におかしい話ではない。しかし、テクノロジーが一層、その労働力と経済のモデルを変える可能性を持つ。いわゆる「パラダイム・シフト」と古典用語で呼ばれるようなものがくる。

昨今のベーシックインカムなども考え方は近い。ベースになる活きるのに必要な費用は、他の生産性向上によってなりたつのではないか、という問いが重要になってくる。

ちょうど以下の記事でもそのようなことを聞いた。

私は、労働人口が減っても、生産性は下がらないと考えています。それはAIなどのテクノロジーによって生産性を上げられると考えているからです。

»メルカリの組織は達成型?ティール型?これからの社会における組織開発とは – メルミライ – 未来を見るメディア

これを考えるに、おもいあたるのが「価値(お金)というものの源泉はどこか」という問である。

つまり、あなたがコンビニで働いた時に得られる時給1000円は、どこからくるのか?というものである。まず、明確なのはそのコンビニの売上の販管費という考え方である。いわば、安くものを仕入れて、高く売る。その差分がコンビニの粗利であり、この「高く売る」ための仕組みを成り立たせるのが、コンビニの立地であったり、売る人である。

これは理解できる。しかし、そうした場合、そのコンビニのものを買った人のお金はどこからくるのか?たいていは給料だろう。では、給料はどこからくるのか。給料は各産業の売上の販管費として存在する。

このようにしてお金は循環する。しかし、仮に世の中の人の給料が1/10になった場合は、どうなるか。倒産する会社はでてくるだろう。飲食店には人が入らなくなるし、エンタメにお金を使う人も減るかもしれない。人は最低限、生きるためのことだけにお金を使う。そこで削減されるのは、いわば経済の「付加価値」であって、価値の根源的な源泉ではない可能性が高い。

そういう時に最後に残るのは「衣食住」といわれるように人間がいきるのに欠かせない産業となる。「食べるもの」「きるもの」「すむところ」。特に食べ物が最後に残るだろう。裸でもいきていける。家がなくてもいきていける。しかし、食料は食べないといきることができない。

そう考えた場合、価値の源泉は「食べ物をつくる、とる、運ぶ、整理する」といった産業になるのではないか、という仮説にいきつく。

価値の食物連鎖で考えた場合、「食産業」が一番上にきて「着るもの」「住むところ」がある。これがいきるのに必要な産業であり、ベーシックインカムの対象となる分野である。あるいは「治安維持」に関するものも命にかかわるものなので必要になってくる。あるいは医療も必要なものかもしれない。その下に、本能に近い「性産業」などもくるかもしれない。そして、それ以外は、基本的に付加価値のビジネスとも整理できる。ゆえに、極端にいえば、この産業は0になっても、人類はいきていける。この産業がAiやロボティクスで効率化されれば、確かに、「ベーシックインカムはテクノロジーによって担保される=働かなくてもいきていける」という世界は成り立つ。

そう考えた場合、この「なくても人はいきていけるけど、あると便利だからなりたっている産業」は、まさに「働きたい人が、自己実現のために働く産業」になるのかもしれない。

そんなことを昨今の移民の議論などをみていておもいましたー

意思決定してきた数

最近、「経営陣(VPとか)」に求められる要素は(それがなんであれ)、どのように得ることができるかという話を聞いて。

1つは「意思決定してきた数ではないか」というものがあった。

つまり、いままで数多くの失敗、成功の意思決定をしてきたので、「どういうところに気をつけないといけないか」といったマイナス面のヘッジもできるし、また「これだとこういう着地するだろうな」と予測もできる。

そのようなものは経験を経ないとわからないものである。もちろん本を読んだり、人から話を聞いて、様々なサンプルデータを集めることはできるが、ただ、その意思決定には、ありとあらゆる要素が関係してくるので、そう簡単には定理化できない。

その意思決定自体がどのようなものか、それの環境、それに関連する人、それの意思決定の責任者、市場環境などなど、主要なものだけでも10以上、細かいのも入れれば、数百、数千ものパラメーターが存在するだろう。ゆえに、「勝ちパターン」は出しにくい。特に会社によってカルチャーや関係者が異なれば、勝ちパターンが変わることもかなり多い。

Googleの方法が日本の大企業には当てはまらないのと同じで。

昔「なぜ、日本は年功序列で、年齢が上にいく人が給料があがるのだろう」と思っていた。1つは、年齢があがるごとにスキルが身につくからだと思っていた。ただ、この世の中では、必ずしも経験とスキルが比例するわけではない。役職者になるからという道理もあるが、役職者でないパターンもあるだろう。

そう考えた時、「意思決定の数が、その人のアウトプットの精度を高める」という前提があれば、年功序列も納得がいく。年齢が上(=経験が多い)の方が、意思決定の数は多いことが多いからだ。

ゆえに、数多の本では、「権限委譲をしろ」「失敗をさせることも糧」といわれているのは、こういうモデルがあるからかな。ちなみに、最近、ユニクロの柳井さんの以下のような言葉を聞いた。

「部下が提案した案が、自分の思いついた案よりも少しだけ悪いくらいならば、部下の案を採用せよ」と。これはマネージメントの意味合いでもあるし、あるいは、「自分の案を絶対基準にしない」という効用もあると思われる。そして、その不確実な部分こそが組織としてスケールする伸びしろになるのかも。Amazonの「disagree and Commit」の方針にも近い部分もあるかもしれない。