10時頃、シャワーを浴びに自宅へ戻る。
もう日差しは強く、初夏なのか「少し弱い夏」なのかどちらかわからない。梅雨だというけれど、いつも梅雨の間は雨に参りながらも、梅雨が終わると雨の日々は忘れている。「のど元過ぎれば」というけれど、それは、人間が生得的に備えている「ポジティングシンキング」の表れなんじゃないかな、と思う。
シャワーを浴びると、思考回路は仕事から日常に切り替わる気がする。「ああ整髪料かっておかなくちゃ」とか「クリーニングにいかなきゃ」なんてことがぽんぽんと頭をよぎる。誰だったか、一番アイデアが出るのはシャワーを浴びている時だ、と言っていたような気がする。シャワーとは、頭の何かを切り替えるスイッチの役目を果たすのかも、なんてことを考える。
部屋を出て、クリーニングにシャツを預ける。いつもと変わらぬ婦人といつもと変わらぬクリーニング代に心ばかし安心しながら、店を出ると一風が私を撫でる。
熱い日差しの中の一陣の風。その風が、とても気持ち良く、ああ、幸せだな、と思った。昨今話題の村上春樹は、このようなことを「小確幸」といった言葉で呼んだ気がするが、このような話はなんらめずらしいこともなく、つまり、「日常の幸せ」というものは、時に社会はフォーカスする。
たとえば、いつもと変わらぬ朝のコーヒーの匂いや、あるいは寝る前のちょっとした読書、はたまた毎年変わらず来る特定の誰かからの年賀状だったり。そのような小さな日常のようなものを、人は抱えていきる。ただ、日常という定義上、それは普段は忘れ去られ、戸棚の奥にしまわれる。
だからこそ、たまにそれらのありがたみに気づき、人は「ああ、日常って良いわね」と独りごちる。普段からそれらに感謝し続けるほど人は時間に余裕があるわけではないし,日常も普段からそんなに感謝されても困るだろう。
アフリカでの日々を思い出す。そこでは日々がそこそこ愉快なサバイバルだった。戦場という意味ではないにせよ、なんだか全てが大変だった。言葉はフランス語だから買い物の計算が大変だし、電車はどこから乗らなくちゃいけないのか知らないし、そもそもやたら暑いし、お子様はおねだりをねだるし、そもそも移動ばかりで身体ぐだぐだなのに宿が見つからないし、そもそも夜になるとデスマッチ開始だから熱があっても油断できないし。まぁ、いずれにせよinterestingとう意味では楽しい日々だった。しかし、その時に欲したのは、何も変わらぬ日常だった。土曜日の多摩川のランニングと近所のスーパーへのエビの買い出し。そして、少しクタビレタ布団と蚊取り線香の匂い、のような。
受験の頃は「トーストと朝読む新聞」で、小学校の頃は「世界不思議発見」で、新卒の頃は「金曜日の夜更かし」で、なんだか、そのフェーズにあった「日常と呼ばれるべきもの」が、何かしらの礎になっていたし、あるいはよりどころとなっていたし、今となっては、tinyだけどcuteな思い出になるわけで。
日常ってのは、あんがいあなどれがたし、と思うわけです。
「雑記」カテゴリーアーカイブ
音楽って凄いなぁ、と。
いやね、昔は、音楽の価値を、いまほどは判っていなかったように思う。つまり音楽とは「良い音楽を聴いてるんるん」というような位置づけだった。しかし、やはり当然、音楽はこれほどまでも世界に愛されていることからもわかるように、価値というのはそれだけではない。太古の原始のリズムである太鼓が戦場を鼓舞したように音楽とは時に、カンフル剤となり、鎮静剤となり、あるいは癒しとなり、潤しとなる。つまり、薬や食事のように人のバイオリズムに非常に影響を与えるもので。その点では一種の点滴やアロマ、カラーなどと似た力を持つような気もするわけです。最近、アロマの力の話を聞いたけど、こういうのもやはり強い力を持っているんだろうね、蛇足だけど。そして、もちろん音楽の効用というものはそれだけに止まらず。たとえば、共通言語という価値や文化の表象というカルチュラルスタディーズ的側面、あるいはイデオロギーの発露としてのプロパガンダ的存在。そのような何かしらを象徴するもの(スプートニクの恋人を思い出す単語だけれども)になりうる。つまり言語であり、イコンであり、メタファーとなる。または、時に音楽は道具となる。芝公園をランニング中のスタミナを搾り取るようなロックであり、夜景とワインと男女の沙汰に彩りを添えるジャズであり、ベルリンの壁の崩れを人の心に刻み込むクラシックであり。そう考えると、時に人は食事のお店を吟味するけれども、それと同様に音楽も吟味して良いのではないか、とふと思って。もちろん専門職の人や造形が深い人はそうしているのはわかるのだけれども(DJ含め、クリエイターの方々とか)、それをうまく共有する場がないのが問題なのかな。たとえば自分が効いている音楽をうまく共有する手法とか。もちろんツールでいえば、Last.fmやiTunesなど色々あるわけだけど、たとえば、それで人と会っている時に共有する手段ってなかなか難しいよね。Zuneだかなんだかがそういうことに挑戦しようとしていた記憶もあるけど嘘かもしれない。ただ、ドライブ中や自宅なんかでは、そのような場はあるけど、もう少しあってもしかるべきなのではないかと。といいながら考えたけど、うそかも。iPhoneもっていってBARでお酒を飲んでいる時に自分のチョイス音楽をこっそり流してたらウツケ者もいいところだ。一周回ってきてアリなのかもしれないけど、あまりにもリスクとりすぎぞえ、と思うわけだ。いやね、雨だからかもしれないけど、ふとした瞬間に気がゆるみそうな時は、iTunesから爆音をかけると意識が覚醒するなぁ、とふと思ったんだけどね。そういえば過去の職場で夜中2時だか3時だかにも欠かせなかったのは音楽だったなぁ。もちろん睡魔に打ち勝つ意味で、ということだけど。そういや、「人の好きな音楽」ってあんまり知らないね。いや、そりゃこだわり強い人は「この人は○○好きなんだ」とかわかるけど(ハードロックとかヘビメタとかパンチ聞いているジャンルに造形に深い人に多いように思うが)、他だと、たとえば「ボサノバっぽい」「ハウスっぽい」みたいな謎の抽象的な好み「っぽい」くらいの認識しかないような世界ではなかろうか、とも思うけど気のせいかもしれないし、なんだっていいや。よきにはからってください。
トイレのスリッパが外にあったよ
タイトルには何も意味がない。というか、なんかのメモでこういう単語を今日見かけて、私が自分宛に書いたメモなんだけど、何のことやらちっとも判らず、とりあえずタイトルにしてみた次第。
自分宛なのは間違いないのだが、このフレーズの文脈や背景、意図が何も思い出せない。時期的には1年以上前に書いたメモに違いない。
もしかすると、ここに書くことでピンと来る人がいるのかもしれない。不思議なものだ。いわば公開鍵と暗号鍵みたいだな。でも、僕は暗号鍵をなくしてしまったので、このキーを見ても何もピンとこない。
ちなみに、そのリストから他のフレーズを探すと「付箋したままの夢」「おれたちは女性の『高校のころの写真』を見たときのベストな回答を捜し求めている 」「本の最初で最後がわかる男 」とかがある。おそらくこの辺りは2005年~06年くらいのメモのような気もする。どれもこれも全然ピンとこない。
あ、「おれたちは女性の『高校のころの写真』を見たときのベストな回答を捜し求めている」は何かのブログの記事でみかけて、タイトルが何かの小説だか名言っぽいと思ってメモしたのかも。でも、ここからどう考えても話をふくらませるとは思えない。というか、いろいろ差し支えがありそうで、書くことのメリットを想像できない。
「付箋した夢」とか、なんかポエミーでいいじゃないですかね。こういう色々想像できるフレーズは良いと思いますね。付箋した、ということは、「ブックマークした」わけで、それの意味するのは「将来、みるためにドッグイヤーを作る」というようなニュアンスであり、今はとりあえず横にのけておく夢である、というような意図や、あるいは、何かの本で見かけた言葉に蠱惑的な思いを抱きつつも現実と向き合う月曜日の夜に付箋して、そしてもう開くことのないページにアディオスと唱えるというようなシーンも想像できます。あるいは、誰かと共有するための付箋なのかもしれない。付箋とは時に自分のものではなく、他人のための存在なのかもしれない。本に付箋を貼ってプレゼントするとか小粋でいいかもしれないですね。
「本の最初で最後がわかる男 」というのも、なかなか創造性を刺激するタイトル。多分、その人は、たくさん本を読んでいるんだろうね。あるいは、まったく読まないのかもしれない。なぜなら最初よんだだけで全部わかっちゃうから読まない。でも、それが当たっているかどうかはどう判別するのだろう。推理小説だったら、犯人を推理してあたっているかどうかは、最後から5ページくらい見ればわかるけど、ドラマや恋愛、ミステリーだと、なぜ最後がわかるのかは、なかなかロジカルには説明しにくい。あ、わかった。多分、彼は、最初を読んだだけで、最後までの話を想像するのだ。そして、彼にとっては、それが読書である。最後がどうであるとか、実際の物語がどうであるとかは関係ないのだろう。そして、彼にとっては最初の数ページを読むために本を買う。あるいは、最初の数ページのために本を吟味する。だから立ち読みなんてしない。彼は装丁で本を選ぶのだ。あるいはタイトル買い。ジャケ買いよりは少し地味なセンスかもしれない。多分、「名詞+助詞+名詞」のタイトルよりは「名詞」一語か「名詞+形容動詞」といった座りの悪いようないいようなイマイチよくわからないタイトルが好きなのだろう。「7月24日通り」とか「日曜日なんか大嫌い」とか。なんかニヒルな感じの。あるいあhクラフト・エヴィング商會みたいな世の中をなめた名前に惹かれるのかもしれない。そして、ズッキーニとトマトのアペタイザーがあたかもメインディッシュであるかのように、それを丁寧に食べて、本を置くのかもしれない。
いずれにせよ、タイトルのフレーズは、これっぽっちもよくわからない。誰かに言われたのか、思いついたのか、何か気づいたのかもわからない。ただ、なんだか外にあるトイレのスリッパってのは、便利な言葉で言えば、何かしら情緒がある存在である。
息抜きメモ
※こないだ「モーニングトーク (いけいけどんどん)」という記事を書いた後で、思いつきで書いた記事だけど、いまいちメッセージが何かわからんので、非公開していた記事ですが、リサイクルのトレンドを踏まえて公開。
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多分、(中略)で。
でも、たまに一般的に言うところの「肩が凝る」というか、「ふぅ」という瞬間があって。そういう時に人は息抜きやストレス解消をする。
カラオケに行くという人もいれば、おいしいものを食べるという人もいるだろう。周りでは、走るという人やデート行くという話も聞く。他にも音楽や映画、読書、漫画、ドライブ、料理、睡眠など人はそれなりの自分にあったやり方で「息を抜く」。それを人は年を取ったというのかもしれないけれど。少なくともそういえば高校生くらいまでは息抜きという概念が人生になかった気がする。ともあれ。
村上春樹は「澱がたまる」と表現し、ある人は「毒素がたまる」と言った。
親友や恋人、肉親であれ、その人たちの独自の息抜きをみていて、それは本当に多様だなぁ、と思った。足ががくがくになるまで走り続けたり、海外の連ドラをカウチポテトで見てみたり、お風呂に長時間使って本を読んでみたり、ひたすら朝まで寝てみたり、どろどろになったり酔って二日酔いに酔いしれたり、あるいは、ボブディランを聞いてみたり、焼き肉を食べてみたり。そうして、人々は世の中と「帳尻をあわせて」生きていく。
自分自身は何だろうか?と考えると、手軽な形(5分から30分での息抜き)では、やはりメディアを利用することが多い気がする。
たとえば以下のように本を読んだり
» 2008年の12冊 (いけいけどんどん)
細切れで映画を観たり(よく早送りで見ていた)、
» 涙腺を亀甲縛りにする青春映画12本 (いけいけどんどん)
文章みたり、
» 泣けるコピペ (いけいけどんどん)
ニコ動やYouTubeなどの動画を見たり
» 個人的に好きな動画をいくつか (いけいけどんどん)
音楽を聴いたり(itunesでは92ギガ入ってた)
写真を見たり
» モーニングトーク (いけいけどんどん)
» イミフwwwうはwwwwおkwwww 神秘的な画像集めようぜ
» イミフwwwうはwwwwおkwwww 壮大な画像くれ
» 【339枚】美しすぎて即壁紙決定な画像 カナ速
» 無題のドキュメント 男なら街の夕焼けとか夜景の壁紙好きだよな?
» a picture is worth a thousand words
» Flickr: The Views: 400 Pool
特に以下のような写真には弱い
» VIPワイドガイド:夏とか少年のころような切なくなるような画像
» 大切な何かを思い出しそうな画像をくれ カナ速
あと最近はゲームの価値を見直して、iPhoneアプリや携帯ゲームをたまにチェックする。人から進められたので記憶に残っているのだと(ビジネスとして知っておくべき含む)のだとGREEの釣りスタやモバゲーのクイズゲーム、iPHoneのTapTapやパズループ、携帯アプリの太鼓の達人や街作り関係ゲームなどなど。
マンガとしては昔はよく読んでいたけど、社会人になって話が出たものだと、こないだはサンクチュアリの価値を改めて亮と共感。あと起業先輩とかからは島耕作。友人とは高橋ツトム。エヴァ、ガンダム、ジョジョはネットの素養として重要だなぁ、と改めて痛感する次第。
いや、何が言いたいかというと、文化、ないしはメディアってやはり素晴らしいですね まる
BGMと事件
ある日、目が覚めたらどこからか曲が流れてきた。夏の日の子供だったら、ラジオ体操を思い出すのだろうし、あるいは、村上春樹なら「遠い太鼓」を思い出すのかもしれない。しかし、その時に聞こえてきたのは、ランバダのような、レゲトンのような、MCATのような、ワルツのような、総じて言えば、全く何の曲かわからないメロディが流れてきた。その曲を耳にしながら、ぼんやりとした意識を、意識上に引きずり出す。今、自分はそもそもどこなのか?今何時なのか。強い日差しが眩しくてうまく目が開けられない。肌が汗ばんで、シーツが濡れている。そこでシーツがあることに気づき、自分がいわゆるところのベッドの上で横たわっているのに気づく。曲はテンポが代わり、またかろやかに流れ出した。シャッフルリピートだ、とどうでも良いことをつぶやく。リピートということは自分はこの曲がリピートされたことを知っているわけで。いずれにせよ、二日酔いに準じたこの頭痛がどこかにいってくれないことには、なんとも思考をまとめることができない。朝、起きたら知らない場所にいた。そんな小説がどこかにあったな、と思い出す。岡島二人だったか、宮部みゆきだったか。あるいは、そのような小説をいつしか憧れていたけれど、日常において、気づけば自分の知らないところにいたなんてことはめったになくて。もちろんお酒をよく飲む人はそんな経験よくしているのかもしれないのだけれど、お酒の飲めない自分はそんなことはあまりなくて。いずれにせよ強い日差しとiPodだかiPhoneだかからのテンポのよいメロディのマッチが何かしら心地よく頭痛のつらさも相まってそのまま目を閉じてふとつぶやく。事件とは日常の延長にあるのではなく、日常の相対性の中にあるのだ、と。
5分32秒(今日はニシヤンに2タンゴ教えて!と聞いたら、BGMと事件というタンゴが帰ってきましたとさ。タンゴ!)
モーニングトーク
英語で言うところの「got stunned」というようなインパクトを受けた写真。日本語ではイマイチ適切な言葉が分からないのだけど。息をのむとか?
それが以下の写真。
写真は以下のブログより。「Love」に関する写真を扱ったブログ。とても美しい限り(自分自身、過去に似た試みをしていた気もするけど。Loveじゃないが)。
» Le Love: morning talks
その中でも上記の写真の1枚はことさら感銘を受けた。不格好な適切でない例えで言うならばキャパのこれくらいの衝撃だった。昔からカメラマンというのはハンターというか狩人だと思っていて。瞬間に、狙ったものを射貫くところが。まぁ写真談義はいいや。
この写真のどこにそんなインパクトがあったかの説明は省くとしても、やはり、同じようにこの写真にインパクトを受けた人はいるらしくコメント欄では、妙味あるコメントが重なっている。いくつか紹介しようと思ってピックアップしたけど、なんか野暮だし恥ずかしくなったのでやめる。ただ女性のコメントが多かった。
タイトルは「morning talk」。なんとも味のあるタイトル。
泣けるコピペ
省エネエントリ。
たまに週末にみて泣けてます。2ちゃんねるのこの創造性は凄いなぁ、と思いマスです。
» ベア速 涙がでちゃうコピペ
以下いくつか抜粋
■恋人系
どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月…
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。
嫁は妊娠中。もうすぐ八か月。
西日の部屋で、ソファに座ってお腹を撫でてる嫁を見てたら、なんとなく言いたくなって
後ろから抱き締めて「愛してる」って言った。
ただ、俺の嫁、ろう者なのね。なんも聞こえないの。わかんないの。わかんないはずなの。
でも、嫁、振り返って手話で
《わたしも》
って言ってくれた。俺、明日もがんばれるわ。
■その他
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした
阪神大震災後のはなし
当時オレはあるファミレスの店員をしていて、
震災後、ボランティアでバイキングのみのメニューを無料で提供する事になった
開店と同時に満席になって席待ちの列、繁忙期以上の忙しさだった
お客さんの中には着の身着のままで来る人がいて、
他のお客さんが「自分は家が残っているし、帰れば着る物がある」と言って
上着を差し出す光景を時折目にして、目頭が熱くなったのを覚えている昼を過ぎた頃、待ち列の中にやたら身奇麗でアクセをジャラジャラ付けた若い男女二組がいた
彼等は使い捨てカメラで撮影してはギャーギャー騒いでいた
さらに彼等は皆が我慢して並んでいる中、「はやく席に案内してよ」と文句を言うばかりか、
「席に着いたら、即ビール4つね」「わたしパフェたべたーいw」とワガママ放題
見るに見かねてケンカ覚悟で退店願おうとしたその時、
一人の御老人が「あんたら、観光に来たのなら、頼むから帰ってくれないか!」
と涙ながらに訴えた
すると彼等は「カンケーないよw」「ナニか言ってるーw」とケラケラ笑って茶化すだけ
さすがに頭に来たオレが「申し訳ないですが、出て行ってもらえますか?」
と啖呵をきった瞬間、オレの肩をポンと叩いて前に割って入る男性がいた
男性は腕まくりをして見事な刺青を見せ付け、傍若無人な若者たちの前に立つと
「オイ、にいちゃんら はよおうちに帰って、テレビでも見とかんかい!」と一喝
彼等は黙ってスゴスゴと、埃一つ付いてない国産高級車で帰っていったその後、ヤのつくヒトであろう男性は帰り際、
「店員さんはケンカしちゃいかんよ、そういうのはワシらの仕事やからw」
「食事ありがとう、おいしかったよ」と言って店を後にした
その時の男性の埃まみれのパンチパーマにヒビの入ったサングラス、
少し足を引きずって歩いて帰っていく姿が印象的だった
■おかん系
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた
これも有名
» pya! 「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?
■
» 無題のドキュメント 感動コピペで泣いたらちんちんどっかん
■ビジネス
そのときの部長はすっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。
飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、
良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。
あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。それから1週間後、部長の最後の出勤日。
退社のセレモニーが終わるとみんなそそくさと帰って行ったが
部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。
送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。
しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。
俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。
原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。
話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。
ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。
横に添えられたメモにはこう書いてあった。「これぐらいはいただいても良いはずだ」
俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。
■いい話
劇場の喫煙所にて。
俺がボーっと煙草吸ってたら、後から来たおっちゃんが
「アレ?アレ?」という感じでライターを探してた。
お、これはいい事をするチャーンス!と思い、
このスレで学んだように、自然に、さりげなく・・・を意識しながら
自分のライターを差し出した。
しかし。
おっちゃんの手には、やっと見つかったらしい
高級そうなライターが既に握られていた。うわ百円ライターなんて出しちゃって俺ってばもう!
と慌てて手を引っ込めようとしたら、
「有難う、確かあった筈なんだけどなぁ」とか誤魔化しながら
俺のライター使ってくれた。
こっちが有難うだよ、おっちゃん。
あとこれいつみてもなく
» ある騒動の記録
他、有名コピペ
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果たされた約束
約束に関する名言でこのようなものがある(うろ覚えで書いています)。
1.一度約束をしたら、その約束は何が何でも守らなければいけない。
2.そんな約束はしないこと
と、これはジョークですが、まぁ、生きていると色々約束をする場面が出てくる。そりゃビジネス面であればいくらでもあるし、プライベートでも。
たとえば
「温泉でも行こうなんて いつも話している 落ちついたら仲間で行こうなんて でも」
cf WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント~ H Jungle with t 歌詞情報 – goo 音楽
というような。
「今度飯いこうよ」「うん、落ち着いたらまたね」というような、処世術のような、あるいはリップサービスのような21世紀。ないし20世紀の翌世紀。持ち越し。
もちろん、それらは約束ではないのだけど、無期限の口約束は結局のところ、それが果たされぬ故に尊いのか、あるいは、恒久たる約束ゆえに尊いのかわからないけれど、まぁ、そのように私たちは日々を生きる。
そう。で、約束は、いつか果たされることもある。そんな口約束でも。期限を切っていないという裏書きのない手形のようなものでも。
この間、4年以上前にした、約束が実現された。
ちょっとしたウナギ屋さんだった。その4年前にどのような経緯で約束をしてもらったのか憶えていない。ただ、メッセで「この近所にこのようなおいしい鰻屋あるんだけど知ってる?今度、いこう」というような話が駆け抜けた4年以上前の冬。
そして、時は流れ、紆余曲折があり、そしてきっかり年をとり、回り回って、その約束が果たされた(後日談もあるのだけど、それはまた別の話)。
ただそれだけの話。
でも、このようにいつか偶然、叶う約束ならば、そういう約束もいいな、と思った。
何が人の心に残るのか
ちょとした調べ物をしていて、たまたま、とあるドラマに行き当たった。
ライツ関係あれなので、リンクは張りませんが某Tubeで。
なんのドラマかというと東京ラブストーリー。何かのランキングで「もう1度みたいドラマ」の1位に選ばれていたような。
で、これの最後10分くらいだけ再読したのだけど、やはり素晴らしいですね。いや、まぁそりゃ小田氏のBGMも凄いし、いろんな意味で鈴木氏も懐かしいからぐっとくるという要素はあるものの、やはりこの最後のストーリの切なさがなんというか、インパクトある。
※というか、自分の思春期と重なっていたから印象深いという可能性もありますが・・・。
で、最後は悲しい終わり方なのですが、だからこそ、なんというか、なんとも言いしれようのない感情が残るのが、ずっと人の心に残るのではないかと。
他に悲劇周りのドラマを思い出してみると、ノジマ先生の「高校教師」、あるいは「未成年」、あ、ドラマあんまり見ないのでそれしか出ないな。ひとつ屋根の下とかはハッピーエンドか。むー。ドラマ24の1の最後とかそれじゃね。
他、映画だとやはりタイタニックがそれに該当するのではなかろうか。戦場のピアニストとか、パーフェクトワールドもそうか。頭の中の消しゴムは悲劇とはいえんかね。「今あいにいきます」も一応悲劇かなー。
それ以外でも、シェークスピアの悲劇4部作だとか、ファイナルファンタジー10、サンクチュアリだとかも悲劇といえば悲劇か(怪しいけど)。漫画の悲劇ってあんまり思い浮かばないな。
小説だと何だろうか。Xの悲劇は悲劇だけど悲劇じゃないし(今更ですが、これは必読小説かと!)。もう大分忘れたけど、東野さんの「秘密」は悲劇だったような気が。違う?伊坂さんの「アヒルと鴨のコインロッカー」も最後は大変ぎみだった気が。あと、アルジャーノンも?浅田次郎は悲劇は多いけど、悲劇じゃなく見せてるからなぁ。
ということで、悲劇の物語はそれほど数は多くないものの、インパクトのあるものが多い気がする。
この救われない感がいいのだろうか。それだと人類の過半数はマゾヒストということなのか。うーむ、それとも自分で解釈しようとするから(むりくりハッピーに)、それが印象に残っているのだろうか。
で、ふとそれをネットに応用しようと考えてしまう職業病だが、「あなたの悲劇教えて下さい!」というようなウェブサイトだったら、2chにありそうだ。とりあえず悲壮感ただようサイトになります。リグレットが少し近いのか。
悲しいことは人の共感を呼ぶからか。たしかに自慢されると人は抵抗(心理的に)したり、あるいは自分がハッピーでない時は、ハッピーな物語を読むと、よけいストレスたまるのかもしれない。
人は人を見て不幸を定義づけるのかしら。せちがらい生き物ですね。
あ、あと最近では、改めてMattの新しいのみたけど余裕で涙した。
これにぐっとくる人とこない人がいると思うのだけど、僕はこのような群像劇に弱いので(元気玉とか)、やられるのだ。最初のバージョンよりも大分パンチ力が増加している。最近はカードのCMにも出てたとか?
Visa(こっちは教えてもろた)
でちょっと調べたんだけど、これVisaだけじゃなくて、Yahoo!を筆頭として大分、企業とコラボしているんですね。こんなビジネスがありえるのか。凄い世界だ。
» あのWhere the hell is Matt?がVisaカードのCMに登場しちゃてるぜぃ。 | 広告大臣
あとMattのプレゼンもあった。2000人以上の人と世界中で踊ったらしいが、どうやったのかという話。ユニークなイラストのプレゼン資料がいい(子供にはお金やったらあかん。先生にやるんだ!とか)。
» YouTube – How the Hell Did Matt Get People to Dance With Him?
とまれ、悲劇でも喜劇でもないのに泣かせるというのは、本当に素晴らしいなぁ。
昨今、エモーショナルマーケティングだとか、感性のUI云々とかよくみるし、今日もロボットの人から感性工学(感情と技術の融合)とかも聞いて、ふむふむとか思っていたのだけど、こういう感性に訴えかけるのは、一様でない点が、それの妙味たる妙味というか。
以前、なんかの本だかで「セザンヌのリンゴを生でみて、号泣した」という話を読んで、期待しながらロンドンでセザンヌをみたのだけど、それは私が未熟でぐっとこなかった。
ただ、似たような話では、初めてミュージカルをみた時にストーリー云々でなく最高傑作の踊りというものに涙した憶えがある。自分でもびっくりしたけど(ハッピーな物語だったから)。
そういえば、自社の話になるのだけど、べにぢょがメインでやってくれているサイト「パンドラ」も、一部から評価を頂いており嬉しい。「こういう感性で繋がるサイトというのは増えてくるのでしょうか?」と取材みたいなされた。そういえば、である。
ふーむ。感性感性。奥が深いなぁ。
最近、みなさんは何に心動かされましたか?というようなフレーズをふと口にしてみる今日この頃。そして、自分のソーシャルブックマークの「いい話」タグから、以下あたりを抜粋しておき筆をおく。
» 10年後の素敵なエンディング
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» この前妻に先立たれたんですよ コピペ新聞
» On Off and Beyond: 書評:How Starbucks Saved My Life(全米が泣いた!)
東京タワーが好きな理由は
どうして東京タワーのことが好きなの?と聞かれたことがある。
どうしてだろう、と考える。理由はいくらでも思いつくし、あるいは東京タワーにとって160個以上の展望シーンを述べることだってできる。
でも、本当に東京タワーが好きな理由を一言でのべよ、と言われると言葉に窮してしまうかもしれない。エレベーターピッチで事業内容を述べることができても、あるいは時にイスラエルに入国する目的を答えられたとしても、もっと平易なはずの東京タワーを好きな理由は、色々悩んでしまうかもしれない。
それとの出会いは2004年の頃に話はさかのぼる。大学2年生から3年生になるころで、海外旅行から帰ってきたころ。大学が近かったということもあるけれど、なぜか東京タワーが好きで、東京タワーの近くに部屋を借りた。走りながら見る東京タワーはとても綺麗で、いくら走っても飽きなかった。そして今でも飽きることはない。
マンションから見上げる東京タワーは美しく、さながら東京タワーに住んでいるような気分、とジョジョの鉄塔に住むスタンドを思い出した。今のオフィスからだって東京タワーは見える。夜中に左手にヒルズ、右手にタワーを見上げると、もはやタワーの良さはすべて込みな世界で、そこに理由を改めて問うても、何かしらの強い求心力がなせるわざ?と冬のジョナサンで考える。
赤いタワーは時を彩る。魚銀行からの景色ではピンク色のタワーとピンク色のクリームが調和するし、あまおうが彩るタワーの景色はビターな質問と混ざり合い綺麗な音色を奏でる。
いつかどこかでみた花火と同じ感慨を東京タワーは思い浮かばせる。タワーの光が持つはかなさと花火が持つ短命なる情緒は、その淡い時間が持つ限られた時間ゆえにその美しさを増すこととなる。さながら蝋燭が持つ陰影がその蝋燭を見る者の心を反映するように。
もしかするとエッフェル塔やドバイタワーでさえも、その東京タワーの魅力を持つのかもしれない。しかし、それでも東京タワーが持つ魅力は相対的や類似的なものではなく絶対的なもので。同時に東京タワーは夜にこそ光の美しさを表すもので、時にはその闇が欠かせないのかもしれない。
これらを全部ひっくるめて東京タワーが好きな理由なのかもしれないけれど、とても一言で表せそうにないのは間違いない。