雑記」カテゴリーアーカイブ

(業務連絡的)コメント欄のお詫びとコメント考

いや失礼!
頂いていた10件以上のコメントがスパムフィルターにかかってた!ずっと気付かなかった。ごめんなさい。
さっき自分でコメントして反映されないのでチェックしてたら、えらいことになっていた。ご迷惑おかけしました。全部スパムから開放して、レスさせて頂きましたで候。
ブログリニューアルしてから、うまくいかんなぁ。とりあえずフィルターのハードルを下げた。一般的なコメントは全てOKになっているはず。しょうがないからちょっとこれからプラグインでも入れよう(自分用メモ)。
話変わるけど、ブログって、やってて手ごたえが意外とないんだよね。そりゃトラックバックもらえば解かるけど、こういう私事ばっかりかいてりゃTBはレアで。
アクセス解析すれば、ある程度の人の動きは見えるけど、それってば匿名の人々で。
そう考えるとコメントって、ブログやってて、唯一、コミュニケーションが取れる場な気がする。長くブログしてはる人は共感してくれると思うけど。コメントってとても嬉しいよね?それだけが、やっぱりある程度の、反応を見れる、みたいな。
SNSに比べてインターフェイスとかの問題があるしね、コメントはブログだとどうしても難しい側面があるのだけれど。なんか、もっとよいUIないのかね。ブログにおいて。
あと、オフラインでブログの話が出ることがたまーにあるので、それくらい?そう考えると、ブログって、なんだかさばくに水を上げている気分。だからコメントは荒野に咲いた一輪の花、と改めて御礼を申す次第。
コメントくださいます方、本当にありがとうございます。

【ゴミ】びっくりするくらいどうでも良いこと

ふとメッセンジャーのコンタクトリストを見ていて気付いた。

名前のイニシャルを「M」にする人がとてつもなく多いということに。いや、まぁ名前がMなケースなのだろうけど。

msg.gif

オンラインのMの人含めるとここからさらに4人+。累計18人もMの人がいるわけですよ。おかしくね?

これには何らかしら神々の紋章が刻まれているのではないかと分析。

まず「M」が何を意味するかというと、これは紛れもなくマゾですよ。すれっからしのマゾ。純度99.99%。水に沈む。

つまり、世の中にはマゾが溢れ返っているという示唆ですね。これファクト1。いわばMの歩行者天国。

次に、Mといえば、M&M。チョコレートか。いまいちだなぁ。次。

MaxのMでありMinimamのM。つまり両極端ということを示唆しているわけだな。世の中の女性はすべからく両面を持っていると。それがS極でありM極であり、世の中は須らくマグネットであると。

他、どんなファインディングがありますかね。

昔、聴いたはなしで、「浮気するなら、相手の呼び名は名前で呼ぶのではなく、一定の呼称で呼べ」というアドバイスを誰かに聞いたことがある。つまり、まぁ相手の名前を呼び間違えても良いようになんだろうね。かなりどうでも良い話だけど、

で、何がいいたいかというと、このMは「My○○」の略称なのではないかと。つまり、「MySweetie」とか「MyLove」とか「MrGentle」とか。なんか、そういうニックネーム。それにより、浮気のミスリーディングによるアービットラージを仕掛けているに違いない。謎

もうびっくりするくらいどうでもいいことを書いてしまった。自分で呆れる。

ラブソングとブルーハーツ

p>ちょいとブルーハーツを改めて聴く機会があって。

で、「リンダリンダ」で思い出したのが、「代表的ラブソング」って何だろう、てなことをふと考えた。

で、選曲基準は同世代の人が「10人中8~9人が知っている曲」という縛りで考えてみた。で、まぁベタベタな曲ってことだけど。あと邦楽。で男性がうたってるやつ。

そうすると「いとしのエリー」もまぁ外せないだろう。レイチャールズがカバーするくらいだから許してあげてください。

で、あとは難しいなぁ、とか思った。てか、リンダとエリーと名前で選んだっていうのもあり。結婚式で歌われる曲として考えると、フジイフミヤのTRUE LOVEが手堅いところか。でも個人的にあんまり知らないのでパス。

で、ああ、売れた曲で言えば尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」も記録的なヒットだった気がする。あと、有名どころで言えば、ミスターチルドさんか。ラブソングって何だったんだろう?個人的な記憶で言えばやはり「CROSS ROAD」か。

他にも色々ありそうやけどなぁ。Bzとか?でもBzの唄あんまりしらんからなぁ。小町エンジェルうんぬんかんぬん?知らないのでパス。あと1曲くらい出したいところ。んーんーんー。あースピッツとか?わからんなぁでもどれが良いラブソングなのか。あの時代って他に誰いたかなぁ。しゃらんきゅーとか?でも謎だなぁ。なんかあった気がするけど、思い出せないなぁ。んーんーんーんー。まぁいいや。以上。

リンダリンダ:ブルーハーツ
サザンオールスターズ:いとしのエリー
尾崎豊:OH MY LITTLE GIRL
MrChildren:CROSS ROAD

で、ブルーハーツをちょっと調べていた。

で、下記エピソードに笑った。

THE BLUE HEARTS – Wikipedia

司会の古舘伊知郎から「インディーズから突然メジャーになった心境は?」の問いに、「インド人のことはあんまりわかんないです」と適当に答えるヒロト。

ブルーハーツ最近、人気復活しているみたいね。で、たまーに話に出るのがブルーハーツのベストは何か?というまぁ誰も傷つかない四方山話。TRAIN=TRAINは根強い人気。他に挙がるのは女性だったら「キスしてほしい」がよく出る気がする。あと、満遍なく人気なのはやはり「情熱のバラ」「終わらない歌」「人にやさしく」とか?マニアックで「僕の右手」。

#今日、スピードブログってのを個人的に試していたのだけどやっぱり1エントリー頑張っても20分くらいはかかるなぁ。書きたいのが色々あるのだけれどもごもご。まぁでも大分かけたから良しとしよう。

まつりごと

遠藤ちひろ御大が多摩の明日を考えておられますよ。

まさにいざ鎌倉。いざ出陣。テンションあがるなぁ。

こちら。

多摩の明日を考える会 遠藤ちひろ –official website–

ボランティアも募集しているそうなので、熱意ある方はいかがでしょうか。氏と絡むと常に面白いことが待ち受けてますので。

いやー、色々と思い出しますなぁ。下記完全にうちわネタ(まずかったらあとで削除しよう・・)

最初にお会いしたのが早稲田の学園祭。2002年くらいだっけ?大学2年の時だな。ぎしんの紹介だったっけ。超テンション高い人だなぁ、と思っていた記憶が。そして、偶然、朝まで生テレビの収録時に再会。その時に亮とぺぺと初めて会う。ファミレスで朝5時だかの生ビールは答えた記憶があるなぁ。で、xtady関連でも色々お世話になり。あと、浅科の市長選。民法の試験の最中で大変だった記憶が。一件一件、家を回るわけですよ。チャパがやたらテンションたかかった。そのしばらく後、文美が酔っ払っているところを始めて見た記憶がある。で世界一周から帰ってきたときも、そのままちっひーの家に遊びにいったなぁ。そん時としあきと初めてあったのか!がなりの取材できたのも氏の力だしなぁ。その後、くらたまさんへのネゴはすごかった記憶があるなぁ。以下略。いやー色々影響うけたなぁ。

☆サポーターズVOICE☆  多摩の明日を考える会 遠藤ちひろ –official website–

ふと思いついて自主的に投稿してみました。

メモ書き。

メモ書き。
多分。未確認なんだけど。原田といふ生き物は、なんだかんだ「フェアネス」って奴に非常にこだわるような傾向がある。これは別段、自分を正当化しているわけでもなく、アピールしているわけでもまったくなんでもなく、単純に日ごろ、ふと、ある話を聞いていて思った。きっかけになったのはどこぞのセクハラ&パワハラの話なのだけれど。
そういう話を聞くと「なぜ女性だけがそんな不合理な仕打ちを受けるのだろう?」といきり立つことが多いわけで御座いますよ。で、「そんな奴は極刑だ極刑」とか叫んでいるのだけれど、世の中はそういうものだ、と諭されることも多いわけで。
で、思い返せば、確かにそういうセクハラされた話ってのは、けっこう聞くなぁ、と思った。パワハラとか。特に日本だと出自や人種のハラスメントとかよりも性別のハラスメント。あー、あと宗教関連か。が多いね。ただ、実はコネ入社とかの話はあまり腹がたたない。ある臨界点以下の合理性がそこにはあると思うから。やっぱり、日本のビジネスも、他の国と同じく人でやっているところも大きいから、そういうコネクションは必要なんだろうと思うわけですよ。でも、やっぱり生まれつきのもの。肌の色や性別や、身分や言葉遣いやなんかそういうので差別するってのはやっぱり、当人がどうこうできるものではないからフェアじゃないよね。あ、いま単純に構造を理解した。マイノリティという理由でネガティブな効用(人種とか)が働くものものはフェアじゃないけど、マイノリティというだけでポジティブな効用が働くもの(人脈とか)は別段許せるということか。
で、やっぱりフェアじゃないとなぜ腹がたつのか考えてみた。わかりやすいのは「フェアじゃない世界はちゃんとした競争原理が働かないから、効用が最大化されない」という資本の原理主義理論。あるいはベンサムか。ただ、これも当然一概にはいえないわけで、たとえばインドではカーストがありまして、あれってば固定だけど、それはそれで回るし、あるいは共産主義もそれはそれで理論としては素晴らしかったと思うわけですよ。結果論からすればNGだけど。だから、まぁ、フェアじゃないのは許しがたい、というか。
でも、そういうことでもないのかもなぁ。周りでそういうフェアじゃない話を良く効いていたからかなぁ。たとえば部落の話とか、同性愛者の話とか、学会の話とか、非嫡子の方の話とか、在日の方の話とかは、よく耳にする機会があって。さりとてそれは他の人より、相対的に多かったかどうかはわからないのだけど、まぁ、別にそういう「フェアじゃない話」はなんだか耳にする機会が多かった気がする。だから?わからん。
あー、あるいは、原田自身がなんかそんな差別を受けたことあるかなぁ?それが原体験になってるとか?うーん。岸和田というヤクザな街という点?それで怖がられたことはあっても、いじめられたことはないなぁ。あとなんかあるかな。AB型?あー、それはけっこう差別を受けるね。うむうむ。あとは、なんだろうなぁ。特に記憶にないなぁ。
まぁ、いいや。でも、ともかく、何かしらの結果、おそらくフェアでないことを許しがたいように思えていて。あー、特に世界を回ったときとかやっぱり痛感したもんなぁ。イスラムの人たちとかすって素晴しい人たちなのに、あるいはコケイジアンに比べて、劣っていることは何もないのに、国際社会的にはネガティブアピールされて、ちょっと「フェアじゃないんじゃない?」とか思ってみたり。まぁ、これもこんな簡単に1文で言えるものではないけれどさ。これもメカニズムがあるからしょうがないのだけれど。だってこれを叩くなら、日本のメディア構造の問題があって、それを言うなら日本の国際経済の問題があるわけで。その背景には宗教とかの問題もあるわけで、一概にそんなの言えないのだけれど、まぁ、一文で言うならば。
あー、そうだ。パレスチナに行った時も、どうしてもパレスチナの民の人を見て「フェアじゃねえ」と憤ってた思いがするなぁ。それは別段イスラエルが悪いわけではなくて、まぁアメリカが悪いわけでもなくて、国際政治の結果として存在するだけなので、あれはなんというか、加害者がいない被害者の構図とでもいうんだろうか。あー、小学校のころの虐めみたいなもの?仲間はずれになりたくないからいじめる、みたいな。そういう陰鬱とした印象を受けた記憶がある。
で、まぁ、こういう公平とかフェアネスの話を考えていると、ノルウェイの直子がまたも思い出されるわけですが。どんなセリフがあったっけ?覚えてないな。あかん話づれた。そうそう。でもセクハラは特によくないわけですよ。なぜかって?男の悪い面を言われているようで男である自分が恥ずかしいからというエゴイスティックな側面からの考察なのだけど。まぁいいか。ちょっと走り書き。まとめもオチもなし。
関連

FairPlay ForePlay (いけいけどんどん)

南アフリカのヨハネスブルグからイギリスのロンドンに向かうブリティッシュ・
エアウェイの機上でのこと。
 混んだ機内のエコノミー席で、50歳ほどの白人女性が、黒人男性の隣に座ること
になった。
 彼女は、信じられない、とばかりに憤然と立ち上がると、その場でスチュワーデス
を呼び出してこう言った。
「これはいったい何なの!」
「はい、お客さま、どういうことでしょう?」
 スチュワーデスは彼女に丁寧に聞いた。
「見ればわかるでしょ? 私を黒人の横の席にしているのよ! こんな忌まわしい人の
横に座るなんて、私は到底、承服できません。すぐにほかの席に変えてちょうだい!」
「お静かにお願いします」
 スチュワーデスはこたえた。
「ただいま席があるかどうか確かめてまいりますので」
 彼女はいったん引き、しばらくして戻ってきた。
「お客様、あいにくエコノミー席に空席がございません。機長にも相談しましたが、
ビジネスクラスにも空きはないとのことでした。ただ、ファーストクラスに一席だけ
空きがございます」
 その女性客は一瞬、安心したような顔を見せたが、スチュワーデスはそれに構わず話
を続けた。
「私どもの会社では、エコノミーのお客様にファーストクラスへお移り願うことは滅多
にいたしません。
 けれども、状況を考えますと、こんな方の隣にお客様がお座りになるということは、
言語道断であると、機長が申しております」
 そして、彼女は、おもむろに黒人の紳士の方に向き直り、こう言った。
「お客さま。というわけですので、もしよろしければ、どうかお手荷物をおまとめください。
ファーストクラスにお席をご用意してお待ちしております」
 次の瞬間、ずっとこのやりとりに心を痛めていた周りの乗客が、一斉に立ち上がり、
拍手喝采の音がそれに続いた。
 だが、黒人紳士は落ち着いた声で、こう制したという。
「お気遣いありがとう。しかし、私はこの席で結構だ。
 横に誰が座っていたところで、私の誇り高い皮膚の色が汚れてしまうとでもいうのかね」

ひきこもりDAYS

いやー、引きこもった引きこもった。
下記、ほんっとにどうでも良い独り言ばっかり書いているので、ご容赦下さい。スルーください。
この3連休は思う存分、引きこもった。ちょっと出た以外はずっと引きこもってたよ!
飯も自炊する徹底振り。麻婆豆腐、パスタ、豆腐の何かしら作った!
でも、ちゃっかり走りには行ってた。「Kids Return」のサントラ聞きながら東京タワーに集う観光客どもを蹴散らしていたよ。工事多かったのが難点。
しかし、天気の良い三連休でしたね。気持ちよかった。
こもって、GTDの鬼ですよ。GTD。ゲットシングスダーーーンですよ。これに関しては、また別でいつかエントリー書こう。とりあえずGTD で言うところの「今すぐする」タスクを洗い出したら3桁以上あって、片端からやっつけてた。あー、がんばった俺。自分を褒める。気持ちよいね。こうしてたな卸しするのは。そして本腰入れてGTDに取り組んだ。奥が深い。
直接人に会わない割には、メッセから電話からメールから携帯メールから手紙からSNSからと文明の利器に色々お世話になった気がするなぁ。ネットなかったら世界は違うかったんだろうなぁ。うん、10年前は違うかったもんなぁ。ICQだったもんなぁ(変わってない)。
あと、本屋めぐりを相変わらず。いつも下記のコンボを巡る。今回は必要な本3万円分ほど購入。とうとう本棚が破綻。
A.六本木のABC ここで写真集と小説関連を
B.六本木駅前のあおい書店 ビジネス書
C.けやき坂下のつたや 雑誌
あと貯まっていた雑誌を2桁冊読了した。スクラップが大量にできた。やはりScanSnapを買うべきか。ちょうど、新しいのが出ているんですよねぇ。
映画はいつもどおり、Discasを利用。1本の半分だけ見た。出なくて良いって素敵。雑誌も、いまや定期購読だからなぁ。どんどん引きこもっていくという罠。
あとデフラグした。これ重要。あと何したかなぁ。BeckyからThunderbirdに移行をしようとして挫折した気がする。あと WORDPRESのSitemapのプラグインを入れた。DWの8も使ってみた。あとMySQLごにょごにょ。年賀状は読むタイミングすっかり逃して、もう読むのが怖くなって(こういうことってありません?)半分ほどまだ読めてないという罠。どうしたものか。
ぜんっぜん覚えてないなぁ。とりあえずひきもってG・T・D!G・T・D!だったなぁ。
まこっちゃんじゃないけど、電子になろうかしら。

携帯メールの効用

今日、ものすごく天気よいね?
テンションあがってきた。
天気って素晴しいなぁ。
ということで今日のブログ2本目。
昨日、携帯メールをして思ったんですよ。
常々、このブログで言っているように、僕は携帯メールが苦手で。
嫌いじゃないんだけど、打ちにくい、というただ1点の理由だけで苦手なんです。
つまり、キーボードが携帯についてたら問題ないんだけど。
だから3文以上の文章はだいたい、PCメールで打って、自分の携帯に転送して
それから、それをコピーして、再度、メールを送るという工程を辿るのです。
そのほうがよっぽど早い。
でも、昨日はたまたま外から携帯メールを返信する必要に迫られて
PCから撃てず、携帯から打ってたんですよ。
で、その時おもった。
このうちにくさ。
つまり、このじらされ感?(謎 あるいは、このうちながら考える時間ができること。「
それって大切じゃないのかなぁ、と思った。
PCなら考えるのと同時に文字が出るから、なんか、つまり思ってるまま書いてますよ。
つまり喋っているのと同じ。
このブログの乱雑さとか、まさにそれを表している。
でも、携帯メールって、喋っている速度ほどには早くないから
どうしても、違う文体になる。
たとえば、考えながら打ってしまったりね。
それってば、PCメールと違う効用があるな、と思った。
携帯メールだと、やたら雰囲気の違う人いるじゃないですか。それってそういう効用があるのかなぁ、と思った。
そういえばPCのキーボードの並び方も、打ちにくさを敢えて出すために作成されたというけど、なんつーか、そうなんだよな、と思った。
そういう、「遠回り感」って意外と大切かも。
あと、さらにすげーどーでもいいんだけどさ。
いつだったかなぁ。
昨年だったかなぁ。なんか、初めて出会った人と必要に迫られて電話番号だけ交換したんだよ。だからメールは知らない。
で、でも、その時、相手からメールが届いて愕然とした。「なぜメールわかった!」と。、でもそれメールじゃなくて、いわゆるショートメール。同じキャリアだけ有効なのかな。電話番号に送れるヤツ。
あれ、存在は知ってたけど、そういうことに使えるという想像力がなかったから感動した。
つまりさ、電話番号だけ聞いておけば、連絡が簡単に取れるというわけですよ。
たとえばね合コンとか、ビジネスでのアンオフィシャルの飲み会とかでさ
連絡先きかなアカン時あるやん
その時、電話番号って数字だから、ききやすくても、メールアドレスってききにくいよね。長いし、うちにくいし。
名刺にいれてたらいいんやけど。
だから、そんな時キャリアが同じだとわかれば電話番号きいて、あとでショートメッセージ送って、そこでメアドだけ聞けばよい。
そういえばこの機能って、携帯メールができる前、関西セルラーかなー。違う。ツーカーだったかな?がやってたんだよね。ショートメール。
わすれたけど、高校2年のころだから、1997年とか?
のころ、このショートメールが始めて登場したんだよね。確か。
それが丁度、この電話番号に紐づけてメールを送れるシステムだった。
いま、まさにそれが復興していると。
多分、こういうのって常識なんだよね?
僕が知らなかっただけで。でも、すげー便利と感動した記憶がある。なんというか合理的。
まぁ、いいや。

三連休の中日は、思い切り寝坊して珈琲。

戦友ゆうちゃんのブログで見かけた一文に痺れた。

DailyTokyo:麻布十番はやくざな町か

こちら。

トーキョーではいまこの瞬間も
いろんな誤解が生まれている

おー、そうだよね。と思った。

誤解ほど世の中にスパイスを効かせてくれる厄介で困難な認知バイアスはなくて。その誤解を解くのに人は言葉に言葉を重ねて、さらに誤解を生産していく。

まさに人とはまさに誤解生産機。喋れば喋るほど、なんだか間違った方向に突っ走る。

コミュニケーションたるや、まさに誤解を前提になりたつわけあるよ。

お互いが分かり合えないのを前提に、それでもなんとか徒手空拳で我らは言葉をつむぐ。結局は行間をため息で埋めていくことになるのだけれど。まさに、浜辺で砂山を作るよう。その様は、砂上の楼閣。

で、そんなことを考えていると示唆フルな一文に再度出会った。

sunnyのブログ
 #リンクしていいのかな。まずかったら後で消そう・・・。

ふわふわクラゲ-私のイキかた。

コミュニケーションが発生するにはそれなりの条件が必要となり
もし、それが発生しない場合に発せられるこの言葉。
これに、私はケースバイ、と同じ軽薄さを感じる。

「そういうつもりじゃ、なかったんだよ」

ケースバイって言葉、私もよく使うから気をつけなかんなぁ。ケースを列挙して、その場合の可能性を提示する場合は良いのだろうか。あるいは、全てのケースを包含するルールを出さないといけないのかしら。なんて。

ふーむ。なるほどなぁ、と、思った。

蛇足だけど、抽象的な文章、あるいは複雑な文章を読む時は、その文言を追ってはならないと思った。それより大切なのは、思考のトレースなんだよ。

つまり、どういう意図でこの言葉がでるのか。自分がこれを書くなら、どういう思考プロセスを得るのか、そういう視点で書かないと、その方々の文章ってのは、きっと読めない。

哲学書とかでもそうだけど。
多分。
そんなことをちょっと思った。

まぁいいや。

世の中は誤解で溢れている、それは正だとするならば。

それを前提で生きていくほうが良いのか、あるいはそれを見てみないで生きたほうが幸せなのか。

ケースバイだな、と思った。

グウェンステファニーねえさんとか?

いやぁ。別段なにがあったというわけではないのだけれど。

人の話ってのは怖いですね。そうですね。いや、人というかきっと自分も含めての人間全般の。

というのもですね、友達と電話やら話やらメッセやらするわけじゃないですか。その時に、「誰々」という第三者の話しもよくでるわけですよね。

で、その誰々というのが友達だったら、まぁ問題はないんですよ。友達なわけだから、まぁ、どんなことあっても大体の想定の範囲内(第三者から聞かされる話としては)。知らない人でも問題ない。『知らないから。

怖いのは知り合い程度。

知り合い程度の人の噂話ほど怖いものないね。なぜならその人のこと顔は知っているけど、よくは知らないから、友達から聞いた話がかなりクリティカルに、その人のイメージを形づくる。

しかもさ、そういう話って、多分9割がネガティブな話なわけですよ(原田観測)。それは、悪口じゃなくて、なんというか、そういう話のほうが話のネタになりそうなんだろうね。

で、つまりは、知らない間に知らない人のよろしくない噂ばっかりが回ってくることになる。いや、これワンダフル。ほんとに。ちなみにしゃべる人は悪くない。むしろ、そういうのは情報格差の均質化に寄与するので問題なし。問題は、噂のネタになるという行為のおそろしさ。あるいは、それを増幅、ないし誇張されてしまうパーソナリティの源泉。

たとえば、誰々が合コンで何々、とか。
誰々がメールでいきなり何々、とか。
彼は/彼女は○○だから○○だ。

みたいな。

いやさ、私もそんな言葉に基本はまどわされたくないっすよ。でも、一回頭に入って形成される先入観って強いのですよ。しかも、それなりに信頼している友人から聞く話だと特に。

そういうのを自分が色々聞いていると、改めて悪いことはしちゃいかんなぁ、と痛感するわけです。悪いこというか、あばかれて辛いこととか。うん、悪いことってより、恥ずかしいことはすると危険だなぁ、と。

いや、こんなこと書いている僕も当然例外ではなくて、きっと他者様へは、ネガティブな話が伝わっていることは多々あると思って、もうその辺は床屋の井戸に向かって叫ぶしかないわけだけどね。

なんつーか。

まぁ、いいや。いわく「陽のあたる道を歩め」というか、なんというか、ね。

まぁいいや。別の話。

先日、作業しながら、MTVをかけていたらグウェン姉さんのドキュメンタリーがあって。これね(↓)グウェン姉さん。

The Sweet Escape

で、ふといろいろ思い出してしまって。グウェン姉さんはノーダウトなわけだが、サンタモニカによく遊びにいっていたころ、車によくかかっていた気がする。

あのサンタモニカの朝の高速の渋滞はありえないわけですよ。カープールさえもナンセンス。1時間くらい時速10キロとかのレベルだったような気もするけど、やや誇張。まぁいいや。

で、グウェン姉さんかっけえよ、やっぱり。マドンナっぽなぁ、と思っていたrあ聞くところによると、マドンナをプロデューサーした人がかんでいるんだとか?

てかマドンナいいよねえ。いつまでも現役。凄すぎる。こないだ雑誌で見たけど毎日2時間とか運動してるんだっけ?女版シュワルズネッガーか。

ということで、グウェン姉さんの会心の一作。はらじゅくガールズも登場です。

動画で思い出したけど、だいぶ前にかんちゃんに教えてもらった動画。


これ。

面白かったー。ショートフィルムなめちゃいけねえと思った。長いので作業しながら聞きながら見るのが吉。

で、動画といえばニコニコ動画。かなり古いいまさらな話だけど。一応おいておきますね。面白いね。

ニコニコ動画(β) | 粉雪 (YouTube)
ここで一番有名な動画?でも大分削除されていた。

ニコニコ動画(β) | リアル ストリートファイター (AmebaVision)
スト2もかなり削除されていた。しょうがないのでリアル版で。

philosophia de nada

情報っていうのは知っているだけでは価値がないのである。
それは別段、どこぞの本でありふれて語られているような「知恵」と「知識」は違うんだ、みたいなことを言いたいのではない。
情報というのは使うことに価値があるのはAgreeされるか。ならば、その運用方法に価値があるということも当然の理。
たとえば。
たとえば、ある株が上がると解かっていてもその株を買わなければその価値はないように(勿論情報垂れ流しとかあるいは別の株で儲けるという手法とかもあるけどまぁ、それは誤差の範囲)。
つまりだね、たとえば、そうだなぁ。
「人生はこうである!」みたいなものすごい真理を知ったとする。
でも、本当にその真理を理解できるのは、あるプロセスとある条件下において可能なわけであって、誰しもがそれを体得できるわけではない。
つまり、一週間で出来るPHPや3日でマスター英会話を読んだからといって、万人が同じ結果を持たないのと同じ。
つまり、問題は是が何を意味するか、ということである。
それは、「情報は惜しみなく出せ」という哲学の価値が再検討されてしかるべきなのである。
つまり、情報を出したがらない人というのは、「この情報は人に知られたら、自分が損するから(あるいは他人だけが得するから)」とかで出さないことが多い。他の理由もあるけれど。
しかし他の人がその情報を知ってもあなたと同じように運用できるとも限らないわけである。
少し話をずらす。よく本や講演や人の話なんかで「情報は惜しみなく出せ。出す人に情報は集まる」という話をよく聞いていて。
まぁ、それってばわからないでもないのだけど、「なぜ」というのがわからなかった。
基本的に原理が理解できないものは信用してはならない、というのもひとつの哲学。
情報出すと集まるというのはわかるけど、それが即ち他の人にとっての情報の価値を下げるわけではない、ということは、時に情報を出すことによって、自分が相対的に損をする可能性もあるわけである。
勿論、+がそれを補う程度あればいいのだけれど、それは非常にケースバイであるから、そこには常にリスクが存在するということになる。
そう考えると、何かしらの条件下、あるいはルール下においての情報価値にはリスクフリーの常にポジティブのリターンを得られる価値があって、そうでない場合は、一概に適した手段とは言えないのではないか。
というのが原田の思いだったわけです。
しかし、上記のように、情報の価値というのは須らく等価ではないという前提にたつと、その情報を公開することで得るリスクは非常に限定的になるのかなぁ、と思った。もちろんゼロではないけれど。
つまり、情報って、生ものなんですよね。有名だけど。
運用しなくちゃ意味がない。価値がどんどん下がる。
そう考えると、へこむ(マイナスになる)ことがあっても、それ込みで運用した方が結果的にはリターンの方が大きくなるような気がした(なぜならそこでのマイナス分はフィードバックという点で+の効果もあるから、マイナスはある程度、相殺される。逆に+は、それの再投資による相乗効果がある。この効用から見ても長期的にはリターンの方が多くなる:前提としてプラスマイナスになる可能性が5割の場合)。
そういうことで、情報は惜しみなく出したほうが良いわけです。