名もなき週末の物語

先週末の金曜日、3人の女性を見かけた。知らない人だし、こんごも知ることのない女性だろう。ただ、おそらくその人たちにはその人たちの時間軸があり、そしてそれを彩る物語があり、そして、その物語を私は想像する。
■女性1
渋谷の文化村通りを歩いていると、1人の女性と1人の男性に擦れ違った。19時頃だから、これから飲み会に行くのだろうか。スーツ姿の男性とスーツ姿の女性。少し小雨の中をささっと歩く。男性が「だから、そこで僕が」なんとやらとつぶやいて、女性は視線を水平線から30度ばかり落とした先を見つめたまあ、うなずく。2人が平行して歩く時、お互いはお互いを見ながら歩かない。電信柱にぶつかるからだ。前を向きながら、「聞いているよ」という仕草もなく、ただ声だけを頼りにコミュニケーションを続ける。新入社員よりは少し歩き方が疲れていて、そして、バリバリのキャリアよりは1歩、歩みが遅くて、ただ目線が渋谷の地面を撫でて、そして男性のコミュニケーションが雨の後の地面をなめて。そして、週末の夜に向かって少しづつ視線は落ちていった。
■女性2
新一の橋近くのファミリーマートがある角で佇む女性。誰かを待っていた。5分裾のレギンスに7分袖の空色ボーダTシャツ。赤いナイロンのバッグを肩にかけて、UFJ銀行の辺りを眺めていた。日差しが強いのか、あるいは知り合いに会うのが怖いのか、角より少し路地に入った場所で、しゅらっと立っていた。平日の時間を考えると学生だろうか。他の可能性としては、スチュワーデスや主婦、平日休日のアパレル店員など何でもありえるとしても確率論から言えば、学生の可能性が濃厚だろう。彼女は恋人を待っているのかもしれないし、友達を待っているのかもしれない。ただ14時20分という時間帯はあまりにもアバウトな待ち合わせだ。30分に待ち合わせして10分前に付いたのかもしれない。でも、それなら、こんな時間から対岸を眺める必要はなかろう。あるいは、コンビニで雑誌でも立ち読みしておけばいい。それとも14時の待ち合わせで、まだ来ぬ人を20分待っているのだろうか。あるいは、時間は関係ないのかもしれない。自宅で待ち人を待っていて、「今タクシーにのった。ファミマでピックアップするから待ってて」と言われたのかもしれない。いずれにせよ、少し不安げなまなざしと少し猫背のシルエットは初夏の麻布十番に違和感なく収まっていた。
■女性3
時間は20時前。金曜日。飲み会に向かう人たちが電車を埋める。あるいは、疲れ切ったスーツの人々が帰路に着く。あまり混まない麻布十番も週末の夜は少しばかり混む。渋谷や新宿に比べるまでもないけれど、それでも改札が一つなのは混む要因になっているんだろう。でも、その分、改札前の待ち合わせを間違うことはないのだろうけど。南北線と大江戸線さえ間違えなければ。その中で、小走りに走る女性がいた。プリーツのワンピースをはためかせながらぱたぱたと。PASUMOを改札でビビっと鳴らし、小声で「すいません」とささやきながら人をかき分ける。モバイルSuica使えばいいのに、と余計なお節介を考えながら、彼女は3番出口に向かって走っていった。エスカレータも使わず、小走りに。左手にSuica、右手に何かの紙。これから飲み会でもあるのかもしれない。その場所のプリントアウトなのかもしれない。でも、この時代にそんなに飲み会の時間を厳守するなんて、なんともジェントル。もしかすると幹事なのかもしれない。あるいは、恋人を待たせているのかもしれない。あるいは、ブルーマンの幕があがるのかもしれない(20時だともう遅すぎる気もするけれど。知らないが)。そして彼女はどうして遅れたんだろう、と考える。仕事が長引いたのかもしれない。出る間際に電話やメールがかかってきて、送らなければいけない資料ができたのかもしれない。明日でいいや、と思っても週末だということを気づいて、週末に持ち越すのが嫌でやっつけたというセンシティブな性格なのかもしれない。あるいは、駅を乗り過ごしたのかもしれない。間違って赤羽橋までいってしまって、タイルの違いに違和感を憶えたのかもしれない。小走りに走るのは久しぶりで少しヒールが足を擦りむくだろう。
良い週末を、と誰かがつぶやくかもしれない。

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