なんだか30歳を越えると、メンテナンスに時間を使っているような気がして。
思いつくままに30を越えてからしっかりするようになった(=たまにではなく習慣に組み込むことになった)メンテナンスを記載してみた
- 月に1度はジーンズは裏返しに洗う。水で洗う
- 数ヶ月に1度、靴の底が減ったら、裏地を当てる
- 1年に数度、ジーンズのポケットが薄くなっていたら薄地を当てる
- 2年に1度、ルンバのバッテリーが少なくなったらバッテリーを変える
- 2年に度、乾燥機の乾燥力が悪くなっていたら、管理会社経由で修理する
- 1ヶ月に1度、洗濯機は定期的に、それ用の洗剤でクリーニングする
- 風呂場は1年に1回、徹底的に掃除する(外注)
- 週に1度はジムにいく
- 週に1度は走る
- 週に2度は筋トレをする
- 週に2回はプロテインを飲む
- 週に1回は長風呂をする
- 隔週に1回はマッサージにいく
- 週に1度はルンバを回す
- 週に1度は観葉植物の乾燥状態を確認する
- 週に1度はシャツをクリーニングに出す
- 週に1度は鏡を磨く
- 週に1度は革靴を磨く
- 6週に1度は散髪にいく
- コートを使ったらはたく
- 革ジャケットは年に1回はクリームを塗る
- 1年に一回はバリウムを飲む
- 半年に1回は歯医者に虫歯チェックにいく。ついでにクリーニングと
- 歯は、電動ブラシを使う
- 定期的に糸ようじとドルツのジェットウォッシャーと舌歯ブラシを使う
- 夏がきたら真夏の果実を聞く。シャルトリューズを飲みながら
ただメンテナンスは嫌いではない。
老いや壊れゆくものに身を委ねるのも美しいが抗うのも、また風情があると思われる。水滸伝の最後のように。
そして、思い出すのは回転木馬のデッド・ヒートという村上春樹の短編のプールサイドである。
主人公は35歳になり、自分の身体の老いを確認しながら、以下を思う。
35歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認した。
いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した、ということになるだろう。
<中略>
70年の半分の35年、それくらいでいいじゃないかと彼は思った。もしかりに70年を超えて生きることができたとしたら、それはそれでありがたく生きればいい。しかし公式には彼の人生は70年なのだ。70年をフルスピードで泳ぐ――そう決めてしまうのだ。そうすれば俺はこの人生をなんとかうまく乗り切っていけるに違いない。そしてこれで半分が終わったのだ
と彼は思う。
そして彼は老いに抗う(だったように思う。うろ覚え)
この小説の泳ぐシーンがきっかけで、ジムで水泳の個人レッスンを受けてしまったほど、この短編が好きだ。
春がきて、もうすぐ夏がきて、真夏の果実を聞いて、心をメンテナンスをする。