(どうでもいいこと:自分メモ)目標設定の是非

なんだか、昔を振り返る機会が2連続であった。昨日。
1つは「学生時代の頃の話をしろ」というのだった。もう1つは、OB訪問として大学生3年4年のころの話をした。その延長として自分の過去も色々思い出された。
普段は、めくらめっぽう目くるめくメロリンQな日々で過去を思い出すことなんてまぁないのだけれど。ふと、色々と。
で、思ったのだが、やはり、過去と現在、あるいは未来ってのはそれなりにリニアなのかもしんない。いや、これは見方によっては、いくらでもケイオスになるし、リニアにもなるのだけれど、個人的な感覚としては。
やはり、大学までやってきたことと、大学時代にやったことと、そしてそれと社会人への方向性、そしてその後ってのは、やはり、それなりに「つじつまあわせ」が行われているもので。
とはいえ、それってば人間の本能で上手く「過去を捏造している」や「現在を思いこんでいる」ところもあるから、簡単には言えないけれど、大枠の部分で。
とはいえ、要素要素は、かなりアットランダムである。それこそ、ちょうど昨日読んだ本に書いてあったけれど「量子力学の世界においては物質は突然生まれるものであって、じょじょに誕生するものではない」とかが、なるほどなぁ、と腹落ちするような(ただし、ここでいう量子力学のソレが何を指しているのかしらない。あんまり検証する必要を感じなかった)。つまり、要素要素は、かなりの不確実性をはらんで起こっているのだけど、やっぱり総体で見ればまっとうに進んでいるというか。
いわば最近流行りの「みんなの意見は案外正しい」説に合致するような気もしないでもない。
まぁ、これは当たり前のことを言っているに過ぎない。自分に有る程度の方向性があれば、人生におこるあらゆる選択肢において、その方向性に合致した選択肢をとるわけである。そうすると、ミクロではわけわからんことになっていても、マクロでは直線が引かれている。
ただし問題は、方向性があるかないかである。これこそ、昨今、いくらでも巷で語られる「夢」や「目標」の話になってくるのかもしんない。そういえばこないだ読んだ本で「目標は実現できるもの。夢は実現できないもの。両方設定しておかなくてはならない」と誰かが言っていた。これも、考え方の1つとしては、ありだな、とか思ってみたり。
で、方向性がない場合は、前提が成り立たない。つまり、選択肢の解決方法はその場その場での重み付けが行われる。「イージーである」「金銭的リターンが大きい」「なんとなく」などなど。その結果、マクロの線は別の形を描くようになる。この場合は、目的への最短距離の線ではなく、もっと性格などの揺らぎが反映された線になる。
つまり、ここはある程度、三次元になるのかな。目標という平面でのベクトルはないので、線は点になり、いわばでこぼこしたグラフになる。しかし、別の側面で見れば、例えば性格を反映したグラフで見れば、それなりに年齢に応じた比例のグラフが出てくるようになる。もっともこの場合、縦軸に何をとるかは難しいところだけれど。まぁ、なんというか、そのあ、わかった。性格の面なんだから性格を縦軸にとれば良いのだ。そうすると、年齢に応じて自分の性格を強化付けされていく図が見て取れる。ただし、何かしらの目標を設定して加齢していく人は性格の面においてはランダムな動きを見せる。うむ。
で、これは性格は1例であり、他にも「縦軸を金銭」にしてもいいし、「自己満足」でもいいと思われる。とすると三次元に限らないな。つまり、その人専用のグラフが出来上がるということか。
じゃあ、実を言うと目標ってば単なるグラフの1つであって、別に他のグラフを描きたい人にとっては目標とかいらんじゃない?とか少し思ってみた。ただし、これはどこに視点を置くかで意味が全然変わってくるので、注釈すると、社会的、あるいは歴史的、あるいは日本的、あるいは、資本主義的に言えば、何かしらの目標ある人生のほうが相対的には良いと信じられている。でも、これも今、書きながら思ったけど嘘だな。良いの判断基準がわからないもの。そうすると、ああ、そうか。うむ。そうだ。「目標達成をしたいならば目標があったほうがいい」というテーゼだけが正しい気がする。
つまり、「人生を幸せに生きるならば、目標設定をしたほうがいい」というのは論証できないのでは。まぁ、帰納法でやれば可能かもしれないけれど。だって、さっきのメタファー使うならば、「幸せ」グラフを使って、常に自分がハッピーな選択肢を撮っていけばハッピーになるのでは?あ、嘘だ。これも一概にはそういえない、定義による。たとえば「50年後にハッピーになりたい」という前提をおくならば、「50年後にハッピー最大化」となる目標が設定されるわけで、そうすると、アドホックなハッピーの選択肢が、その50年後の効用を最大化するとは限らないわけだ。なるほど。
ああ、そう考えるとターゲティングは重要ということになるな。なぜならミクロでの選択肢の積み重ねは、常に最大のリターンを得るとは限らないから。そうすると、やはり戦略が必要になってきて(ここでの戦略の定義は、目標達成における選択肢の検討というくらいの意味でいいや)、そうすると、やはり目標がなければいけないのか。ふーむ。こまった。当たり前の結論になった。
んー、なんかないかな。ミクロの決定が常にマクロでの最大効用を産むというような価値観。んーんー。親孝行とかってどうだろう?「自分の人生は親孝行の最大化である」という前提で始めれば、20年後に親孝行最大化するよりも、日々の親孝行の方が親孝行最大化が出来る?いやー、これも論証不可能だな。だめだ。
話を変えよう。
てかねむくなってきたのでまた。

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