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ラブソングとブルーハーツ

p>ちょいとブルーハーツを改めて聴く機会があって。

で、「リンダリンダ」で思い出したのが、「代表的ラブソング」って何だろう、てなことをふと考えた。

で、選曲基準は同世代の人が「10人中8~9人が知っている曲」という縛りで考えてみた。で、まぁベタベタな曲ってことだけど。あと邦楽。で男性がうたってるやつ。

そうすると「いとしのエリー」もまぁ外せないだろう。レイチャールズがカバーするくらいだから許してあげてください。

で、あとは難しいなぁ、とか思った。てか、リンダとエリーと名前で選んだっていうのもあり。結婚式で歌われる曲として考えると、フジイフミヤのTRUE LOVEが手堅いところか。でも個人的にあんまり知らないのでパス。

で、ああ、売れた曲で言えば尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」も記録的なヒットだった気がする。あと、有名どころで言えば、ミスターチルドさんか。ラブソングって何だったんだろう?個人的な記憶で言えばやはり「CROSS ROAD」か。

他にも色々ありそうやけどなぁ。Bzとか?でもBzの唄あんまりしらんからなぁ。小町エンジェルうんぬんかんぬん?知らないのでパス。あと1曲くらい出したいところ。んーんーんー。あースピッツとか?わからんなぁでもどれが良いラブソングなのか。あの時代って他に誰いたかなぁ。しゃらんきゅーとか?でも謎だなぁ。なんかあった気がするけど、思い出せないなぁ。んーんーんーんー。まぁいいや。以上。

リンダリンダ:ブルーハーツ
サザンオールスターズ:いとしのエリー
尾崎豊:OH MY LITTLE GIRL
MrChildren:CROSS ROAD

で、ブルーハーツをちょっと調べていた。

で、下記エピソードに笑った。

THE BLUE HEARTS – Wikipedia

司会の古舘伊知郎から「インディーズから突然メジャーになった心境は?」の問いに、「インド人のことはあんまりわかんないです」と適当に答えるヒロト。

ブルーハーツ最近、人気復活しているみたいね。で、たまーに話に出るのがブルーハーツのベストは何か?というまぁ誰も傷つかない四方山話。TRAIN=TRAINは根強い人気。他に挙がるのは女性だったら「キスしてほしい」がよく出る気がする。あと、満遍なく人気なのはやはり「情熱のバラ」「終わらない歌」「人にやさしく」とか?マニアックで「僕の右手」。

#今日、スピードブログってのを個人的に試していたのだけどやっぱり1エントリー頑張っても20分くらいはかかるなぁ。書きたいのが色々あるのだけれどもごもご。まぁでも大分かけたから良しとしよう。

新書を書きましたので、もしよろしければ御願いいたします。。

p>ちょっと前の話ですが。

新書が発売されました。もしよろしければよんでいただければ幸いです。

巨大人脈SNSのチカラ
巨大人脈SNSのチカラ

posted with amazlet on 07.02.18
原田 和英
朝日新聞社出版局
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個人的なこともうっかり書かせて頂きました。非常に恐縮ですが。すいません・・・。

そして何より、皆様のご協力ありがとうございました。

インタビューに協力してもらったり、原稿みてもらったり、アイデアもらったり、仕事助けてもらったりとなんかかなりお世話になった気がします。いや、じっさい、これは1人では無理だったよ。多分。

半泣きで書いたもんなぁ。だいたい仕事帰って来てからだから1時とか2時から書いてた気がする。その分、好きなだけ書かせて頂きました。しかも、実はページ数の関係で没になったのが、けっこうあるきがするなぁ。

ありがとうございました。

意外と知られていない SNSの謎を解く
ソーシャル・ネットワーキング・サービス 縁(えん)の手帖
招待状、届きましたか? SNSで始める新しい人脈づくり

ウユニ

先日、この記事を見て。
雲の上を歩ける!? 場所、発見!! | エキサイトニュース
もう「雲の上を歩く」ときたら、「ウユニ」の枕詞なわけですよ。こう来ると、ウユニしかない。
ボリビア。もう響きがいいですよね。
で、最近はやたら旅行熱が再度、高まってきた。かれこれもう1年いってないからなぁ。海外は。最後がグアムか。あ、スキューバのライセンス!まぁいいや。
で、そうだ。ウユニの話をしようとしたんだっけ?
旅の話をしようとしたのか。
んと、そうだなぁ。
ウユニの話をしよう。
ここはですね、巨大な塩の湖なんですよ。で、表面に数センチだけ水がたまっている。季節によってみれないんだけどね。
で、ちょっとした水がたまってないから、車がその上を走れるのさ。ランクルで滑走ですよ。すげー気持ちよい。
でも、そこにいくまでが大変ですね。サンペドロアカタマから入ったんかなぁ。そういうイカス名前の街があって。アカタマかも知れない。ぼく、言語障害なので、どっちが正しいかわからん。
で、その前に、そうだ。ビーニャデルマルというチリのリゾートにいたんですよ。とはいえシーズンオフで、しけた感じだったんだけど。
何もない坂の上にね、日本人が溜まる宿があって。
朝から麻雀したり、本よんだり、麻雀したり、みなで料理つくったり、麻雀したり、洗濯したり、麻雀したりと色々まぁ、愉快な宿で。
それはよかったんだけど、犬にかまれて死にそうになっていたあるよ。原田が。
狂犬病リスクで。
で、ひぃひぃいいながら、チリの首都サンチアゴをかろやかにスルーして、アタカマにバスで向かったあるよ。だいたい24時間くらいかかったかも知れない。で、熱でて。
いまでも覚えてるわー。腹くだしてバスの中で悶絶していたのを。まぁいい思い出だ。
で、アタカマはもうなんつーか、古き良き時代の日本。もうコオロギとか居そうな雰囲気。まぁ乾燥しているから、もっと殺伐としているのだけど。でもネットカフェもあったよ。そこからメールだした気がする。Gmailはなかったっころのお話。
たまたま日本人の人とレストランが一緒になって。で、話してたら、なんかのボランティアできたんだっけなぁ。ああ、そうだ。彼女さんが、ウルグアイのNGOかなんかしてて、彼氏が遊びにきてて観光でウユニにきてたんだ。
まぁ、それは良いとしても、で、そこからウユニなんだけど、基本アジア人いなかった。日本人はツアーでいくのかな。わからんけど。で、現地からランクルでいくわけだけど、常にテンションマックスの白人たちが車の中でさわぐのなんの。
熱で死にそうになっていた僕は、もう車酔いするわ、高山病で死にそうになるわふんだりけったり。
しかも宿では、超卓球。白人なのにピンポンごっつうまい。
まぁそんなんどうでもええな。まぁいいや。うん
ウユニいったことがあるって自慢したかっただけかもせーへん。

まつりごと

遠藤ちひろ御大が多摩の明日を考えておられますよ。

まさにいざ鎌倉。いざ出陣。テンションあがるなぁ。

こちら。

多摩の明日を考える会 遠藤ちひろ –official website–

ボランティアも募集しているそうなので、熱意ある方はいかがでしょうか。氏と絡むと常に面白いことが待ち受けてますので。

いやー、色々と思い出しますなぁ。下記完全にうちわネタ(まずかったらあとで削除しよう・・)

最初にお会いしたのが早稲田の学園祭。2002年くらいだっけ?大学2年の時だな。ぎしんの紹介だったっけ。超テンション高い人だなぁ、と思っていた記憶が。そして、偶然、朝まで生テレビの収録時に再会。その時に亮とぺぺと初めて会う。ファミレスで朝5時だかの生ビールは答えた記憶があるなぁ。で、xtady関連でも色々お世話になり。あと、浅科の市長選。民法の試験の最中で大変だった記憶が。一件一件、家を回るわけですよ。チャパがやたらテンションたかかった。そのしばらく後、文美が酔っ払っているところを始めて見た記憶がある。で世界一周から帰ってきたときも、そのままちっひーの家に遊びにいったなぁ。そん時としあきと初めてあったのか!がなりの取材できたのも氏の力だしなぁ。その後、くらたまさんへのネゴはすごかった記憶があるなぁ。以下略。いやー色々影響うけたなぁ。

☆サポーターズVOICE☆  多摩の明日を考える会 遠藤ちひろ –official website–

ふと思いついて自主的に投稿してみました。

メモ書き。

メモ書き。
多分。未確認なんだけど。原田といふ生き物は、なんだかんだ「フェアネス」って奴に非常にこだわるような傾向がある。これは別段、自分を正当化しているわけでもなく、アピールしているわけでもまったくなんでもなく、単純に日ごろ、ふと、ある話を聞いていて思った。きっかけになったのはどこぞのセクハラ&パワハラの話なのだけれど。
そういう話を聞くと「なぜ女性だけがそんな不合理な仕打ちを受けるのだろう?」といきり立つことが多いわけで御座いますよ。で、「そんな奴は極刑だ極刑」とか叫んでいるのだけれど、世の中はそういうものだ、と諭されることも多いわけで。
で、思い返せば、確かにそういうセクハラされた話ってのは、けっこう聞くなぁ、と思った。パワハラとか。特に日本だと出自や人種のハラスメントとかよりも性別のハラスメント。あー、あと宗教関連か。が多いね。ただ、実はコネ入社とかの話はあまり腹がたたない。ある臨界点以下の合理性がそこにはあると思うから。やっぱり、日本のビジネスも、他の国と同じく人でやっているところも大きいから、そういうコネクションは必要なんだろうと思うわけですよ。でも、やっぱり生まれつきのもの。肌の色や性別や、身分や言葉遣いやなんかそういうので差別するってのはやっぱり、当人がどうこうできるものではないからフェアじゃないよね。あ、いま単純に構造を理解した。マイノリティという理由でネガティブな効用(人種とか)が働くものものはフェアじゃないけど、マイノリティというだけでポジティブな効用が働くもの(人脈とか)は別段許せるということか。
で、やっぱりフェアじゃないとなぜ腹がたつのか考えてみた。わかりやすいのは「フェアじゃない世界はちゃんとした競争原理が働かないから、効用が最大化されない」という資本の原理主義理論。あるいはベンサムか。ただ、これも当然一概にはいえないわけで、たとえばインドではカーストがありまして、あれってば固定だけど、それはそれで回るし、あるいは共産主義もそれはそれで理論としては素晴らしかったと思うわけですよ。結果論からすればNGだけど。だから、まぁ、フェアじゃないのは許しがたい、というか。
でも、そういうことでもないのかもなぁ。周りでそういうフェアじゃない話を良く効いていたからかなぁ。たとえば部落の話とか、同性愛者の話とか、学会の話とか、非嫡子の方の話とか、在日の方の話とかは、よく耳にする機会があって。さりとてそれは他の人より、相対的に多かったかどうかはわからないのだけど、まぁ、別にそういう「フェアじゃない話」はなんだか耳にする機会が多かった気がする。だから?わからん。
あー、あるいは、原田自身がなんかそんな差別を受けたことあるかなぁ?それが原体験になってるとか?うーん。岸和田というヤクザな街という点?それで怖がられたことはあっても、いじめられたことはないなぁ。あとなんかあるかな。AB型?あー、それはけっこう差別を受けるね。うむうむ。あとは、なんだろうなぁ。特に記憶にないなぁ。
まぁ、いいや。でも、ともかく、何かしらの結果、おそらくフェアでないことを許しがたいように思えていて。あー、特に世界を回ったときとかやっぱり痛感したもんなぁ。イスラムの人たちとかすって素晴しい人たちなのに、あるいはコケイジアンに比べて、劣っていることは何もないのに、国際社会的にはネガティブアピールされて、ちょっと「フェアじゃないんじゃない?」とか思ってみたり。まぁ、これもこんな簡単に1文で言えるものではないけれどさ。これもメカニズムがあるからしょうがないのだけれど。だってこれを叩くなら、日本のメディア構造の問題があって、それを言うなら日本の国際経済の問題があるわけで。その背景には宗教とかの問題もあるわけで、一概にそんなの言えないのだけれど、まぁ、一文で言うならば。
あー、そうだ。パレスチナに行った時も、どうしてもパレスチナの民の人を見て「フェアじゃねえ」と憤ってた思いがするなぁ。それは別段イスラエルが悪いわけではなくて、まぁアメリカが悪いわけでもなくて、国際政治の結果として存在するだけなので、あれはなんというか、加害者がいない被害者の構図とでもいうんだろうか。あー、小学校のころの虐めみたいなもの?仲間はずれになりたくないからいじめる、みたいな。そういう陰鬱とした印象を受けた記憶がある。
で、まぁ、こういう公平とかフェアネスの話を考えていると、ノルウェイの直子がまたも思い出されるわけですが。どんなセリフがあったっけ?覚えてないな。あかん話づれた。そうそう。でもセクハラは特によくないわけですよ。なぜかって?男の悪い面を言われているようで男である自分が恥ずかしいからというエゴイスティックな側面からの考察なのだけど。まぁいいか。ちょっと走り書き。まとめもオチもなし。
関連

FairPlay ForePlay (いけいけどんどん)

南アフリカのヨハネスブルグからイギリスのロンドンに向かうブリティッシュ・
エアウェイの機上でのこと。
 混んだ機内のエコノミー席で、50歳ほどの白人女性が、黒人男性の隣に座ること
になった。
 彼女は、信じられない、とばかりに憤然と立ち上がると、その場でスチュワーデス
を呼び出してこう言った。
「これはいったい何なの!」
「はい、お客さま、どういうことでしょう?」
 スチュワーデスは彼女に丁寧に聞いた。
「見ればわかるでしょ? 私を黒人の横の席にしているのよ! こんな忌まわしい人の
横に座るなんて、私は到底、承服できません。すぐにほかの席に変えてちょうだい!」
「お静かにお願いします」
 スチュワーデスはこたえた。
「ただいま席があるかどうか確かめてまいりますので」
 彼女はいったん引き、しばらくして戻ってきた。
「お客様、あいにくエコノミー席に空席がございません。機長にも相談しましたが、
ビジネスクラスにも空きはないとのことでした。ただ、ファーストクラスに一席だけ
空きがございます」
 その女性客は一瞬、安心したような顔を見せたが、スチュワーデスはそれに構わず話
を続けた。
「私どもの会社では、エコノミーのお客様にファーストクラスへお移り願うことは滅多
にいたしません。
 けれども、状況を考えますと、こんな方の隣にお客様がお座りになるということは、
言語道断であると、機長が申しております」
 そして、彼女は、おもむろに黒人の紳士の方に向き直り、こう言った。
「お客さま。というわけですので、もしよろしければ、どうかお手荷物をおまとめください。
ファーストクラスにお席をご用意してお待ちしております」
 次の瞬間、ずっとこのやりとりに心を痛めていた周りの乗客が、一斉に立ち上がり、
拍手喝采の音がそれに続いた。
 だが、黒人紳士は落ち着いた声で、こう制したという。
「お気遣いありがとう。しかし、私はこの席で結構だ。
 横に誰が座っていたところで、私の誇り高い皮膚の色が汚れてしまうとでもいうのかね」

東京はよるのしちーじとコメントスパムに頭を悩ませる

またMTV見てたら「ロケ地訪問」ってなコーナーをテッペイさんがやっていて。

「おお、これ俺んちじゃん」とか思ってたら、今回の歌は「東京は夜の七時」だったそうで。で、ロケ地が東京タワーだと。

で、野宮さんいつ見てもかっけぇなぁ、とか相変わらず思ってしまったので、YOUTUBEコーナーです。どうぞ。

で、東京タワーって、やっぱり思いいれ深いわけで。墨田区?に移ろうがどうしようが、やっぱりtower of Tokyoってのは、これだろとか思うのだけど、でも、やっぱり時が流れれば忘れられてしまうのかも知れないね。

でも、今の家が好きなのは、東京タワーが近くにあるからってのはかなり大きくて。夜中に帰ってきても、煌々と街を照らしてくれている時なんか、なんか背中を後押ししてくれているような気分にもなり。

前にも書いた気がするけど、東京タワーってのは、都会人のための灯台なんだよ、多分。

てか方向音痴の原田的には、本当の意味での灯台でもあり。昔は銀座から歩いて変えるときは東京タワーを目指したなぁ。

そんなことを土曜日の朝6時からハンカチにアイロンをあてながら、ぼーっと考えていたわけだが。

特にオチがなく、見切り発車で書き始めてしまったのが悪いところ。

とーきょーはよるのしちーじ、を貼り付けたかっただけという説もあり。

あと業務連絡。

先日からコメントスパムの荒らし(第42期くらい?)がきて、コメント投稿を認証制にしていたのですが、それもなかなかぱっとしないので、やっぱり全オープンにもどしました。認証制ってなんかいまいち。そしてコメントもらっていただいたのもオープンにしました。気付くの遅くなりました!コメントいつもありがとうございますっ。スパム対策にはなんか良いプラグインあったはず。なんだっけなぁ。てか、前までこんな多くなかった気がするのだが。W***p**のスパム対策プラグインいいよなぁ。なんたることだ。

時間の「借り」という恐ろしい資本主義の構造

MOMENT

なんとなくブログを書きたくなったので、過去の書評を引っ張り出してきてポスト。省エネ。

いつぞやかおすすめした本多さんの本。本筋はイマイチなのだけど、相変わらずディテールが素晴しい。

特に素晴らしく気に入っている一文がこれ。

エリートは貸しを作ることは気にしないけれど、借りを作ることは嫌う。
資本主義というシステムを知り尽くしているからだ。
借りには必ず利子がつくことをわかっている。

これですよ。
素晴しい慧眼。ここまで資本主義の本質をついた文章は見た事がない(言いすぎ)。マルクスも本多さんよめ。

いやさ、でも、これは恐ろしいほど真実で。

まぁ、金とか借りは作らないに越したことはないんだけど。さらに、気付かずに作ってしまうのが「時間」という借りね。これ以外と、知らない間に回りに借りを作ってしまう。

たとえば「遅刻」。あるいはアポの「延期」。これとか全部、借りを作っているわけですよ。まぁ、でも、この辺の「貸し借り」の概念は理解しやすいはず。

で気をつけたいのが「メールの返信レスポンス」。これって借りなんですよ。多分。てか最近、気付いたんだけど。

返信ってさ、同じ文面を返信しても、早いか遅いかで価値が全然変わってくるんですよね。特に、なんか参加数r申し込みとかもさ早いほうがいい。飛行機もそうじゃないですか。早割りがあるように、早いほうがいい。

つまり、メールの返信が遅れるのは相手に借りを作っているんですよ。で、資本主義の原則においては、借りはすべて負債。

なんてことを思っていたわけですが。まぁいいや。MISSINGに戻ろう。似たような言葉がもう1度。

「学習しただけです。おつりを返し損ねると利子が高くつく。」
「何?」
「資本主義社会における単純な経済学です。」

ということですね。

借りにはそして利子がつく。返信を忘れたメール1通が、どんだけ負債を生み出すことか。どうでもいい話だけど、この三連休は数ヶ月間に返せていなかったメールを返した気がする。1年ぶりとかのレスは迷惑以外の何ものでもないだろうけど、借りとか抜きでなんだか返したかった。

で、MISSING.

どんなシーンか忘れたけど、主人公(男)の前で女性が服を着替えるシーン。恋人同士ではない。

上田さんは僕が期待したとおりのことを僕が期待したのとはちがう方法でやったパジャマを着たままワンピースを頭からかぶり、背中のファスナーをあげないまま、服の中で両手を動かして上田さんは起用にパジャマの上を脱いだ裾からパジャマの下も出てきた。
「小学校のころから不思議だったですけど」と僕は言った。
「女の子はいったいいつごろその特殊技術を習得するんです?」

「見せることに値段がつくって気付いたころからよ」

それが本当とするなら、小学生のころから男の子と女の子との間にはものすごいさがついてくる。ひょっとしたら男の子は永遠に女の子に追いつけたりなんてしないのかも知れない。

同意。

そして、永沢さんの紳士論にも通ずる素晴しいアフォリズムがこれ。

「言わないのね?」

「はい?」
「もう帰ろうって」

「せっかくのデートですから」と僕はいった。

「デートを終わらせるのは女性の役目です。引き伸ばすのが男の役目」

キザすぎるという話はあるけど、なかなか応用が利きそうな言葉。

これを見るとノルウェイのラストシーンを思い出した。主人公が最後、レイコさんとすき焼き食べた後のシーンで「いいしわです云々」というシーン。なんか、あのシーン、好きだなぁ。

まぁいいや。じゃあ、最後。

「先人たちがむちゃくちゃに傷つきながら築きあげた平和の中で」そのおばあちゃんたちを眺めながら僕は言った。

「うん?」

「魂を汚さぬように鍛えながらロマンチックな大人になる」

「何だ、そりゃ?」

「学習の結果に生まれた将来の目標」

特にひねりのある文章ではないのだけれど。魂を汚さぬようにってのが良い。そしてロマンチックな大人ってのが良い。大人はそもそもリアリスティックでプラグマティックだからこそ、やっぱりロマンチックでいたいですね、そうですね まる。

#クラーク博士も「Boys Be romantic」って行っていれば少し世界は変わったのかしら。

ひきこもりDAYS

いやー、引きこもった引きこもった。
下記、ほんっとにどうでも良い独り言ばっかり書いているので、ご容赦下さい。スルーください。
この3連休は思う存分、引きこもった。ちょっと出た以外はずっと引きこもってたよ!
飯も自炊する徹底振り。麻婆豆腐、パスタ、豆腐の何かしら作った!
でも、ちゃっかり走りには行ってた。「Kids Return」のサントラ聞きながら東京タワーに集う観光客どもを蹴散らしていたよ。工事多かったのが難点。
しかし、天気の良い三連休でしたね。気持ちよかった。
こもって、GTDの鬼ですよ。GTD。ゲットシングスダーーーンですよ。これに関しては、また別でいつかエントリー書こう。とりあえずGTD で言うところの「今すぐする」タスクを洗い出したら3桁以上あって、片端からやっつけてた。あー、がんばった俺。自分を褒める。気持ちよいね。こうしてたな卸しするのは。そして本腰入れてGTDに取り組んだ。奥が深い。
直接人に会わない割には、メッセから電話からメールから携帯メールから手紙からSNSからと文明の利器に色々お世話になった気がするなぁ。ネットなかったら世界は違うかったんだろうなぁ。うん、10年前は違うかったもんなぁ。ICQだったもんなぁ(変わってない)。
あと、本屋めぐりを相変わらず。いつも下記のコンボを巡る。今回は必要な本3万円分ほど購入。とうとう本棚が破綻。
A.六本木のABC ここで写真集と小説関連を
B.六本木駅前のあおい書店 ビジネス書
C.けやき坂下のつたや 雑誌
あと貯まっていた雑誌を2桁冊読了した。スクラップが大量にできた。やはりScanSnapを買うべきか。ちょうど、新しいのが出ているんですよねぇ。
映画はいつもどおり、Discasを利用。1本の半分だけ見た。出なくて良いって素敵。雑誌も、いまや定期購読だからなぁ。どんどん引きこもっていくという罠。
あとデフラグした。これ重要。あと何したかなぁ。BeckyからThunderbirdに移行をしようとして挫折した気がする。あと WORDPRESのSitemapのプラグインを入れた。DWの8も使ってみた。あとMySQLごにょごにょ。年賀状は読むタイミングすっかり逃して、もう読むのが怖くなって(こういうことってありません?)半分ほどまだ読めてないという罠。どうしたものか。
ぜんっぜん覚えてないなぁ。とりあえずひきもってG・T・D!G・T・D!だったなぁ。
まこっちゃんじゃないけど、電子になろうかしら。

携帯メールの効用

今日、ものすごく天気よいね?
テンションあがってきた。
天気って素晴しいなぁ。
ということで今日のブログ2本目。
昨日、携帯メールをして思ったんですよ。
常々、このブログで言っているように、僕は携帯メールが苦手で。
嫌いじゃないんだけど、打ちにくい、というただ1点の理由だけで苦手なんです。
つまり、キーボードが携帯についてたら問題ないんだけど。
だから3文以上の文章はだいたい、PCメールで打って、自分の携帯に転送して
それから、それをコピーして、再度、メールを送るという工程を辿るのです。
そのほうがよっぽど早い。
でも、昨日はたまたま外から携帯メールを返信する必要に迫られて
PCから撃てず、携帯から打ってたんですよ。
で、その時おもった。
このうちにくさ。
つまり、このじらされ感?(謎 あるいは、このうちながら考える時間ができること。「
それって大切じゃないのかなぁ、と思った。
PCなら考えるのと同時に文字が出るから、なんか、つまり思ってるまま書いてますよ。
つまり喋っているのと同じ。
このブログの乱雑さとか、まさにそれを表している。
でも、携帯メールって、喋っている速度ほどには早くないから
どうしても、違う文体になる。
たとえば、考えながら打ってしまったりね。
それってば、PCメールと違う効用があるな、と思った。
携帯メールだと、やたら雰囲気の違う人いるじゃないですか。それってそういう効用があるのかなぁ、と思った。
そういえばPCのキーボードの並び方も、打ちにくさを敢えて出すために作成されたというけど、なんつーか、そうなんだよな、と思った。
そういう、「遠回り感」って意外と大切かも。
あと、さらにすげーどーでもいいんだけどさ。
いつだったかなぁ。
昨年だったかなぁ。なんか、初めて出会った人と必要に迫られて電話番号だけ交換したんだよ。だからメールは知らない。
で、でも、その時、相手からメールが届いて愕然とした。「なぜメールわかった!」と。、でもそれメールじゃなくて、いわゆるショートメール。同じキャリアだけ有効なのかな。電話番号に送れるヤツ。
あれ、存在は知ってたけど、そういうことに使えるという想像力がなかったから感動した。
つまりさ、電話番号だけ聞いておけば、連絡が簡単に取れるというわけですよ。
たとえばね合コンとか、ビジネスでのアンオフィシャルの飲み会とかでさ
連絡先きかなアカン時あるやん
その時、電話番号って数字だから、ききやすくても、メールアドレスってききにくいよね。長いし、うちにくいし。
名刺にいれてたらいいんやけど。
だから、そんな時キャリアが同じだとわかれば電話番号きいて、あとでショートメッセージ送って、そこでメアドだけ聞けばよい。
そういえばこの機能って、携帯メールができる前、関西セルラーかなー。違う。ツーカーだったかな?がやってたんだよね。ショートメール。
わすれたけど、高校2年のころだから、1997年とか?
のころ、このショートメールが始めて登場したんだよね。確か。
それが丁度、この電話番号に紐づけてメールを送れるシステムだった。
いま、まさにそれが復興していると。
多分、こういうのって常識なんだよね?
僕が知らなかっただけで。でも、すげー便利と感動した記憶がある。なんというか合理的。
まぁ、いいや。

三連休の中日は、思い切り寝坊して珈琲。

戦友ゆうちゃんのブログで見かけた一文に痺れた。

DailyTokyo:麻布十番はやくざな町か

こちら。

トーキョーではいまこの瞬間も
いろんな誤解が生まれている

おー、そうだよね。と思った。

誤解ほど世の中にスパイスを効かせてくれる厄介で困難な認知バイアスはなくて。その誤解を解くのに人は言葉に言葉を重ねて、さらに誤解を生産していく。

まさに人とはまさに誤解生産機。喋れば喋るほど、なんだか間違った方向に突っ走る。

コミュニケーションたるや、まさに誤解を前提になりたつわけあるよ。

お互いが分かり合えないのを前提に、それでもなんとか徒手空拳で我らは言葉をつむぐ。結局は行間をため息で埋めていくことになるのだけれど。まさに、浜辺で砂山を作るよう。その様は、砂上の楼閣。

で、そんなことを考えていると示唆フルな一文に再度出会った。

sunnyのブログ
 #リンクしていいのかな。まずかったら後で消そう・・・。

ふわふわクラゲ-私のイキかた。

コミュニケーションが発生するにはそれなりの条件が必要となり
もし、それが発生しない場合に発せられるこの言葉。
これに、私はケースバイ、と同じ軽薄さを感じる。

「そういうつもりじゃ、なかったんだよ」

ケースバイって言葉、私もよく使うから気をつけなかんなぁ。ケースを列挙して、その場合の可能性を提示する場合は良いのだろうか。あるいは、全てのケースを包含するルールを出さないといけないのかしら。なんて。

ふーむ。なるほどなぁ、と、思った。

蛇足だけど、抽象的な文章、あるいは複雑な文章を読む時は、その文言を追ってはならないと思った。それより大切なのは、思考のトレースなんだよ。

つまり、どういう意図でこの言葉がでるのか。自分がこれを書くなら、どういう思考プロセスを得るのか、そういう視点で書かないと、その方々の文章ってのは、きっと読めない。

哲学書とかでもそうだけど。
多分。
そんなことをちょっと思った。

まぁいいや。

世の中は誤解で溢れている、それは正だとするならば。

それを前提で生きていくほうが良いのか、あるいはそれを見てみないで生きたほうが幸せなのか。

ケースバイだな、と思った。