未分類」カテゴリーアーカイブ

最近のヘビロテ

さて、ここ最近(数ヶ月)のヘビロテ曲紹介のコーナーです

特にニーズはないことも解りながらのもはや自分用メモ的な

JUDY AND MARYの「ラッキープール」

そもそも、この曲がヒットした曲とは知らなかったのだけど、ハルカリのカバーでしる。

で、夏だし、この曲をフラフラ口ずさんでいた昨今。なんかゴムプールの思い出が想起されて、郷愁的な曲でございますね

Pitbullの「Don’s stop the Party」

9月に来日公演もあるピットブル。通称、お祭り番長。

とりあえずこの曲が街中に流れれば、街は動き出す。

Owl City & Carly Rae Jepsenの「Good time」

サマソニにも出演したカーリー・レイ・ジェプセンの代表曲。

Mr.children「過去と未来と交信する男」

シングル化もされておらず、タイアップもされていないかなりマイナーな曲。しかし、中毒性の非常に高い曲でなぜかよくリピートしてしまう。

2Cellos の「Kagemusha」

docomoの2トップのCMで使われている曲。2cellosはクロアチア出身のデュオ。

なお、2人が有名になった「Smooth Criminal」のチェロバージョンもかっこいい。iTunesでDL可。

ベートーベンの「チェロ ソナタ 第三番 作品69 アダージョカンタービレ」

集中力があがる音楽を菜がしてくれるツール「Focus@will」で知った。下で視聴可能

Amazon.co.jp: チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 作品69/第3楽章:アダージョ・カンタービレ-アレグロ・ヴィヴァーチェ: クラウス・ペーター・ハン(チェロ)/フリーデマン・リエガー(ピアノ): 音楽ダウンロード

映画レミゼラブルの「民衆の歌」

いいと思いました。日本語版しか公式動画は見つけられなかった

ブルーノマーズの「Marry you」

Blueno marsの曲で、確か少し前にGleeで使われていた(ハズ)。

少し前に話題になった最高のプロポーズ動画でも使われていた曲。

ブルーノマーズは「Grenade」も「Just the way you are」も名曲

Gina Starの「This is Hollywood」

ハリウッドの夢を歌った曲(多分)。

ユーザが作った曲リストを聞けるThefuture.fmで知った一曲。

サクラ大戦 帝国華撃団

ロボットレストランにいった時に流れていたBGM。

怒髪天の「俺達は明日を撃つ!」

いってたジムでは、MTVが流れているので、走りながらたまに聞いているのだが、そこで知ったのが怒髪天というロックバンド。その一曲。

globeの「Precious memorys」

数ヶ月前、FacebookでGlobeの曲の言及を見かけて、懐かしさを感じ、帰り道にツタヤでGlobeのCDを借りた。

この「precious memories」は、学生の頃きくよりも最近きくほうがぐっとくる名曲

サザンの「あなただけを~Summer Heartbreak」

夏の終わりの曲としてはこちら。

この歌詞に出てくる

「誰かが落とした麦わら帽子が波にさらわれて夏が終わる」

という歌詞で「ああ、夏は麦わら帽子が波にさらわれて終わるのだ」と知りました

バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」

トヨタの「アクア」のCMで使われている曲。仕事中は歌詞のない曲の方が作業がしやすいので、歌詞のない曲に弾かれることが多い

» toyota.jp アクア | TVCM・ムービー

でんぱ組.incのW.W.D

ドラマ最高の離婚でも使われていた一曲

Suger soulの「Garden」

最近、iTunesのランキングでもランクインあった。何かタイアップか何かあったのかな?

今はなき店でもよくかかってた曲

Congorock & Stereo Massiveの「Bless Di Nation」

どこかの店で流れていて気になってShazmでチェックした曲

■終わり

こう改めて自分が音楽を知るきっかけを調べると、いろんなところで音楽は出会うのね~と感心

vineが相当面白い

Twitterのミニ動画サービス「Vine」。

これがとても面白い。

TechCrunch」でみたのが、以下のVineの動画集

Vineは、細切れに動画を撮れるサービスなのだが、その細切れの時間にクリエイティビティが凝縮されている

最長でも6秒しかとれない短さが動画に小気味よいテンポをうみだしている

この脳天気な動画は、何度みても飽きない。愛が溢れているとさえいっても良い

他にも上記などの作品もある

ブログを細切れにしたツイッターが、動画も細切れにしてみたこのサービス。まだまだWebサービスは思いつかない切り口があるのだなーと感じた限り

世界をかえさせておくれよ

さっき、CMと音楽の投稿をした時に思いだしたことがあるので連投。

最近、懐かしい曲がCMのBGMに使われることが多い。これは、別に最近だからではなく、昔からあったのかもしれない。しかしながら、構造上、若い人はそのことに気づかない(若い人にとって昔のBGMは知らないので、テレビCMで使われていても懐かしいとは感じない)。あるいは最近はCMの担当者が30代の中堅になってきて、その担当者と当方が同じ世代のため、その年代に刺さる曲がCMで使われているという背景もあるかもしれない

で、最近、耳にしたのがサンボマスターの「世界をかえさせておくれよ」という曲。いろはすのCMで使われている

曲自体は2009年らしいので、古くないのだが、とはいえ、最新曲ではなく、一昔の曲(当時リリース時もいろはすのCMで使われていたそうだが)

で、この曲が「世界をかえさせておくれよ」という相変わらずのサンボマスター節の暑苦しさが2週くらいして気持ち良いのも良いのだが、それよりもこの曲に登場する女性ゲストボーカルの「伊藤歩」が良い。

その伊藤歩が歌うフレーズに「この2時間の君の頑張りから明日の恋が変わるかもベイビー」という青臭いセリフがあるのだけれど、とはいえ、これは、伝説の写真家ロバートキャパの名言「きみの写真が傑作にならないのは、あと一歩、被写体に近づいてないからだ」にも通じるものがあるもので。青かった私は、「なるほど、2時間で世界は変わるのね」とか独りごちた覚えがある(謎

で、当方は別段、サンボマスターのファンでもなく、特に曲もあまり詳しくないのだが、以前、彼らの曲の歌詞をベースとした写真集をたまに手にしたことがあり(たしか新聞の書評欄で紹介されていたのがきっかけだと思う

当時は2006年、渋谷のいまはなきブックファーストで。

そのぬくもりに用がある
山口 隆
角川学芸出版
売り上げランキング: 606,473

それが上記の「そのぬくもりに用がある」という一冊で、写真家は平間至さん。

その中の1写真に非常に衝撃を受けた。それは、「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」という歌詞と合わせた写真なんだが、ある小さい女の子が、地面一面におちたツバキを拾って、手にしているという写真で。その時、当方は「ああ、愛とは、地面一面におちたツバキを拾う心のことを言うのだ」と独りごちたわけで。

ということだ

コナミスポーツの目黒店がいいかんじだった

いつもいっているジムがお盆休みだったので、別のジムを探した

すると、コナミスポーツの目黒店を発見した。いってみた

目黒駅から坂を下ったところにそれはある。しかし、非常に風情のある場所にそれはある

なんと雅叙園の隣のビルなのだ

心なしかジムも和風の匂いが漂う。またビルの3階にあるので、窓からも階下を見下ろせる気持ちよさ

プールも光が存分に差し込み気持ち良い。日光浴をしている人たちもたくさんいた

当方、旅行先でプールがあれば入るというくらいプール好きな生き物なのですが、リゾート地を除くと、このプールが一番気持ち良いプールだったかもしれない

ということで、お薦めのジム紹介でした

時計台

何かWebサービスを使おうとする

IDを取れ、といわれる。自分に関係のないIDがいいな、と思い、何か考える

その時に、大抵でてくる単語が「時計台」だ。しかし思い返しても、時計台とゆかりはないし、エピソードも何もない。だからこそ、「関係のないID」で思い浮かぶのかもしれないが、あまりにも飛躍が著しい連想だ

もっともいったことがないわけではない。有楽町の時計台や大学の時計台などでは待ち合わせをしたこともあろうかと思う。ただ、それでも、最初に思い浮かぶ単語が時計台なのは、なんとも解せない

しかしながら、時計台という単語は悪くない単語である、と思う。時計を支える台であり、なんだか、それは昔の地球が亀の上にのっていた、というおとぎ話を想起させるような、なんとも心強く、そして、意味を持たない存在である。ただ、支えている

ただし、存在感はある。待ち合わせでもよく使われるように、時計台は、何かしらの象徴であるのだ。村上春樹ライクなレトリックを使うならば。

ただし、それが何を象徴しているかというと、甚だ心許ない連想しかない

歴史であったり、時の流れであったり、場の匂いであったり、あるいは物事が起こる場所であったりする。たとえば、イギリスのビッグベンや札幌の時計台が持つような。

そう考えていて、1つ、時計台のエピソードを思いだした

ある人と時計台で待ち合わせていた。しかし、僕たちは時計台で落ち合うことができなかった。時計台の場所の認識に齟齬があったからだ。携帯で、結局、別の場所で落ち合った

ここに何かの意味を付与することは可能だけれど、それはあまり意味をなさず。ただ単に「時計台で待ち合わせたけれど、そこでは落ち合うことのできなかった話」というエピソードである。教訓も示唆も何もない。

夏がくると見るDVD

kako-ehUbfGzDgt3ZPuGp

梅雨が明けたそうで。

つまりは夏がきた、ということだ。夏は梅雨明けに始まり、台風が来るころに終わる。

夏がくると、見るDVDがある

サザンの「Inside Outside U・M・I」というDVDで。↓

サザンオールスターズ - Inside Outside U・M・I [DVD]
ビクターエンタテインメント (2003-08-30)
売り上げランキング: 6,099

サザンの曲と夏の映像が合わさったDVDで。曲は好みがあるからともかくとして映像が良い。

波際でサーフィンに戯れる人々や湘南の風景、ないしは一夏の夢物語的な映像が詰まっている。

その中の1曲「あなただけを~Summer Heartbreak~」は、1995年のドラマ「いつかまた逢える」の主題歌でもあり、あの中学生の頃の夏をどうしても想起させ、ああ、夏がきたねえ、と感慨に耽る

そして、20歳を越えてしまった私はこの映像を少しのお酒とともに飲む。弱いので少しだけ

たとえばシャルトリューズ。薬草系のリキュールで、Wikipediaによると「リキュールの女王」とも呼ばれているのだとか。色合いも緑でどうも夏にふさわしい。

花火や海にはいかない夏があったとしても、この夏を迎える個人的な儀式は、ずっと数年来続いている。もはや、一種の宗教のように。たとえば夏待ち教とでもいうような

ということで今年もきた夏を愛でる夜です

初めて日焼け止めを塗った日

今日、初めて日焼け止めを塗った

正確にいえば、海やリゾートにいった時は塗ったことはある。しかし、日常で日焼け止めを塗るのは初めてだ

30を越えると色々気にしないといけないことが増える、と日焼け止めをシャワーで洗い流しながら独りごちる

「年を取ると若い時より考えなければいけないことは減るけれど、しなくてはいけないことは増える」というフレーズを思いついた。シャワーを浴びながら

それが正解かどうかよりも、思考実験としてその仮説を検証する

若いうちは可能性がたくさんある。ゆえに、いろいろなことに悩む。しかし、その選択肢は自由だから、すべき義務は少ない、というロジックを立てれば、上記の仮説は成り立つかもしれない。

具体的にいえば、高校生の僕は日焼けなんて気にしていなかった。自分がシミを考える日がくるなんて露だに考えなかったし、そもそもシミなんて怖くもなかった。太陽が大好きだった

その時の彼にすれば、日焼けをしても無敵の自分がいれば、日焼けを恐れない自分もいて、あるいは、日焼けを考えない自分というポジションを取ることができた

しかし今や、日焼けを気にしないと数年後にはシミを反省することはありありと想像できる。ゆえに、僕は他の自分を想像しない

同時に、その道を歩むという選択肢を選んだ以上、すべきことは明解である

いわば、大江健三郎氏が、「問題が特定できれば、解はでるのです」と看破した如く、課題がきまれば、その問題はすでに役目をほぼ終えている。

人生とは問題や課題を見つけることが非常に重要なのである

仕事やキャリアパスでも同じ話を聞いたことがある。若い内は自分のキャリアパスは無限にある。ただ、年を取るとそのキャリアパスは限定されてくる

たとえば起業家が公務員になるケースは珍しいし、弁護士がプログラマーに転身することはあまりない

で、そうやって人は人生のキャリアパスが狭まっていく。しかし、これは悲しい話ではない。ある点までそれが狭まっていけば、その先は逆に選択肢は増えていく

つまりその自分が限定されたキャリアの中で出来ることは、また別のレイヤーで増えていくのだ

たとえば、弁護士でも企業弁護士か国の弁護士か、あるいは独立かどこかの事務所で戦うか、あるいは民事の中でも専門性はでてくる。

つまり、あるポジションが固まるまでは、見えなかったそのポジションにおける縦の選択肢は、そこに立ち止まることで開けてくるようになる

いわば砂時計をイメージしてみればわかりやすい。最初は底からスタートする。横幅は広い。しかし、中間地点まで成長すると、砂時計のくびれで横幅は狭くなる。しかし、そこを越えれば、また横幅は広くなっていく

そう考えると、日焼け止めを塗る自分も、いつか、日焼け止めを塗らない選択肢を選ぶ時がくるのかしら、と思う。あるいは、それは結局、どの日焼け止めを選ぶか、という無限の悩みの中であがき続けるのかしら、とも思う

なんてしょうもないことをシャワーを浴びながら考えた。シャワーで落ちる日焼け止めは素敵だな、と思いながら

本の紹介:やる気の大学

千葉さんが新刊だされたそうですよ!

やる気の大学
やる気の大学

posted with amazlet at 10.05.17
千葉 智之
東洋経済新報社
売り上げランキング: 28951

21日発売予定で、まだ拝読しておらず恐縮ですが、ご紹介まで!

□概要
●ホントはみんな知っている
 試験に受かるには?→必死で勉強すればいい
 今より5キロやせるには?→食事を控えて運動すればいい
 仕事で成果を出すには?→人より深く考えて、すぐに実行すればいい
 「成功」するために何をすればいいのか、ホントはあなたも知っているはず。
 そう、だから問題なのは、「何をすればいいのかわからない」ことではなく、
 「わかっているけどできない」ことなんです。
 本書では、「やる気」をコントロールすることで、
 「わかってるけどできない」から卒業する方法を、あますところなく解説します。
●普通のサラリーマンでも、「やる気」があればこれくらいはできます
 筆者は、世間的に忙しさで有名な企業に勤める普通のサラリーマン。
 ですが、書籍を出版したり、本を年間200冊読んだり、映画を1カ月に10本見たり、
 週刊連載を2本もっていたり、ブログを書いたり、200人規模のイベントを何度も
 主催したり、セミナー講師をやったり、セミナーを主催したり、
 メールマガジンを発行したり、サッカーをやったり、トライアスロンで死にかけたり……
 と、とにかくいろんなことをやっています。
 「普通のサラリーマン」でありながら、そのワクを遙かに超えた筆者だからこそ書けた、
 サラリーマンのための「読むだけで元気になるやる気術」を本邦初公開です!
●気づいたら「デキるビジネスパーソン」になっています
 「やる気」をコントロールすると、
  ・とにかく楽しくなって、
  ・とにかく成果を出せる人になって、
  ・とにかく魅力的な人が集まってくるようになって、
  ・気づくと「デキるビジネスパーソン」の仲間入りをしています。
●本書では、生い立ちや性格に関係なく、だれでも使える
 「やる気をコントロールするテクニック47+3」を紹介します!
□目次
 第1章 やる気とは何か
 第2章 ココロガソリン
 第3章 ヒトガソリン
 第4章 モノガソリン
 終 章 「やる気」高速道路を走ろう

自己完結の全力疾走は祈りにも似ている

一番最後に全力疾走した時のことを覚えているだろうか。
高校の体育の時間?面接に遅刻しそうになって?マラソンのラストスパートで?
人生において、全力疾走をする機会はあまりない。
そんな時、「全力疾走」という言葉で思い出すのは、友がみな我よりえらく見える日は という書籍の中の1ストーリー。
うろ覚えだが、このような話だった。彼は1度、小説の賞をとったことのある作家だった。しかし、彼は商業作家というよりも、哲学者的な作家だった。ロシア文学のような全てを包括するような物語に挑んでいた。そして、挫折していた。
食い扶持に困り、奥さんは出て行った。子供を連れて出て行った。
彼はコンビニの弁当をあさりながらも、家で小説を書き続けている。日の目を浴びる機会が失われた後も。
そして、彼は時に、分かれた子供のことを思い出す。叫びだしたくなる。
そんな時は、近くの川べりに行って、叫びながら、草をむしって意識を紛らわせる。
そんなエピソードがあった。
全力疾走という言葉を聞くと、この川辺で草をむしっているディオゲネスにも似た小説家を思い出す。
たしか、学生時代、京都のR氏と話していた時だったか、水泳(マラソン)の一番の良い点は「泳いでいる時は何も考えないで、済むからだ」という共通認識を得た記憶がある。
また、前回、ブログに登場した別のR氏も走る人間。彼はランニングの最後のスパートを全力疾走するという話をしていた(もう7年くらい前の話になるからうろ覚え)。
走り続けた最後の数メートルを、体力が尽きるまで全力で疾走する。
全力疾走。
それは、言葉で言うとシンプルだが、生を脅かし、また生を鼓舞する力を持っている。
走り出した時はまだ身体にはエネルギーが溢れ、足は軽やかに地面を蹴る。思ったよりも早く回転する足と、遠くに飛べるつま先の跳ね具合に自分でも驚くほどだ。
横を走る車よりも速い気分になり、フォレストガンプの全力疾走を想起する。
そして、足首がぶれてくる。足と脳が乖離していく。足が空回りしているようにも感じてくる。足の感覚は鈍くなり、地面をつかむ感覚が薄れていく。
そして、肺が悲鳴を上げ出す。口から取り込める酸素量の限界を超え、体中の細胞が酸素を欲し出す。
首が上を向くようになり、前傾した身体が垂直になっていく。しかし、それでも必死で腕を振り、足を出し、身体を倒す。
肺が焼け付くようになり、喉に痛さえ感じる。脳がきしむような気がして、足は最早かってに動いている。
もう無理だ、止まれという信号を無理矢理押さえつけながら腕を振り続ける。それに呼応するように足が連動する。
そして、砂時計の砂が落ちきる瞬間のように、いつかプツンとエネルギーが切れる。
慣性と惰性で身体は前に動き続け、肺は悲鳴を止めない。倒れるか倒れないかのギリギリのラインで、マンションの扉にたどり着く。
走っている間は何も考えらない。身体は一瞬だが限界というものに近づいていることを感じる。生というものを少しつかめそうな気がする。そして走り終わると、何かが抜けていることに気づく。たとえば。
それが全力疾走、というものなのだ。
悩んでいる暇があれば、全力疾走しろ、と僕はメロスから教わった。

不確実な世界へようこそ

先日、「明日の予定なんだっけかな?」と考えた時にふと思った。
「不確実性の魔力」というものに。
世の中には「確実なもの」と「不確実なもの」がある。たとえばサイコロを振って「何かの目がでる」というのは(ほぼ)確実だが、「3の目がでる」というのは不確実である。
仕事にもこの2区分がある。「明日のすべきことは今日と一緒」という場合と「明日のすることは初めて」という場合。
資産運用もそうだ。「銀行に預ける金利」と「株の変動」のような。専門家はそれを「リスクとリターン」の程度で表すけれど。
で、人の性癖として「確実性」を好むものと「不確実性」を好む人がいる。
リスク志向性といってもいいかもしれない。しかし、平均値をとると「不確実性」に人は楽しみを憶えるのではないだろうか(行動経済学でもそんな感じだった気がするけどうろ覚え)。
一例が宝クジである。
財団法人日本宝くじ協会によると、7割以上の人が宝クジを購入したことがある。
1度キリの人や付き合いの人もいるので、このデータをベースにするのは危険だが、これを少し補助線とする。
宝クジというのは基本的に「損をする賭け」である。しかし、人はそこに「もしかしたら」を夢見て購入する。
パチンコだって、株だって、競馬だって、トトカルチョだって、カジノだって何でもいい。周りを思い返せば、それらにハマル人は少なくない(1回始めると、熱くなる程度の意)。
海外旅行に行く人が多いのも「知らない土地だから」「スノビッシュだから」「ショッピング楽しいから」といった理由は数あれど、もしかすると、そこには「日本とは違った知らない世界があるから」の期待に人は引き寄せられるのかもしれない。
昨今のソーシャルゲームだって「不確実性」がユーザをはまらせる。ポーカーゲームや牧場のくじ引きや、マフィアウォー的なバトルや。
負けたら「次は勝つ」として勝負をかける。そして、人がそこに熱くなるのは「不確実性」があるからだ。たとえば「勝つ」と分かっているゲームは人は恐らく楽しめないだろう。たとえば「一人でする桃太郎電鉄(CPUがゼロ)」や「1人でする人生ゲーム」のように。
昨今の「婚活事情」だって、このメタファーで語れるのかもしれない(適切かどうかは別としても)。「いつか白馬に乗った王子様が」という不確実性に期待をして人は生きる。
そう、人は「不確実性」を楽しむだけでなく、時にその「不確実性」が生きる糧となる。
「もしかすると、がんばっていればいいことがあるかもしれない」というふたしかな未来に思いを託して人は今日をやり過ごす、という人もいる。
あるいはキリスト教的な「がんばれば救われる」、仏教の「生まれ変わる」といった不確実な未来への期待と考えてもいい。
もし、自分の人生が全て見えていれば、多くの人は自殺してしまうほどなのかもしれない、とふと思う。というのも故人がいった「死に至る病」とは「絶望」だからだ。
「絶望」とは望をたたれる、と書く。そして、逆は「望を持つ」ということだ。そして「望みを持つ」ということは言い換えれば「期待をする」ということで、この論旨でいう「不確実性に賭ける」というものである。
イマジン。
「そこそこ幸せだけど、何が起こるか全てが分かっている人生」と「平均値はそこそこ幸せだけど、失敗も成功も振れ幅が大きい人生」のどちらを選ぶだろうか、というような。
ただ、反証も考えよう。
よく云われる「公務員」を選ぶ人は「リスク志向性」がひくそうに見えるが、仮に「空き時間が何もない公務員」だった場合はどうだろう。「公務員」は空き時間が大きく、そこに人生の余暇をいれれるから、楽しいのであって、時間がなければ公務員の安定性の人気は別のものになるんじゃないかしら、とも思う。
あるいは「ゴルゴ13」的な物語は大筋は決まっている。「最後は勝つ」のだ。それでも人は楽しむ。それは「不確実性」への楽しみとは別のものではないか?とも考えられる。それはその通りで、それは「物語」を楽しんでいるからである。これは「構造主義」を引っ張れば、「世の中の大抵の物語の骨子はギリシア神話時代に出ている」という話を考えるだに難しくない。そもそもゴルゴ13が死ぬようなことがあると、単純に連載が続かないのだ。それは構造的に困る。
よって「構造的に許される中で、不確実性の最大化」がポイントなのかもしれない。たとえばドラゴンボールの「生き返り」やワンピースの「裏切り」のような。
何が言いたかったかというと、「不確実性」を提示することが、1つの面白さになるんではないかな、ということです。
それはサービスにおいても、人生においても、はたまた物語においても。